最終話 帰還



「俺と戦ってよ。負けたらアンタは俺のもの。アンタが勝ったら、
 そうだね、アンタが望む通りにするよ。どうだい?」

ギラリとした瞳で高杉を見詰めながら、神威が言った。
高杉はククッと短く笑うとゆっくりと起き上がる。

「物好きもいたもんだ。いいぜ。受けてやらぁ」
「うん、そうこなくっちゃね」
「場所、変えるぞ。ここじゃ邪魔がはいる」
「もちろん。じゃあ、付いて来てよ」

前に襲撃に来た時と同じだ。
ノコノコついていけば、自分が危ない目に遭うのはわかりきっていた。
それでも、高杉は黙って神威について行った。
ギャンブルに自分の全てを賭けるのも悪くないと思った。
徒な破滅願望が胸に押し寄せる。どうとでもなれ、と高杉は口の中で呟いた。

神威に連れられて辿り着いたのは、またしても廃墟だった。
前とは違う廃墟だが、飽きもせずまたこんな埃臭い場所に
連れてくるとは、色気も面白みもない奴だ。
錆びれた空気に饐えた臭い。高杉は肩を竦めて盛大に溜息を吐く。

「こういう場所は気に入らない?晋助」
「ああ。俺は生憎、ドブネズミでも野良猫でもないんでな」
「あはは、確かにシンスケは高級そうな飼い猫って感じだもんね。
 でも、俺はこういう場所が割と落ち着くんだ。陽の光の下は落ち着かない」
「吸血鬼みてぇな事言ってんじゃねぇよ。まあ、確かに白い肌をしてやがるが」
「そうかな?俺はシンスケの肌も白いと思うよ。綺麗だよ、シンスケ」
「はっ、嫌味か?」

ギロリと高杉は神威を睨む。
大抵の奴は睨んだだけで怯えるが、神威は平然としていた。
それどころか愉快そうな顔をしている。

「さて、始めようか」
「いいぜ。どっからでもかかってきな」

じり、と間合いを取りながら高杉と神威は腰を落として臨戦態勢を取る。
同時に地面を蹴って、互いに飛び掛かっていった。
神威の蹴りを避けつつ、高杉は右フックで顔面を狙う。
神威はそれをバク転でひらりと躱すと、手刀で襲いかかって来た。
鋭い爪が高杉の首筋を掠め、血飛沫が飛ぶ。
指先に着いた血を神威は口に含んでゾッとするような笑みを浮かべた。

「あー、ゾクゾクする。やっぱり、シンスケは最高だよ」
「獣みてぇな目ぇしやがって。気違いめ」
「ふふっ、お互い様だよ」

唇の端を吊り上げると、神威が突進して来る。
高杉はそれをひらりと避け、神威の横っ腹に蹴りを叩き込んだ。

「ははっ、強烈な蹴り。流石シンスケ。うん、痛いや」

痛いという割には笑っている神威に舌打ちが漏れる。
素早い割に重く鋭い神威の攻撃を避けるのは困難だった。
避けているだけで体力と気力が削られていく。
別に負けて神威の手篭にされるのはかまわない。
だが、負けるのは何だか癪だった。
精神的に疲れ、弱っている自分に嫌気がさしていた所だ。
せめて肉体的にだけでも強くありたいと思っていた。

多少捨て身にならなければ勝てない。
高杉は飛んできた神威の足を避けず、肩にまともに浴びた。
肩がメキリと嫌な音を立てる。だが、神威の足を捕える事が出来た。

「うおぉぁぁっ!」

神威の足を掴んで、彼をそのまま地面に叩きつけた。
派手な音を立ててひび割れ掛けていた地面が叩き割れる。
相当なダメージを負った筈だ。神威が沈んだ場所を高杉は静かに見ていた。
舞いあがった土埃がゆっくり晴れる。むくりと一つの影が起き上った。
神威だ。
起き上った神威は相変わらず笑っていた。

「バケモンかよ。てめぇ」
「忘れた?俺、昔っから身体だけは丈夫なんだ。まあ、以前ほどじゃないけどね」
「忘れた?だと?意味の解らねぇことを……」
「シンスケ。一緒に地獄巡りしようって約束したでしょ?
 なのに、シンスケは先に一人で逝っちゃうから。俺、退屈だったんだよ」
「なに、言ってるか解んねーよ」

地獄巡り―…その言葉に、胸の奥がズキリと痛んだ。
頭が混乱する。ない筈の記憶が脳内を駈けめぐる。
蝶柄の着物を纏った大人びた自分。今の姿のままの神威。
背中を預け合って、共に戦っている。

銀八に似た男と戦っている夢。覚えのない記憶。
頭が酷く痛い。まるで割れるようだ。
大切なことを忘れている気がしてならなかった。

「く、っそ。なんだってんだ―……」

高杉の動きがさっきまでより鈍くなる。
それに引き換え、ダメージを負っている筈の神威は軽やかに舞っていた。

「同じ地球の人間として生まれて、身体能力上の差は縮まった。
 だけど、俺は前の記憶をちゃんと覚えている。
 シンスケは喧嘩したことぐらいしかないから、俺の方が有利だね。
 俺の身には夜兎の戦いの本能が蘇り、殺し合いの記憶が息づいている」
「くっ……、う」

神威の鋭い拳が腹にヒットした。よろめいた所に強烈な回し蹴りが飛んでくる。
辛くもそれを両腕でガードしたが、足元がふらついた。
いつの間にか、高杉は防戦一方になっていた。
神威のお喋りが脳に響く。
妙な既知感。言葉の一つ一つが、眠りを覚まさせようとしている気がしてならない。
チャイナを着た神威、着物姿の自分。そして、銀髪に白い着物の男。
ぐるぐると頭の中を色んな情景が駆け巡る。
走馬灯かと思ったが、違う。こんな古い光景に見覚えは無い。
だが、何故か懐かしいと思える記憶。

「ぎ、んとき―…」

自分の呟いた声が耳の奥で響く。
誰だ、銀時とは。坂田銀八じゃなくて、坂田銀時。
不思議に懐かしく響く名前。

「シンスケ、そんなに銀髪のお侍さんが好き?」

笑っていた神威の顔が妙に神妙な顔に変わる。
海の様に青い瞳がじっと自分の姿を映し出している。
それを見詰めていると、胸がざわめき、落ち着かない気分に襲われる。
胸が痛くなってきて、高杉は唇を噛んだ。

「坂田銀時はシンスケを殺した。俺から、アンタを奪ったんだ」

青い瞳がゆらりと揺れる。
その瞳の奥に、映る筈のない過去の光景が映っている気がした。
夢の中だけでしか解放されていなかった記憶が脳裏に蘇る。


+++++++++++++++++

「高杉、なんでだよ……。なんで、こんな」

泣きっ面で銀髪の男が自分を見詰めている。
身体を貫かれて血を吐きながらも、蝶柄の着物の男は満足げだった。

「俺を殺せんのも、護れんのもお前だけ、なんだろ?」
「た、かすぎ……。オマエ―…」
「ククッ、その泣き顔はこの左目だけが刻んだ光景だと思っていたが、
 この分だと、右目にもその光景を焼き付けることになりそうだな。
 笑えよ。そのシケた面を刻むのは左目だけで十分だ。笑えよ、銀時」
「バカヤロウ、この状況で笑えっかよ!」

銀時がギュッと高杉を抱きしめる。涙が降り注いでくるのを、
眩しくもないのに目を細めて高杉は見上げていた。

「俺ぁ今、すこぶるいい気分なんだ」

高杉が震える手を銀時に向かって伸ばす。
血に濡れた高杉の手が優しく銀時の頬に触れる。
銀時はその手に自分の手を重ねてぎゅっと握り締めた。

「ありがとな、銀時」

微笑んだ高杉の顔に狂気はない。ただ、ひたすら穏やかな顔だった。
銀時の紅色の瞳から涙がとめどなく流れる。
歪にだったが、銀時は微笑みを浮かべた。
それを見ると満足そうに高杉は笑って、瞳を閉ざした。

「高杉、愛してたよ―…。救えなくて、ごめんな」

高杉の身体に縋りつき、銀時が呻き声を上げる。
酷く悲しい声が、荒れた野原に響いていた。

+++++++++++++++++++

高杉の瞳がはっと見開かれる。
それと同時に、神威の蹴りが左肩にクリーンヒットして、
高杉は瓦礫の山に思い切り吹っ飛ばされた。

「今のはまともに入ったね。おーい、シンスケ、生きてる?」

笑いながら神威は高杉が吹っ飛んだ方へと歩み寄る。
強かに背中をぶつけていたからきっと気絶しているだろうと
神威は思っていたが、仰向けで瓦礫に埋もれていた高杉は起き上がった。

「クククッ、馬鹿だなぁ。ああ、本当に馬鹿だ」

張り詰めていた糸でも切れていたように高杉が笑いだす。
神威が首を捻りながら、高杉をじっと見た。

「シンスケ?どうしたの?頭でも打った?」
「ふっ、頭なんざ打っちゃねぇよ。ただ、てめぇの長い昔話の所為で、
 俺まで色々と思い出しちまった。この場合、てめぇには礼を言えばいいのか?神威」

親しげな声で高杉が神威の名を呼ぶ。顔には、妖艶な笑みが浮かんでいた。

「シンスケ、もしかして思い出したの?」
「お陰さまでな。クソガキと同い年たぁ、笑えるな」
「誕生日は俺の方が早いから、ある意味俺の方がお兄さんだよ」
「そうだな」

高杉は起き上がろうと力を入れた。
だが、痛みと背中を強打した衝撃で動けない。
空を仰いでクツクツと笑い声を上げた。

「勝負、続ける?」
「そうしてぇとこだが、動けねぇよ。鈍っちまったもんだな、俺の身体は」
「そうみたいだね。じゃあ、勝負は俺の勝ち。俺のモノにするよ」
「……おめぇも大概、物好きな奴だな。蓼食う虫も好き好きって奴か」
「シンスケは綺麗だよ。蓼じゃない」
「ハッ……。嬉しくねぇよ馬鹿が」

神威が身体を重ねてくる。太陽の様な熱を持った身体。
身長は同じくらいなのに肉厚で自分より少し大きい手がシャツに滑り込む。
胸の突起を掠めた手に、高杉は小さく吐息を漏らした。
首筋に鋭い犬歯が立てられ、熱い吐息が触れる。
下半身からゾクリとした感覚が這い上がって来て、高杉は舌打ちを漏らした。
別に、男と寝るのは好きじゃない。
それなのに、身体は覚えた快楽に従順で勝手に反応してしまう。
思い道理にならない身体がもどかしく感じられた。

銀時に抱かれたい。

ふと、そう思った。我ながら未練がましいと思う。
神威は嫌いじゃないが、性的な対象としては見られない。
抱かれたいとは思わなかった。
だが、約束は約束だ。負けたらモノになると言ったのだから逃げられない。
諦めたように高杉は溜息を漏らす。

「まて、このクソ餓鬼っ。俺のモンに手ぇ出すんじゃねぇっ!!」

怒号が空気を揺らした。同時に、上に跨っていた神威が後ろに吹っ飛ぶ。
誰かにひょいと胸に抱き寄せられた。
見上げると、見慣れない眼鏡をかけた見慣れた癖気の銀髪の男がいた。

「ぎん……っ。なんで、いやがる?」
「別に、テメーを助けに来たんじゃねぇからな。たまたまだよ」

ふんと照れたような顔で銀八がそっぽを向く。
天の邪鬼は相変わらずのようだと高杉は密かに笑みを浮かべた。

「いてててっ、酷いなぁ。邪魔するなよ」

蹴り飛ばされた神威がムクリと起き上がる。
獰猛な瞳を銀八に向けて、ニヤニヤと神威は嫌な笑みを浮かべた。
臨戦態勢の神威に、銀八は盛大に溜息を吐く。

「俺は喧嘩なんざしねぇよ」
「じゃあ、シンスケは貰うからね」
「やらねーよ。今度は、必ず守り抜くって決めた。
 殴られても絶対に渡さねぇよ。殴りたきゃ殴りやがれ。耐えてみせるぜ」
「……そう。じゃあ」

神威が銀八との距離を詰め、思い切り顔面に拳を叩き込んだ。
銀八は小さく呻き声を漏らしたが、高杉を抱締めたまま
一ミリたりとも動くこと無く堪えてみせた。
神威がまた拳を握る。
銀八の腕からするりと抜けると、高杉は神威に噛み付くようにキスをした。
神威が面喰った顔をして、あどけない瞳で高杉を見る。

「俺ぁ勝負に負けたからな。キスくらいくれてやらぁ。
 ただし、俺は本気じゃなかったからキスまでだ。本気で俺が欲しけりゃ、
 今度は今の俺と勝負しろ。ただし、もう今度は負ける気はねぇがな。神威」
「……あ〜あ、残念。せっかくシンスケを抱けると思ったのに。
 まあ、俺も本気のシンスケと戦いたいし、キスもしてもらったし、
 今回は大人しく引こうかな。バイバイ、シンスケ。銀色のお侍さん。またね」

愛想よく微笑むと、神威はあっさりと引いていった。
高杉はゆっくりと銀八の方を振り返ると、腫れた頬を見て笑う。

「相変わらずの怪力だな。頑丈なてめぇの頬を腫らすたぁやりやがる」
「……高杉?」
「よお、銀時。生徒のお守たぁわざわざご苦労なこった」
「銀時って、お前、もしかして記憶が―…」

戸惑った顔をする銀八に、高杉は不敵に笑って言った。

「安心しろ。もう殺されたりしねぇよ」
「……ったりめーだ、バカヤロー!二度と、俺にあんな思いさせんじゃねぇよ」

銀八は高杉に駆け寄ると、ギュッと華奢な身体を抱締めた。
すりすりと頭を擦り付けてくる銀八に、くすぐったそうに高杉は笑う。

「俺より十も年上か。もう立派なオッサンだな銀時。
 それにしても、記憶がねぇ時は散々な扱いをしてくれたじゃねーか」
「う、しょうがねーだろ。お前は薄情にも俺を覚えてねーし、
 近寄りがたいオーラばりばりでどう接して良いか解んなかったんだよ」
「ふん、よく言うぜエロ教師が。変態オヤジ」
「オヤジっつうな。傷付くだろうが。でも、俺は年上で嬉しいぜ」

銀時は少し目を伏せて、「今度は先に死なれることはねぇからな」と呟く。
女々しい言葉を、高杉はクククッと笑い飛ばした。

「解らねぇぜ。ぽっくり俺が先に死んじまうかもな」
「させねーよ。俺が守るんだから死なせねーよ。それより、
 俺のが早く老けちまうんだからちゃんと老人介護してくれよな」
「……どんだけ一緒にいるつもりなんだ」
「一生に決まってんだろ。高校卒業したら即結婚だからな」
「色気のねぇプロポーズだな。もてねぇのも相変わらずと来たもんだ」
「うっせーな。可愛くねぇ奴」
「ふっ、まあ、いいぜ。介護してやるよ。しょうがねぇから」
「約束だぜ」

銀八の大きな手が頬を包みこんだ。
誓うように長い口付けを交わすと、高杉はすこしはにかむ。

「銀八センセ。卒業したら、ちゃんと迎えに来いよ」
「ああ、約束だ。指輪買って、お前の家のオヤジに挨拶しに行ってやる」
「ククク。そりゃあ親父もぶったまげるだろうな。楽しみにしてるぜ」

銀八から離れると、高杉は歩きだした。
「何処に行くんだよ?」と尋ねる銀八に、足を止めずに「学校に戻る」と答える。

「待てよ、高杉」

後ろから銀八に抱締められて、高杉は眉間に皺を寄せた。
不満そうな顔で彼を見上げると、銀八は照れたような不貞腐れたような顔をしていた。

「何だよ、銀八」
「学校には、戻らなくていい。今から課外授業だ」
「はぁ?何だよ、それ」
「ラブホ行く。お前、万斉とか土方と寝たろ?」
「……それはてめぇの所為だろうが」
「それでも許せねぇ。つーわけで、今から俺が上書きすっから。
 あの二人とのセックスは忘れさせて、俺ナシじゃ生きられねぇ身体にする」
「はっ。ほんと助平な野郎だな。いいぜ、こっちこそ俺以外抱けなくしてやらぁ」
「望むところだっつーの」

銀八がぎゅっと手を握って来る。
指を絡めて、高杉も彼の手を握り締めた。
一つに繋がった影を見詰めながら、銀八と高杉は町の雑踏へ消えていった。












--あとがき----------

最終更新から間が開いてしまいましたが、
ようやく長かった銀八シリーズの終了です。
もっと学生ならではのイベント毎も描きたかったのですが、
思ったいたよりシリアスな展開になってしまい断念。
それはまた別の機会にします。
最後まで読んで下さってありがとうございます。