−輪廻の果て−





幼い頃からいつも繰り返し夢に見ていた。
紅の装いに赤い鉢巻。風に棚引く長い尾の様な髪。
印象的な大きく澄んだ瞳。整った鼻梁にふっくらした唇。

アンタは一体誰だ?
忘れちゃいけない、大切な、とても大切な人だったように思う。
でも、思い出せない。
思い出そうとする度に胸が苦しくなる。
だけど、思い出せない事も辛く感じられた。

寂しげに微笑むその人に向かって手を伸ばす。
その手は虚しく宙を掻き、薄闇の向こうへとその姿は消えて行った。




寝ざめは最低最悪の気分だった。
湖で溺れた夢を見た朝よりも、もっとずっと最低の気分だ。

佐助は溜め息を吐きながらベッドから起き上がると、
新品の制服の袖に腕を通す。志望した高校に当然の様に合格し、
今日から高校生活が始まる。
髪型を整え、いつも通りフェイスペイントをすると朝食を取らずに家を出た。


入学式を祝う様に桜が満開に咲き誇っている。
早くに目が覚めて特にやることがなかったので早め学校に来たお陰で、
ゆっくりと美しい桜を見聞できる。
空をふわりと舞う花弁に佐助は目を細めた。

桜の下に、一つの影が佇んでいる。
自分以外にも早く学校に来た酔狂な輩がいるようだ。
何気なく近寄っていった佐助は、その影を見止めると驚愕に瞳を開いた。

「あ―…」

突然、強い春風が吹き荒れた。
ザァッと音を立てて儚く桜の花が舞い散る。
長い尾の様な髪を靡かせて、ゆっくりとその人物が佐助を振り返った。
振り返ったその顔を隠すような桜吹雪がスローモーションに思えた。
花弁が舞いゆっくり隠されたその顔が露わになる。
大きな瞳、凛とした顔。それは、夢で何度も見たその人だった―…。

「だ、んな―…」

無意識の内にそう呟いていた。
刹那、脳裏に鮮やかに蘇ったのは共に駆けた遥か昔の記憶。

ずっと記憶の淵に沈んでいた大切な刻の欠片が浮かび上がった。
そう、夢に現れ続けていたあの人は何よりも大事だった自分の主。
失っていた記憶が、感情が、あの時のまま全て息を吹き返す。

「真田の旦那っ!!」

次は無意識などでは無かった。
心より愛しさを込めてその名を呼んでいた。

名前を呼ばれたその男はきょとんとした顔をして、小首を傾げて佐助を見た。

「いかにも、某は真田。真田幸村にござる。
 しかし、何故名を知っておられるので?初見のように思いますが?」
「あ……」

姿も名前も変わらない幸村には、前世の記憶は無いようだった。
そうなると、いきなり見知らずの自分が名前を呼んだ事は
相当不可思議な事に違いなかった。

「あ〜、いや、うん。一方的に知ってただけつーか、なんつーか?」

自分でさえ言っている意味が解らない。
幸村にはより一層意味不明で、更に首を傾げてしまった。
いつもは口の達者な自分がしどろもどろな様子はかなり情けなかった。

「あ〜、えっと、アンタも新入生だろ?
 俺様もそうだよ。早く起きちゃってさ、花見してたんだよ」
「おお!奇遇でござるな!まこと、綺麗な桜だ」
「うん。そうだね。ね、アンタは桜好き?」
「うむ!儚くも美しい。春の僅か一時のみに咲き誇るこの
 力強さと儚さに心打たれまする。何より、懐かしい不思議と懐かしさを感じる」

彼が住まう上田城は桜の名所で、春になると毎年花見をしていた。
もしかすると、自分と同じ様に幸村の心の其処にも記憶が眠っているのかもしれない。
思い出して欲しい。
思い出してくれたなら、容易くその手に、頬に、唇に触れる事が出来る。

(でも、昔の記憶を思い出して幸せなのだろうか―…?)

戦国。荒廃に満ちた乱世。優しい心で槍を振い続けた幸村。
この酷く平和な世では、あんな記憶無い方が生きやすいだろう。
自分にしても、忍で後ろ暗い事を山ほどやって来た。


今すぐ抱きしめたい。
抱締めて、口付けて、あの時伝えきれなかった思いを全て伝えたい。
でも、そう思うのは自分の勝手に過ぎない。
佐助は不意に伸ばし掛けた手を降ろした。

「どうかなさったか?」
「ううん。なんでもないよ」

渦巻く感情を、記憶を鎮めて佐助は笑みを浮かべた。
だが、幸村は眉を顰める。

「何故、そのように辛そうな顔を浮かべるのだ?」
「え―…。ううん、何でも無いよ。ただ、
 桜の夢玄にあてられて昔の事を不意に思いだしただけ。ゴメンね。
 不安にさせて。あ、自己紹介がまだだったね。俺様、猿飛佐助」
「猿飛、佐助―…」
「うん」
「……そうか!猿飛殿、宜しくお頼み申す!」

太陽の様に微笑むと、幸村は手を差し出して来た。
その手を佐助の手が握り返す。
温かな体温。柔らかな手。なにも、あの頃と変わってはいない。
変わってしまったのは、自分との距離だけ―…

「ね、一つだけ頼みがあるんだけどいい?」
「某に聞ける事なれば何なりと」
「じゃあさ、俺様の事は猿飛殿じゃなくてさ、佐助って呼んでよ。
 俺様はアンタの事、真田の旦那って呼ばせてもらうからさ。いいでしょ?」
「佐助。うむ、勿論だ!」
「ありがとう、旦那」

佐助と幸村は互いに微笑み合った。
夢ではずっと届かなかった手は現実で漸く届いた。
それだけでいい。たとえ幸村が過去を覚えてなくても、
自分達は今を生きている。これからは一緒に生きていける。
たとえそれがただの友達としてでも、傍に居られるだけで充分だ。

(ああ、でも、旦那のことを抱きしめたいな―…)

殊勝な気持ちと裏腹に欲望というのは底なし沼だ。
いきなり理性が揺らぎそうな自分に佐助は苦笑を浮かべた。

「ね、まだ式まで時間あるから一緒に花見でもしてかない?」
「おう、そうだな!」
「そうこなくちゃね。折角だから腰を降ろして座って見ない?
 ほら、あの桜の木なら簡単に昇れそうだし、枝も太い。どうかな?」
「木登りか、懐かしいな。きっとさぞや絶景だろう」
「でしょ?じゃあ、さっそく……」

佐助が木に登ろうとしたその瞬間、幸村の名を他の男が呼んだ。

「幸村!」

聞き覚えのあるその声に、佐助の顔が俄かに凍て付く。
どうか、聞き違いであって欲しい。
聞き違いでなくても、ただ声だけが似た別の男であってくれ。
そう願いながら、佐助はゆっくりと振り返った。
萌黄色の瞳に映るその男は、記憶の中の忌々しい男その者だった。

「おお!政宗殿っ!」

弾んだ声で幸村がその男の名を呼ぶ。
鋭い瞳を緩め、不意に名を呼ばれた政宗は優しげな笑みを浮かべた。

「ったく、朝っぱらから花見か?」
「はい!早く来てしまったので。政宗殿も珍しく早いでござるな」
「まーな。小十郎の奴が入学式くらいは早く行けって五月蠅くてよ。
 それより、そっちのソイツ、誰だ?」

幸村の方から佐助の方に政宗の視線が流れる。
さっきまでは優しさを湛えていた瞳が紺碧色に煌めき鋭く細められた。
佐助は萌黄色の瞳を見開き、いつもの飄々とした
笑みを浮かべる事が出来ないまま政宗を見ていた。

春の陽気を掻き消すような冷たい緊迫感に包まれる。
突然変わってしまった空気に幸村は少々困惑した表情を浮かべた。

「あ、この方は猿飛佐助殿でござる。同じく新入生で……」
「Hum……猿飛、佐助ね」

値踏みする様な不躾な視線が佐助を貫く。
知らず知らずに拳を強く握り、佐助は殺気を走らせた。

「伊逹…政宗―…」

この世に転生しても相変わらず独眼で、右目を眼帯に覆われている。
何故、こいつがあの方の傍に居るのだろうか―…
憎悪と憤怒が溢れ出す。殺気が滲み出るのを抑えられなかった。

あの日、決着のあの時、旦那は殺された。
奥州筆頭、伊逹政宗に―…


伊逹政宗が自分の主を好いているのは明らかだった。
それも好敵手としてだけではない。一人の人として、好意を寄せていた。
当然その想いが実る事など無い。
伊逹も、自分もそう言った意味では似ていたのかもしれない。
ただ、一つ決定的に違っていたのは、
伊逹には幸村を殺す事ができ、自分には出来なかった事だ。
それは物理的や身分的にだけでなく、感情がそうさせなかった。
だけど、あの男は違った。
刀を交える瞬間だけは幸村はあの男だけのもので、
幸村の全てを手に入れられる唯一の方法は、幸村を殺す事だけだった。
だから、頂きの決戦のを希い、最後にはそれを叶えた。

死んでしまったら何もかも終わりだったのに、止められなかった。
目の前で愛しい人を失い、心は壊れた。
せめて、首だけは渡すまいと首を奪い去った。
動かなくなった綺麗な首を見詰め、徐々に狂い始めて最後には自分を失った。

鮮血の海で横たわる主人を抱き起こし、
死んだばかりでまだ柔らかく温かい頬にに泣きながら頬擦りをした
あの時の感情が蘇る。


無意識の内にいつも武器を忍ばせていた懐に手を入れていた。
だが、現代で武器を携帯している筈もなく手は空虚を引っ掻いた。
そんな佐助を卑下するような青灰色の瞳で一瞥すると、
政宗は幸村の方に腕を回す。

「行こうぜ、幸村」
「え?あ、でも―…」
「No!猿に関わると碌な事はねぇ。ほら、さっさと来な」

おろおろして交互に佐助と政宗を見る幸村を強引に引き寄せると、政宗は歩き始めた。
引き摺られる様にして歩いて行った幸村は佐助の方を振り返ると、
またな、と口を動かし目配せをしてくれた。
心底申し訳なさそうな顔に、不意に佐助の気持ちが静かに落ち着いて行く。

(前世なんて今は関係ないのに、俺様もバカだね―…)

この平穏無事な時代で政宗が幸村を殺すなんて有り得もしない。
昔、あの時代の裂け目だったからこそあんな悲惨な結末が待ち受けていたに過ぎないのだ。
今はもう、皆が違った平和な道を歩いて行けるはずだ。
記憶があろうと、無かろうと―…

(それにしても、まさか独眼竜が旦那と知り合いなんて、ね―…)

政宗に記憶があるのかどうかはわからない。
だが、どちらにせよ政宗が幸村と自分よりも先に出会っていた。
しび事実はなんとなく面白くなかったが、出逢った時期よりもその後の方が大事だ。

この広い地上で出逢えただけでもとんでもない奇跡だ。
また愛しい人を見つけた挙句、記憶まである。それだけで十分に幸せだ。

舞い散る桜に手を伸ばし、その花の隙間から見える目映い日差しに佐助は瞳を細めた。



政宗に邪魔されで出会いは良い出会いとは言えなかったが、
幸村と同じクラスになって、政宗が別のクラスだったことも幸いし、
その日から二人は旧知の友人同士の様な関係を築けた。

記憶を取り戻した佐助にとっては歯痒く思う事も少なからずあったが、
昔と少しも変わらない幸村の傍にいれるだけで幸せだった。
たとえ自分がこの世で一番嫌いな男、政宗と幸村が仲が好かろうが、
笑って見過ごせるだけの余裕はあった。
その筈だったのに―…



五月の初め、剣道の高校生大会が開かれた。

剣道部に所属する幸村と政宗は一年生ながら、その腕は二年や三年を圧倒し、
二人ともレギュラーとして個人戦に参加していた。
計らずとも勝ち進んだ二人は決勝戦で激突する事となった。

「頑張ってね、旦那!」
「佐助、応援ありがとう。今日こそ、政宗殿を倒してみせるぞ!」
「二人は昔から剣道ではライバルどうしなの?」
「うむ。政宗殿はそれは強くてな。まだ一度も勝ててないのだ」
「へえ、そうなんだ。旦那だって相当強いのにね」
「まだまだだ。でも、今日は初めてお前に俺の戦う姿を見せるのだから、
 無様は晒さぬ。必ず勝ってみせるぞ!」
「嬉しい事言ってくれるねえ。俺様、はりきって応援するからね」
「おう!」

生き生きした顔でそう言う幸村に、佐助は微笑んだ。
だが、その胸の奥では小さな綻びができていた。
その時はまだ、自分では気付かなかったくらいの本当に小さな歪み。
それは、幸村と政宗が竹刀を交えた時に一気に解けて心をバラバラにした。

「はぁぁっ!伊逹政宗ぇぇぇぇっっっ!!!」
「真田ァ、幸村ァァァッッッァァッ!!!」

互いの名を叫び互いだけを見詰め、互いの存在だけを意識する。
誰も二人の間には入れない――そんな気がした。

昔とまったく同じ光景が目の前に広がっている。
ここは体育館ではなく、何処かの合戦場じゃないかとさえ錯覚した。
目の前が紅に染まっていく。
失うかもしれないという焦燥感が身を焼き、居ても立ってもいられなかった。

(また、喪うのだろうか―…?)

ふと、そんな考えが脳裏をよぎった。
それを皮切りに、嫌な想像が次から次へと押し寄せる。

(嫌だ。また旦那を失うなんて耐えられない。旦那―…)

佐助は唐突に席を立つと、外へと飛び出した。



戻って来た頃には幸村は負けていて、二人が礼をして試合を終えた所だった。
そのまま引き続いて表彰式が行われたが、
見ている事が出来ずに佐助は一人外へ出て風に当たっていた。

暫くすると、表彰式を終えたらしい幸村がまだ汗を滴らせたまま
道着姿で会場を飛び出て来た。

「佐助っ!こんな所に居たのか!」

タッと佐助に駆け寄ってくると、不安げな瞳で幸村は佐助を見詰めた。

「どうした?外なんかで……」
「ごめんね、途中で気分が悪くなっちゃって。試合、見届けられなかったね」
「そんなことはいい!それよりも大丈夫か?」
「うん。もう大丈夫。本当にごめん」
「謝らなくてもいい。気分が優れなかったのだからしょうがない。
 それよりも本当にもういいのか?医務室に連れて行ってやろうか?」

途中で試合を見る事を放棄したと言うのに、
気分が悪くなったなどと言う在り来たりな嘘に騙されて本気で心配してくれる
幸村に、佐助は胸が熱くなるのを感じた。
自分が普段は裡に秘めたものを引き摺りだしてしまう。
幸村には昔からそんな不思議な力があった。
たとえ何も覚えてなくても、幸村はやはりあの頃の幸村だ。

感情が静かにあふれ出る。
悲しませたくないのに、自分のエゴを隠しきれずに望みが口から零れた。


「旦那。伊逹政宗にはもう近付かないで―…」
「何故だ?政宗殿は確かに我儘だし口も悪いけど、
 悪い方ではないのだ?そのように言うな、佐助。お前にも
 政宗殿を好きになって欲しい。だから、そんな風に言わないでくれ―…」

心底悲しそうな顔を幸村が浮かべる。
その表情に、胸が苦しくなった。
けして、悲しませたい訳じゃない。
過去の事を引き摺り、幸村を悲しませる事は絶対にしたくない。
だけど、それでもこれだけは決して譲れない。

血の海に横たわる華奢な肢体。
満足そうに笑う血の気の引いた顔。冷たく、重くなっていく身体。
最後の決着の刻、独眼竜に敗れた主。残された惨めな自分。
失う痛みに全身を引き裂かれ、主の死とともに人だった自分は死んだ。
残ったのは、慟哭に喘ぐ愚かな獣。

「もう、アンタを失いたくないんだ―…」

不意に、萌黄色の瞳から涙が零れた。
いつも明るく笑い、感情を見せない佐助の表情に幸村は切なくなる。

「佐助?一体どうしたのだ?佐助―…?」

そっと佐助の頬に触れようと伸ばした手を掴まれ、ギュッとその胸に抱き込まれた。
一見すらりとした佐助の胸板は意外にも厚く、自分よりずっと逞しかった。

(温かい。それに、懐かしい―…)

胸を満たす感情を何と呼べばいいのか解らない。
ただ、ずっとこうやって抱締められていたいという思いに駆られた。
おずおずと戸惑いながら佐助の背に幸村は手を回す。
それに応える様に佐助も幸村を更に強い力で抱き返した。


ふと、幸村の脳裏に妙な光景が浮かんだ。
佐助と瓜二つの迷彩を纏った忍と、自分と瓜二つの赤い装束の武士。
今の自分達と同じ様に、互いの体温を求める様に
血に塗れた身体をギュッと寄せあっていた。

“愛しているよ、旦那。だから、逝かないで―…”

悲哀に満ちた愛しい声が耳の奥で蘇る。
その瞬間、幸村もまた佐助と同じように涙を零した。

「佐助―…」

その名を呼べば、愛しさが込み上げてきた。
何が悲しいのか解らないまま、ただ涙だけが流れて頬を濡らした。
何となくだが、佐助には涙の意味が解っている様だった。
それを共有できない事が酷く悲しく思えて、ますます涙は止まらなくなった。
追い打ちをかけるように、切なげな佐助の声が耳元で囁く。

「ねえ、思い出して。思い出してよ、旦那」
「佐助?」
「寂しいよ―…」

そう呟いた声が、幸村の胸の中にポツリと残った。
思い出すべき過去が見当たらない。
とても、とても大切な事だったはずなのに、何も思い出せない。

その苦しさから逃れる様に、幸村はただ、温かな佐助の胸に縋った。






--あとがき----------

清香様、リクエストありがとうございましたvv
切ない現パロの佐幸ということで、輪廻転生ネタで書かせて頂きました。
幸村は基本後悔なく生きてるので転生しても
過去を覚えてなさそうですが、佐助は覚えてそうです。
自分だけ過去を覚えている佐助の苦悩を中心に書いてみました。
拙くとりとめない話ですが、楽しんで頂けたら幸いです(汗)
リクエスト、本当にありがとうございましたvv