+++++最終話 帰炎+++++


そっと頬に触れた酷薄な唇。暖かなその感触に胸がざわめいた。
自分の頬に手を当て、幸村はきょとんとした顔で政宗を見詰めた。

佐助はさっと幸村の肩を抱き寄せて自分の方に寄せると、
鋭い瞳で政宗を睨みつけた。
だが、相変わらず政宗は薄ら笑いを浮かべて余裕を滲ませた顔をしている。

「そう気安く旦那に触らないでくれる?」
「Ah?kiss一つでガタガタ抜かすんじゃねぇよ」
「アンタにはたかがでも、旦那にはそうじゃないんだけどね」
「返してやったんだから文句言うんじゃねぇよ。
 それとも、一生オレの手元に置いといてやろうか?」
「ふざけないでくれる?旦那は甲斐にとって無くてはならないお人なんだよ」
「まっ、そうだろうな」

クククッと喉の奥で笑う政宗を不快そうな顔で佐助が見遣った。
当人である筈の幸村は二人の奥州に滲む感情も意味も解らず、
ただただ交互に二人の顔を見比べて戸惑うしか出来ない。

「さ、帰ろうか旦那」
「お、おう」

幸村の手首を掴み、引っ張って茶室を退室しようとした佐助の
手をやんわりと解くと、幸村は政宗に歩み寄った。

「あの、政宗殿……」
「What?何だ真田幸村」
「その、此度は助けて頂き本当に有難うございまする!
 この御恩、いつか必ずやお返しいたします」

深々頭を下げる幸村に、政宗が穏やかに微笑んだ。

「気にすんな。その代わり、戦場で逢った時にオレを楽しませてくれればいい」
「はい!必ずや、頂きの頂上にて決着をつけましょうぞ!」
「Yha!負けねぇぜ。必ずアンタに勝つ!」
「某こそ!」

燃える様な闘志を滾らせる二人の間には入る隙間など無いようだった。
別れの時ぐらい水を差すまいと、グッと佐助は拳を握って堪える。
身の内を焼く様な焦燥を、引き千切られる様な喪失感を―…

「それでは、某はこれにて失礼致す。片倉殿や伊達軍の皆々様方にも
 本当にお世話になり申した。よろしくお伝えくださいませ」
「おう。伝えとくくぜ」
「ありがとうございます政宗殿。それでは」
「I love you. 幸村」
「え?申し訳ござらぬ政宗殿。某、南蛮語は解らぬ故。なんと申されました?」
「いや、なんでもねぇ。See you again!また会おうぜ!」
「あ、はい!では」

届かないと解って伝えた言葉。
もし、幸村に解る言葉で告げるだけの勇気があれば
待ち受けるだろう運命も変えられただろうか?
この地に、愛しい人を留めておくことが出来ただろうか?

(らしく、ねぇな―…)

切なげな笑みを振り払い、戦場で刃を交わす事に思いを馳せ
政宗は幸村の瞳を見詰めた。
微笑む幸村の瞳は何処までも真っ直ぐで澄み渡っていた。

「旦那がお世話になりました。独眼竜、伊逹政宗さん」

何処までも無感情な貌と声でそう告げると、
佐助は幸村をフワリと抱き上げた。

「うおっ!?さ、佐助、どうした?」

唐突に抱き上げられた事に驚いた声を出す。
零れ落ちそうなくらい大きく見開いた瞳で見詰めて来る幸村に、
さっきまでの無表情が嘘の様な優しい笑みで佐助が返す。

「旦那、怪我してるでしょ?俺様が運んであげる」
「大丈夫だ。動けるまでには回復している。奥州から甲斐は遠い。
 お前がくたびれてしまう。ちゃんと歩いて帰る」
「おいおい、オレは別にケチじゃねぇ。馬二匹ぐれぇ貸してやるよ」
「結構。これ以上アンタらの世話になる気はないんでね」
「shit!可愛くねぇ忍だな」
「そりゃどーも。可愛くっても人生損するだけだからね」

薄ら笑いを浮かべて佐助は幸村を横抱きして背を向けた。
初めは抵抗するような動きを見せていた幸村だったが、
すぐにほっとした様な表情を浮かべて佐助の腕に身を委ねていた。
首に回された幸村の腕が二人の信頼を物語る様だった。

もう一度礼をして、佐助に抱かれて去っていく幸村を政宗は見送った。
漆黒の闇を纏いし者に包まれ、蒼穹を過ぎっていくその姿が見えなくなるまで。

ハラハラと舞い散る黒い羽根が地上に堕ちる。
その羽根をまるで悪魔の羽根だと感じるのは醜い心が故か、
それともあの忍が身に纏う闇の気配の所為か―…
どちらにせよ、この手から大切なモノが離れた喪失感には変わりない。

ふっと溜め息を吐くと、政宗は見送るのを止めて屋敷に戻っていった。




何処までも続く青。
その青よりも尚深い蒼を纏う者の存在を思い出して佐助は眉を顰めた。

「どうした佐助?やはり、重いだろう?降りて歩く」
「いや、大丈夫だよ。ごめん、違うんだ」
「ならば、何故そのような顔をする?」
「うん、俺様が不甲斐ないばっかりにアンタを独眼竜に……ごめんね」
「そんな事、気にするな。俺とて力不足だった。すまぬ」
「謝らないでよ。悪いのは俺様だよ」
「そんな事はない!お前は無事、お館様と皆を甲斐まで届けてくれた。感謝してる」
「旦那のお陰だよ」

そう言って泣きそうな困ったような笑みを浮かべる佐助の首に、
ぎゅっと幸村は縋る様に腕を回した。

「顔向けできないんだ。俺は。お前やお館様に―…。
 なのに、お前が謝ったり礼を言ったりしてくれると、辛い」

苦しげに呟く幸村の首筋に残された紅。
片手で鴉の足を掴み、残った手で幸村の腰を抱いているので空いている手が無い。
それがとても惜しかった。

「旦那……」

幸村の首筋に唇を寄せ、そっと紅目掛けて口付けた。
身分とか立場とか全ては遠い柵の向こうに置いてけぼりになっていた。
薄い皮膚を吸い上げると、政宗が付けた痕を消す様に佐助は
自分の刻印を刻む。

「あっ……つっ」

短く上げられた声に色っぽさが混じっていて、思わず自身の雄が反応する。
こんなに身体を密着した状態では幸村にそれを気取られるのでは
ないかと一瞬不安になったが、幸い鈍い彼は何一つとて気付かなかった。

「どうした佐助?俺の首に何か?」
「ん〜、あぁ。蚊が止まっていたから刺されないように守っただけだよ」
「そうか?済まぬな」
「どういたしまして。それよりお館様がすごく心配していたからちょっと急ぐね」
「なんと、お館様が?早く無事を知らせねばな。頼むぞ佐助!」
「はいよっ!しっかり掴まっててね、旦那!」
「おう!」

さっきよりもより強く回された腕に、彼の存在を強く実感した。
確かに帰って来た。甲斐の大切な炎がこの腕に―…

(もう二度と、他の奴に好きにさせない。旦那―…)

応える様にギュッと幸村の腰に回した腕に力を込めた。
眼下の村を眺める幸村の瞳が何処か遠くを見詰めているのを感じた。
その心が今ここに無いような気がして怖かったから、
もっと、自分が居ることを強く伝える様に細い身体を抱締めた。

「佐助、ただいま」

まるで、自分の心を読みとったような幸村の言葉に佐助はハッと瞳を開く。
幸村の方を見ると、穏やかな愛しさの溢れる瞳が自分を見詰めていた。

(ちゃんと帰って来たんだね、旦那)

「おかえり、旦那」

柔らかな声で佐助が返す。
すりすりと柔らかな頬を摺り寄せる幸村に、佐助もそっと頬を寄せた。






--あとがき----------

思った以上に長くなった(笑)
普段は押せ押せな政宗も、流石に幸村相手だと少し弱気です。
結局、恋愛には決着付かずです。
幸村はまだ恋愛を理解できてないので暫く決着はないでしょうね(笑)
佐助は流れと雰囲気で“I love you”の意味を理解してます。
なので対抗して幸村を抱き上げました。