最終話  ―終末の光―


才蔵の小太刀と佐助の巨大手裏剣が交わり、激しく火花を散らす。
忍の貌を浮かべ、容赦なく切り合う二人の血が部屋を、布団を赤く染めた。
どちらも大切な人に違いない。
その二人が切り合う光景に幸村は愕然とした。
必死で二人を止めようと喉の限り叫ぶが、幸村の声は届かない。

(どうしたら二人を止められる?俺の声じゃ届かないのか―…?)

忍として裏切り者は容赦しないのが掟だ。
佐助も才蔵も負けず劣らずの優秀な忍。だとすれば、どちらかが
倒れるまで二人の決着はつかないのだろうか?
ぐっと拳を握り締め、幸村は俯く。
手を縛られた状態では二人が戦う傍に近付く事しか出来ない。
服を着るのも忘れ、幸村は夢中で叫び、自分を縛る紐を解こうと引っ張るが
全ては徒労に終わった。
そうしている間にも、二人は互いを傷つけあっていく。
戦況は佐助の方がかなり優位だった。

「ぐあぁっ!」

才蔵が呻き声を上げ、幸村の隣りにドサリと倒れた。
鳩尾を手裏剣で殴られて力が抜けたのか、足が震えている。

「ゆ、きむら、さま―…」
「才蔵っ、大丈夫かっ!?」
「く、不覚を……とりました」

皮膚は裂けていないものの、あの固く頑丈な手裏剣を鳩尾に叩き込まれては
才蔵と言えども流石にけっこうなダメージを受けるようだ。
幸村の横に蹲る才蔵に佐助がゆっくり歩み寄り、手裏剣を向けた。

「止めろ佐助っ!相手は才蔵だぞ!もう、止めてくれ……」
「だ、んな―…」

寂しそうに、佐助が笑う。まるで諦めた様な顔だった。
スッと手裏剣を降ろした佐助に、この機を逃すまいと才蔵が渾身の拳を叩き込んだ。

「ぐはっ!」

ガクリと崩れ落ち、佐助は身体を折り曲げて膝を付いた。
某行する気も抵抗する気もまるでない。幸村にはそんな風に見えた。
才蔵は刃の切っ先をその首へと向けた。

「佐助、主たる幸村様に牙を剥いたお前に待つのは……解っているだろう?」
「わかってた、ぜ……」
「だったら何故、こんな馬鹿げた真似をした?」
「俺は、お前ほど賢くも無にも成れない。業が、深いのさ」
「そう……だな。後悔は、ないか?」
「無いよ……」

ほんの束の間だけど、戦の世も身分も関係ない、
二人だけの穏やかな時を過ごせた。それだけで、死ぬほどの幸福を味わえた。
どの道、武田に居られないのなら、幸村に看取られて逝くのが
一番の幸福に違いない。
一度目を閉じ、再び見せた佐助の瞳の色は美しく澄んでいた。
目と口とが、顔の左右が微妙に違う表情に見えるのは気の所為でないだろう


曖昧な佐助の表情に才蔵は眉根を寄せた。
才蔵の漆黒の瞳が一瞬だけゆらりと揺れた。
彼にも冷たく成りきれない面が僅かにある事を佐助は少し嬉しく思った。
同僚と最愛の主の前で死ねるなら、何も怖くはない。
覚悟を決めた佐助を、温かく柔らかな衝撃が包んだ。
ハッと佐助が顔を上げると、幸村が自分を抱締めていた。

「だん、な……」
「幸村様……!」
「才蔵、刀を収めてくれ。佐助も、もうよい」
「幸村様、佐助から離れて下さい。奴は、貴方を裏切り、傷付けました」

苦しそうな顔で構えを取る才蔵に幸村は手を伸ばす。
そっと小太刀を握る手を握った。
途端、才蔵は力を失ったように小太刀をするりと手から落とした。

「俺を心配してくれておるのだな、才蔵。ありがとう」
「礼など、勿体なきお言葉にございます」
「いや、お前はいつも俺を大切にしてくれている。本当に感謝している」

にこりと微笑む幸村に、才蔵は頭を下げた。
彼の全身を包んでいた殺気は消え失せていた。

「才蔵、この事はお前の中に留めてくれぬか?
 佐助を、どうか罰しないで欲しい。俺が悪いのだ。佐助に謀反の気などない」
「し、しかし……」
「頼む、才蔵」
「……はい幸村様の仰せのままに」
「ありがとう、才蔵」

幸村と才蔵の会話を茫然と聞いていた佐助に、幸村の柔らかな手が触れた。

「だ、んな……何でだよ?俺様、アンタに手討ちにされるならいいよ。
 ね、俺様、アンタの元以外に居場所がないんだ。
 遠ざけられる位なら、喜んで殺されるよ。だから、俺様を罰してくれよ―…」
「馬鹿を言うな佐助。お前を手放すなど出来るものか。
 ましてやお前を罰し殺すなど、その様な事が出来る筈もないだろ」
「俺様、アンタに酷い事をしたんだよ―…」
「お前がこうした理由が、何となく解った気がした。
 済まぬ。俺が不甲斐なく向こう見ずなばかりにお前を不安にさせていた。
 だから、俺を捕えたのだろう。嬉しかった。そこまでお前が俺を大事に思ってくれて。
 同時に、いかに俺がまだ未熟かも思い知った。礼を言うぞ、佐助」
「馬鹿旦那、礼なんて言うなよ。全部、全部、俺様が悪いのに―…」

堪え切れず、佐助は泣き出しそうな表情になった。
幸村の手の温度が優しくて、心が締め付けらる。

「ごめん、ごめんね、旦那―…!」

ギュッと幸村を抱き返すと、その肩口に佐助は顔を埋めた。

「もう、紐を解いてくれるな?
 約束する。もっと強くなり、お前を不安にさせぬと。だから、な?」
「うん」

コクリと佐助は頷き、幸村から腕を離して苦無で紐を解いた。
手首を擦る幸村を佐助が気遣うように覗う。
不安げな佐助に力強く幸村が頷いてみせた。
それに対して、漸く佐助もほっとした笑みを浮かべた。
才蔵も安心した表情を浮かべたが、それは束の間の事だった。
目の前には、大問題が一つ残っていた。

佐助が付けただろう情痕の残った一糸纏わぬ身体。
白い肌、柔らかく色っぽい身体のライン、下半身が全て露わになっている。

幸村が童の頃はそんな事はなかったが、元服してからは
その身体をまともに見るとどうにも才蔵は心が掻き乱された。
忍にあるまじき事だとは割っているけど、どんなに心を殺しても
それはどうにもならない。
緊迫したさっきまでは意識してなかった幸村の身体に意識してしまい、
才蔵は内心慌てふためいた。

「あの、幸村様……」

黙って事の顛末を見守っていた才蔵が、
戸惑ったように遠慮がちな声を幸村に掛けた。
きょとんとした顔で振り返った幸村から才蔵はパッと顔を背ける。
俯いた顔こそはあまり見えなかったが、耳がほんのり朱に染まっている。
それが珍しくて、幸村は思わず才蔵にズイッと近寄る。
すると、才蔵は今度は頬も軽く赤く染め慌てて一歩下がった。
その意味に気付いた佐助はニヤニヤと意地悪い顔で笑って才蔵を見た。
だが、才蔵の股間の辺りを見るとあちゃ〜という表情になり、目を手で覆って天を仰いだ。
才蔵が頬を染める意味が解らない幸村は首を捻って無垢な瞳で才蔵を見詰める。

「どうしたのだっ?才蔵」
「そ、その、恐れながら幸村様、その、早く服を召して下さい」
「ぬ?」
「いえ、あの、目の毒……い、いえ、風邪をひいてしまいますから」
「おお!そうだな」

にこっと笑うと幸村は落ちていた着物を着始めた。
才蔵はホッと息を吐いた。
主にドキドキするなど、佐助の二の舞だ。気を付けないとと気を引き締める。
そんな才蔵に佐助がそっと耳打ちをした。

「才蔵、手を出すなよ」
「だ、誰が出すかっ!俺はお前のように邪な気持ちなどない!」
「ふ〜ん、だと、良いけどね」
「黙れ、佐助」
「へいへい」

こそこそ話し合う二人に、着替えを置いた幸村が割入ってくる。

「何をこそこそしている、二人共!俺を混ぜぬか!」
「あ〜、旦那はい〜の、な、才蔵」
「はい、幸村がお気になさることはありません」
「何だ?何を話していた?気になるではないか!」

ム〜ッと頬を膨らませる幸村に佐助も才蔵も自然と頬を緩めていた。
やっと、暗闇から伸びてきた手に解放された様な気がした。

「さあ、屋敷に帰ろうか。お館様が心配しておられる」
「そうだね。本当にごめんね、旦那。謝って許されることじゃないけどさ」
「怒ってなどおらぬ。だから、お館様への言い訳はお前が考えろよ」
「ええ〜っ!お館様をたばかるなんて俺様には難し過ぎるぜ」
「馬鹿を言うな佐助。お前に出来ねば俺にはもっと出来ぬは。任せたぞ!」

そう言って笑いながら幸村は元気に外へ走り出して行った。

「待ってよ、旦那〜っ!行くぜ、才蔵!!」
「ああ」

駈けていく幸村を追って、闇に生きる忍二人もまた、
明るい日の元へと駈けだして行った。








--あとがき----------

漸く書き終えました〜っ!
いやぁ、長いのか短いのかよく解らないです。
才蔵でばっててごめんなさい。
もう、ただただ疲れました(笑)