「甘い誘惑」





穏やかな日差しが降り注ぐ昼下がり。
黒毛の馬に乗って紺の着物と黒の羽織に身を包んだ政宗は、
奥州を逃げ出して甲斐の外れに足を運んだ。

「ったく、小十郎の奴、オレの顔見る度小言ばっか言いやがって……」

暫く米沢城には帰りたくない。
帰ったら小十郎の雷が落ちるのは必至だ。
奴がクールダウンするまで適当に時間を潰そうと、馬を下りて政宗は歩いた。
しかし、自分でも無意識の内に甲斐まで来るなどと、
相当あの炎に目を焼かれているようだと彼は溜め息を吐く。

(まさか、会いに行く訳にもいかねぇのにな……我ながらfoolじゃねえか)

相手は敵将だ。いくら領地の甲斐とは言え流石に一人でフラフラしている
筈もないし、安々と城から出てこんな町外れを歩いているとは思えない。
自分と違って主君に対し忠誠を尽くす真面目な奴だ。
内政をサボって小言を言われている自分のような事はよもやしてまい。
となると甲斐に来ても町外れじゃ会う事は不可能だろう。
かといって上田城まで行けば、戦いになるのは必至だ。
それがライバルとして出逢った宿命。

(そう容易くは、会える筈がねえか)

ピタリと足を止め、政宗は近くに見える茶屋に視線を遣った。
あそこで茶を飲んで一服したら、これ以上小十郎を怒らせない内に帰ろう。
そう決めて、茶屋に向かった。

そこには、以外な人物が居た。



鮮やかな唐紅の着物に薄墨色の袴を纏い、茶屋の外の椅子に座って
ぼんやりと茶屋の前に広がる芒を眺めているその人物は、
紛れもない、会いたいと願っていた真田幸村その者だった。

「まさか、こんな所でアンタに会えるとはな」

政宗の声にピクリと反応し、
芒の群れを眺めていた幸村はハッと顔を上げた。
もとから大きな瞳を更に真丸にして見詰め返して来た
幸村に、政宗はニヤリと口の端を吊り上げる。
ズカズカ近寄ってくると、政宗は幸村のすぐ横に腰を降ろした。

「よう、真田幸村」
「ま、政宗殿!何故、このような場所に貴殿が!?」
「それはお互いさまじゃねえのか?
 ま、こんな所で剣抜くつもりはねえよ。アンタ、二槍持ってねえだろ」
「おっしゃる通りにございます」
「オレも六爪は持ってねえ。それに、ここじゃ民を巻き込んじまうしな」
「そうでござるな。しかし、まさか甲斐に貴殿がお見えになっているとは」
「Ah、別に用が有って来たんじゃねえよ。何となくだ。
 それより甲斐っつても国境に近いだろ。お前こそ一人で何やってんだよ」
「う、それは―…」

覗き込んでくる青みがかった黒い切れ長の瞳から逃れるように
幸村は視線を反らせた。
その時、茶屋の若い娘がお盆を持って幸村の傍に寄ってくる。

「お待たせいたしました」

そう言ってコトリと幸村の隣りに餡の乗った団子を置いた。
「か、かたじけのうござる」顔を上げぬままぺこりと頭を幸村が下げると、
若い娘は「よくいらして下さるから2本おまけしましたから」と
笑い掛けて去っていった。

「Ha〜、なるほど、ね」

ニマニマ笑いながら政宗は幸村に視線を遣った。
顔を真っ赤にして俯きながら、幸村は額から汗を垂れ流している。

「あ、いや。その、これは―…」
「アンタ、甘党だったのか?」
「う、お恥ずかしゅうございます。仰る通り某は甘い物が好きなのでござる」
「それでこんな所に一人でいるってわけか」
「はい。ここの団子は甲斐でも美味いと評判で……」
「へえ、で、食べに来たってわけか。
 でもよ、何だって一人なんだ?忍はどうした」
「佐助なら任務が終わったばかりで疲れていたので、一人で」
「猿じゃなくても、他にもいるんだろう?そいつに買いに行かせたらいいだろうが」
「まあ、そうなのですが、店の方が出来たてが食べれるから」
「そうかい。ま、邪魔しねえからゆっくり食いな」

自分は娘に茶を頼むと、幸村の横顔をそっと見詰めた。
観察されているのにも気付かず、幸村は瞳を輝かせて餡子がたっぷりのった
団子を口に頬張った。
穏やかに微笑む様子は戦場とはまるで別人のようだ。
トレードマークの様につけている赤い鉢巻もしておらず、
まるく柔らかそうな額が露わになっていた。

(へえ、戦場じゃ騒がしいけど普段は静かなんだな―…)

団子を食み、時折前に広がる芒の群れに目を遣って穏やかに微笑む。
戦場では紅蓮の鬼とさえ呼ばれる男とはとても思えなかった。

(睫毛、長いな。それに、大きな綺麗な目だ。柔らかそうな唇してんな)

これほど幸村の顔をゆっくりじっくりと観察したのは初めてで、
改めて彼の美貌を思い知る。

じっと見詰められて居心地が悪くなったのか、幸村が少し身じろいだ。
暫く何か考えたようあと、団子が乗った皿を政宗に差し出した。
最初は6本あった団子が、すでにもう後2本しか乗っていなかった。
幸村の突然の行動に政宗は眉を顰めた。

「どういうつもりだ?幸村」
「いえ、お一ついかがかと思いまして」
「Haa?何だ、急に」
「さっきからじっと此方を見ておられたので」

――いや、見てたのは団子じゃなくてお前だ……

勘違いされても可笑しくないかもしれないが、
あんな熱のこもった眼で団子をみる奴なんてそうそういない。

(やっぱ、pureな奴だぜ―…)

不名誉過ぎる誤解。
これじゃあまるで自分が団子に目がないみたいだし、
食い意地が張ってるようで恰好が悪い。

はぁ〜と大きく溜め息を吐くと、政宗は幸村を真っ直ぐ見詰めた。

「じゃあ、頂くぜ」
「どうぞ。とても美味しゅうございますぞ」
「ああ、すげぇ美味そうだ」

幸村が団子を差し出す手を掴み、政宗は顔を近付けた。

突然迫って来た端正な顔に幸村は驚いて動けなかった。
迫って来た形の良い薄い唇。
唇に触れるかと思ったそれは直前に逸れて、唇より少し横に触れた。
生温かい舌が幸村の唇の横についた餡子をペロリと嘗めとった。

自分の唇の横に触れた政宗の唇。
口の端と僅かにだが確かに唇に触れた舌。
突然の事に唖然として幸村は目をパチクリさせた。
嘗めとった餡子を呑み込むと政宗は掴んでいた手を離して身を引いた。
自分の唇を舐めて、唇の端を持ち上げて彼は笑みを浮かべる。

「very sweet やっぱ、甘ぇな」

その微笑は艶っぽさと雄々しさを兼ね備えて、美しい獣のようだった。
呆然として幸村はうっかり団子の乗った皿を手から落とした。

「おっと、危ねぇ!」

政宗はそれをキャッチして幸村の横へ置いた。
「おいおい大丈夫か?」と尋ねて幸村の顔を見上げると、
これ以上ないくらい頬が真っ赤に紅潮していた。大きな瞳はやや潤んでいて、
思わず政宗は此処で押し倒してしまいたい衝動に駆られる。

「幸村……」

低い声で囁く様にその名を呼び、幸村の腰に腕を回す。
身長は5cmほどしか差がないのにも関わらず、
細さは随分と幸村の方が細かった。
着物の袖から覗く手首も、驚くほど細い。
なかでも腰の細さはその辺の娘では太刀打ちできないほど華奢で、
強く抱締めたら折れてしまいそうだった。

今度こそ、唇を奪ってしまおう。
そう思ってゆっくり幸村に顔を近寄せた。

「ししししし、失礼致すっ!!!!」

大声で叫ぶと、両手を突っぱねて政宗を押し戻し幸村は立ち上がった。
団子の代金を置くと、そのまま猪の様に物凄い速さで
幸村は茶屋から逃げる様にして去っていった。

「おいおい、まだ残ってんぜ……」

好物だと言っていたのに、2本団子を残して逃げてしまった幸村に
政宗はまた溜め息を零した。

(オレとした事が、チッ、coolじゃねえな―…)

どうせ逃げられるのなら、最初っから唇を奪ってやればよかった。
女相手なら間違いなくそうしていたが、
幸村相手だとどうにも攻めあぐねてしまう。
今日見た限りでも解るが、彼はとんでもなく初心なようだ。
キスした訳じゃないのに顔を真っ赤に染めるなど、相当レアものだ。
とんだ箱入りお嬢さんに育てられたのだなと政宗は苦笑する。

クシャリと髪を掻き上げると、政宗は立ちあがった。
そして、店内に引っ込んでいた店員の娘を呼びだす。

「これ、持って帰るから包んでくれねえか?」
「はい。かしこまりました」
「あと、苺大福を5個、一緒に包んでくれ」
「はい」

代金を支払い、団子と大福の入った包みを受け取ると
政宗は団子屋を後にした。
繋いである自分の馬に行く途中でピタリと足を止めると、
唐突に振り返って後方にある木の上に話し掛けた。

「Hey!居るんだろう?降りてきな、猿!」

その声に呼応する様に、一つの影が足元からズズズッと出て来る。
迷彩服を纏った黄昏色の髪の男は不機嫌な顔で政宗を睨んだ。

「俺様、猿じゃないけど……」
「Ha!覗き見とはいい趣味とは言えねぇぜ」
「失礼だね。たまたまだよ。仕事帰りに通ったら
 敵のアンタとうちの旦那が呑気に茶なんて飲んでるからね。
 旦那を守るのが俺様のお仕事なの。放っておく訳にはいかないでしょ」
「チッ!どこもかしこも、腹心は鬱陶しい保護者やろうばっかだな」
「ちょっと、過保護の竜の右目と一緒にしないでよ!
 俺様は旦那の保護者じゃないっての」
「似たようなもんだろうが」
「全然違うよ。ていうかさ、うちの旦那に手、出したら殺すよ」
「ヤれるもんならヤッてみな。まあ、
 今日はテメェの相手なんざしてる暇は無いんで帰らせてもらうけどな。
 それより、これ、真田幸村に渡しときな」

政宗はそう言ってさっき受け取った包みを佐助に寄越した。

「毒なんざ盛ってねえぜ。見てたから解るだろ」
「そりゃ解るけどね。敵がなんのつもり」
「大した理由なんざねえよ。ただ、teatimeを邪魔しちまった罪滅ぼしさ」
「ふ〜ん。ま、ありがたくもらっとくよ」

包みを受け取ると、さっさと佐助は姿を消した。
その可愛げの欠片もない後ろ姿にチッと舌打ちをすると、
政宗も自分の馬に乗って奥州へと戻っていった。


今度、あの忍の目を盗んで幸村を今日の詫びも兼ねて奥州へ呼ぼう。
甘党の幸村なら、きっと奥州の名産品の“ずんだ餅”を気に入る筈だ。
その時には今度こそ、柔らかくて甘そうなあの唇を奪ってやろう――


密かにほくそ笑むと、政宗は甲斐を後にした。





--あとがき----------

時期的にはまだ出会ってそんなに経ってないくらいのつもりです。
共闘とかまだで、アニメでいうなら長篠よりちょっと前くらい。
その時の幸村は、まだ筆頭を「伊達殿」と呼んでそうですが、
個人的には「政宗殿」の方が好きなのでそちらで(笑)
佐助は仕事帰り本当にたまたま二人を見つけて、
監視開始です。もちろん幸村が敵とどうこうというのを
疑っているわけでなく、悪い虫が着かないように見守ってました。
この後日談で嫉妬する佐助の話も書きます♪