―冬籠り前―





夏の気配が遠退き、冷ややかな風が通りすぎる。
人々が寒さに身を震わすなか、そんなものは何処吹く風といわんばかりで、
屋敷の主である幸村は庭で半裸に近い格好で鍛練している。

華奢だが鍛え上げられた肉体からは湯気が出ていて、
澄んだ空気を白く染めては溶けて消える。
夏に見れば鬱陶しいささえ感じる光景だが、冬には暖かそうで思わず近寄りたくさえなる。
しかし、寒空の下白い肌を晒す彼は見目に寒々しく、佐助は眉間に皺を寄せた。

「だーんな、服を着なさいよ、もう」
「おう佐助!」

掲げていた槍を降ろして、幸村は笑顔を浮かべて振りかえった。
その笑みに眩むのを感じながら佐助は怒ったような顔を浮かべる。

「もう冬がすぐそこだってのに、何で服脱いじゃってんの、風邪引くよ」
「いや、鍛練していたら暑くなってしまってな」
「見てるこっちは寒いよ」

ため息を吐きながら佐助は上着を脱いで幸村に差し出す。
「要らぬ」と幸村は服を突き返そうとしたが、
商人が来るのを目敏く見付けた佐助は、有無を言わさず服を羽織らせる。
幸村は一瞬不思議そうな顔をしたが笑顔でありがとうと礼を言った。

「こんにちは、幸村様。ご注文の品を届けに参りました」

若い薬売りの商人が一礼をし、背負っていた籠筒から
薬草や包帯などの商品を差し出した。
改めもせずに幸村は品を受け取る。隣りで見ていた佐助は苦々しい顔をしていたが、
溜め息を吐いただけで叱責することなく無言でその様子を見ていた。

「ありがとう、いつも注文してからすぐに届けに来てくれて助かる」
「い、いえ。そのような事、当然のことに御座います!
 いつも御贔屓にして頂き、ありがとうございます」

幸村の華のような笑みに若い薬売りの男は頬を染めて礼を返す。
それを佐助は口許に笑みを浮かべたまま、陰険な目で見ていた。
幸村に見惚れてぼーっとしている男に、
“いつまでいるつもりだ”と責めるような視線を向ける。
若い男は気に喰わないという顔で佐助が自分を見ているのに気が付くと、
怯えた表情を浮かべて、ワタワタと慌ててはぐらかす様に
荷を積んできた籠に手を突っ込み、何かを探った。

「あ、あの、幸村様にこれをと、預かって参りました!」

そう言うと、男は一通の手紙を幸村に差し出した。
流暢な字で真田幸村様と書かれている。
見覚えのない字に幸村も佐助も首を捻った。

「何方からこの文を預かられた?」
「いえ、名前は知りません。でも、この辺の方で無かったように思います。
 高貴な身なりの御人でした。これを上田城主の真田幸村殿に渡してくれと……」
「そうでござるか。ありがとうござる」
「いいえ。それではまた、御用の際はお呼び付け下さい」

深々と頭を下げると、若い商人は上田城から出て行った。
手元に残された差し出し人不明の手紙を手で玩び、幸村はまた首を捻る。

「真田の旦那、それ誰からだろうね?心当たりは?」
「さあ、ないな」
「だよねぇ。俺様もその筆跡は見たこと無いし……。
 ま、見た所何か仕込んである風もないし大丈夫だね。
 それより、いくら顔見知りの薬売りだからって出された商品はちゃんと
 改めてから受け取れって言ってるでしょ?
 俺様がちゃんと一緒についてるときなら毒蛇やら暗殺道具やらが仕込んで
 あってもちゃんと見分けられるけど、旦那一人だったら気付かないでしょ?」
「確かに仕込んであるものには気付かぬかもしれぬが、大丈夫だ。
 あの薬売りが忍びの変装ではないことは解った。
 ちゃんといつもと違わぬ穏やかな気配を纏っておったぞ。だから用心せなんだ」
「まあ、旦那のそういった嗅覚は獣並だけどさ……」

まだ文句を言いそうな佐助を遮るように、幸村はバサリと音を立てて手紙を拡げる。
真剣な面持ちで字面を追う幸村を、佐助はじっと観察する様に見た。

「誰からなの?旦那。何て書いてあった?」
「ん?ああ、大したことでは無かった。
 佐助が居らぬ折に団子屋で知り合った御人から、よい店があるから
 今度行ってみるといいとの紹介だ」
「なにそれ、それって男?女?」
「男だ。何故性別を問う?」
「……別に。男、ね。なに、旦那ってば見知らずの男と仲良く茶飲んでたの?」

少しムスリとした表情になる佐助に、幸村は少し困った様に眉尻を下げる。

「何を勘ぐっておるのだ佐助。茶を一緒しただけだ。
 別に情報漏洩も、悪巧みも一切して居らぬぞ。俺がそんな事する筈もないだろう?」
「だーれもそんな心配してないよ。もう、いいよ……」
「では何が気にくわぬ?」
「はいはい、別に気に喰わないことなんてありません〜」

拗ねたようにそっぽを向いた佐助の手を、幸村がぎゅっと握った。
冷えていた手に幸村の熱が触れ、佐助は思わずドキリとした。

「すまぬ、少し軽率な行動だったやもしれぬ。以後、気を付ける」
「い、いいよ。そんなの。ゴメンね旦那、俺様ちょっと意地悪言っちゃった」

真剣な顔で謝って来た幸村に戸惑い、佐助はいつも通り温厚そうな表情を浮かべた。
幸村はホッとした顔をして、佐助の肩に顔を預ける。

「そうか、佐助が怒ったように見えてちょっと驚いたぞ。
 安心したら団子が喰いたくなった。すまぬが、団子を買って来てくれないか?
 その、さっきの御人が紹介してくれたのが越後の団子屋なのだが、よいか?」
「いいよ。じゃ、ちょっくら行ってきますかね」
「すまぬな。寒いのでよく着こんで行けよ。ゆっくりで構わぬ」
「はいよ」

幸村の頭を撫でると、佐助はサッと消えた。
完全にその気配がなくなると幸村はホッと息を吐く。
再度、その手紙を眺めて物憂げな表情を浮かべた。
息を深く吐き出すと、手紙を懐に仕舞い込んだ。

佐助に、嘘を吐いた―…
手紙は、団子屋で知り合った男からなどでは無かった。
手紙の差し出し人は佐助が今最も嫌う男、伊逹政宗――

「すまぬ、佐助」

ポツリと呟くと、幸村はそのままの服装で槍も持たずに飛び出した。
佐助の配下の忍が一人ついて来ていたのに気付くと、
申し訳ないと思いつつ彼を昏倒して、手紙に書かれた場所に幸村は走って行った。



芒が揺れる荒れ野。甲斐の外れに着くと幸村は愛馬から降りた。
草木ばかりの高原に一つ、男が佇む姿があった。
男は幸村に気付くと唇の端を持ち上げる。

「Hey!久しいな、真田幸村」
「伊逹政宗殿。お久しゅうござる……」
「どうした?そんな疑るような目はアンタらしくないぜ」
「失礼仕った。しかし、いきなり単騎でこのような場所へ
 呼び出されては疑う気持ちも生じますれば。御容赦のほどお願い致す」
「その割にアンタ、脇差すら持ってねぇじゃねぇか」
「貴殿が某を罠にかけるとは思えませぬ故、必要ないかと」
「HA!信頼されているようで嬉しいぜ、幸村。
 さて、固っ苦しいのは嫌ぇだ。離れてねぇでもっとこっちへ寄りな。会話しにくい」
「は……」

二、三メートル程離れていた距離を詰め、手を伸ばせば触れられる範囲に幸村は立つ。
政宗は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。

「して、手紙には今後の情勢について大事な話があると書かれておりましたが、
 どのような御用件でござろうか。貴殿の奥州とお館様の甲斐では同盟の契りも
 ございませぬ。もし対織田に向けてのその申し入れならば、某ではなく、
 お館様にお目通り頂けるよう、取り計らいましょうぞ」
「Ah〜、んな大層な用じゃねーよ。政治的なもんとか決着は今日は置いとけ」
「では、一体何用でございましょうか?」

会ってそれほど期間の経っていない政宗の性格はまだよく解らず、
幸村は不審げに首を捻る。
政宗はクククッと低い笑い声を上げると、一歩、また一歩と幸村に近寄った。

獲物を見据えるような蒼色がかった瞳。
獰猛な獣を思わせる野性味あふれる端正な顔が近付き、
幸村は思わず頬を染める。
恥かしさに似た感情が沸き起こり顔を反らしたくなるが、
瞳に吸い寄せられるように目を反らせなかった。

「なあ、オレが手紙を渡したお前の所によく出入りしている若い薬売りだけどな……」
「は?えっと、あの御人がどうかなされたか?」
「お前に気があるんじゃねぇか?」
「え?はあ、突然何を……」
「アイツがウキウキしている様に見えたからな。 
 本当はだからアイツに渡すのは嫌だったんだけどな、まあ、しょうがねぇな」

唐突に何を言い出すかと思えば、訳の変わらないどうでもいい内容。
ますます何がしたいのか掴めずに幸村は政宗の表情を伺う。

「話しが逸れちまったな。ここに来た目的なんて一つだ」
「と、申しますと……」
「アンタに会いたかった。you see?」

低い声で囁くその声に、鼓動が揺れた。
会いたい?何故?決着でも同盟でもなければ何故自分などに会う用があるのか。
全く理由が見当たらず、幸村はさらに不思議そうな表情になる。

「何故、某などに?」
「会いたいって事に理由なぞあるか?ま、強いていうなら
 奥州はこれから冬になる。そうなれば道は雪に閉ざされ春まで会えねぇ。
 その前に、アンタの顔を一目見たかったんだ」

不意に政宗の手が伸ばされる。
咄嗟のことで避けられずにいると、胸の中にぎゅっと抱き寄せられた。

いつもの青い陣羽織でない、着物に紺の羽織を着ただけの姿。
普段は甲冑に守られた胸板が、直接幸村の肌に触れた。
隠されていた胸筋は意外にも逞しく、胸板は広く分厚かった。
抱締められている事が恥かしくなり、体温が上昇する。
軽いパニックに襲われたが、暴れることが出来ずに幸村は大人しく抱締められていた。

「Ah、あったけぇな、お前。日溜まりみてえだ……」
「あ、あのっ、政宗殿っ!?」
「冬の間、奥州に来ないか?オレのこと、その肌で温めてくれよ」
「なっ、からかわないで下され!」
「Jokeじゃねぇ。本気だ。どうだ?オレと過ごさねぇか?」

耳元で吐息混じりに囁かれ、くすぐったさに幸村は首を竦めた。
政宗はそんな幸村の顎を掴むと、上を向かせる。
緋の混じった茶の瞳を覗き込むと、おもむろに唇を重ねた。
驚いたように大きな幸村の瞳が見開かれた。

「んんっ……むぅ……っ!」

幸村は慌てて政宗を引き剥がそうとしたが、
腰に回された腕は力強くなかなか離れなかった。
政宗の大きな下がふっくらとした唇を割開き、口腔内に滑り込んでくる。
生き物の様に舌が上顎をなぞり上げ、ゾクゾクした感覚に幸村は
ピクリと腰を跳ねさせた。
淫らな水音と、歯列をなぞり自分の舌を食む政宗の湿った舌。
熱い口内が更に熱くなり、下半身が妙な疼きを覚えた。
恍惚とするほどのえもいわれぬ心地良さに、幸村は抵抗を忘れた。
膝から力が抜け、自分より一回りは大きな政宗の身体に自分の身を預ける。
数分間、口腔を蹂躙され続けて頭がぼんやりとした。

「ふぅっ……あぅ」

政宗の唇が離れると、とろりとした瞳で幸村は頬を上気させていた。
ヘナヘナと地面に座り込む幸村に、政宗は口の端を吊り上げる。
半開きの唇から呑み込みきれなかった唾液が滴り落ちる様は
普段の純粋無垢な幸村からは想像できないほど淫靡で、政宗は理性が切れるのを感じた。

か細い手首を掴み、草むらの上に押し倒すと白い項に唇を寄せた。
そのままここで事に及ぼうと、幸村の上に圧し掛かる。

地面の冷やかさに我に帰った幸村は、慌てて政宗を跳ねのけて立ち上がった。

「な、なな何をなさるっ!政宗殿っ!」
「what? SEXだろーが。誘ったのはアンタだぜ?」
「せっくす?何でござるか?それは」
「まぐわい。平たく言えば交尾だ」
「こ、こここ、交尾っ!!破廉恥でござるぅ〜っ!」

大声で叫ぶ幸村に、政宗は大声で笑う。

「やっぱりアンタ、最高だぜ、真田幸村。
 なあ、マジでオレのところにこねぇか?」
「御冗談を!某はお館様のところを離れませぬ!佐助とて心配するし……」
「虎のおっさんはいいとして、Hum…猿、ね」

顎に手を宛て、政宗は面白くなさそうな表情を浮かべた。
そんな政宗の顔を幸村は訝しげに覗き込む。
すると彼は苦笑いを浮かべて軽く首を振った。

「いや、いい。それより、冬だけでも奥州に来いよ。 
 物見遊山ついででも、何でもいい。
 そしたら毎日オレとし合える。鍛錬には強い相手がいた方が良い。
 アンタにも、オレにも悪くない条件だぜ。
 それに、アンタが居たら奥州の寒い冬も乗り越せそうだ。
 アンタ、子供体温で暖かいからな。抱締めて寝たらよく眠れそうだ」
「某は湯たんぽではございませぬ。重要な話だと手紙に書いてあったから
 来たのに、このような冗談のような事を。からかわないで下され……」

ちょっと膨れっ面になって背を向けてしまった幸村を
背後から政宗が抱きすくめた。
彼は幸村の肩に顔を埋める様に顎を乗せた。
さらりとした髪が剥き出しになった幸村の鎖骨を滑り、
くすぐったさに幸村はピクリと身体を震わした。

「政宗、どの?」

黙って自分を抱締める政宗の顔を伺おうとしたが、
俯いた彼の顔は前髪に遮られて見えない。
戸惑う幸村の耳に、政宗の心地良い低い声が響いた。

「オレと来い、真田幸村。これから雪が降っちまったら
 顔が見たくても、会いたくてもオレは甲斐に行く事はできねえ。
 そいつぁ、オレにとって耐え難い。いつでも、アンタに会いたいんだ」

からかう様な口調が多い政宗に珍しく、真摯な声だった。
妙に胸がざわつくのを感じて幸村は口を噤む。
もちろん、彼と奥州に行く事など出来る筈も無い。
仕えるべき主の下を離れるなんて許されないし、自分自身望みもしない。
それなのに、断る事が出来ない自分が信じられなかった。
ただ、困った顔で抱締められているより他なかった。

気付いたら、自分を抱締める政宗の袖を縋るように握り締めていた。
口からは勝手に約束の言葉が零れ落ちて行く。

「雪が溶けたら、必ず貴殿に会いにゆきます。
 その時まで、某の身に宿るこの熱をお忘れ下さいますな。
 某も今、この身に伝わる政宗殿の温もりを春まで覚えておきまする」

その言葉に、政宗はフッと笑みを零した。
顔を上げるとそっと幸村を解放し、自分の方を向かせる。
無言で大きな瞳を見詰めた後、正面からぎゅっと幸村を抱締めて、
またスッと離れていった。

そのまま踵を返して背を向け、黒毛の愛馬に政宗は飛び乗る。

「All right!約束だぜ、真田幸村。今度はアンタから会いに来い」
「必ずや」

納得した様に頷くと、政宗は幸村の方を振り返って目を細めた。
夕映えに焼かれたその横顔が眩しくて、幸村は思わず見惚れてしまった。

「じゃあな、真田幸村。アンタの熱、この冬の間中オレの裡に灯しておくぜ!」

挨拶代わりに手を上げて、政宗は去って行った。
その後ろ姿を見送ると、幸村も自分の馬に飛び乗った。

政宗の触れた身体や唇が熱かった。
そっと自分の唇に触れ、幸村は羞恥に頬を染める。

佐助にばれない様に、平常心を保たないといけないのに。
何事も無かったように、屋敷で彼の帰りを待たないといけないのに……

消えない熱が宿った身体を持て余し、幸村は珍しく溜め息を吐いた。
その吐息は一瞬だけ白く残り、冬の空気に融け込んでいった。








--あとがき----------

ダテサナ、まだ出逢ったばかりくらいの話です。
なんかちょっと青春っぽい感じが好きです。
そういう甘酸っぱい雰囲気を目指して書きましたがいかなものか……

でも、書いていて楽しかったです。後悔はない(笑)