「純白の雪」





雪に白く染まった街道。歩を進める度にしゃりしゃりと
降ったばかりの雪が小気味良い音を立てる。
畦道も畑もが雪に埋もれ、白銀のまっ平らな景色に小十郎は重く溜め息を吐いた。
年のせいか年々寒さが堪えるようになった。
気温の変化などものともしなかった頃からの衰えにますます気が滅入った。

もっとも若くても寒さに弱いものも沢山いる。
その代表例は小十郎の主たる男だ。
年若い主の政宗は寒さが苦手で、雪が積もってからは部屋に閉じ籠っている。
朝もなかなか蒲団から出てくれない。
自堕落な主には溜め息がでるが、勝手に出掛ける事が
ないのだけはありがたかった。


畑の手入れを終え、小十郎はうんざりするほど白い景色を眺めながら
少し散歩に高じていた。通りかかった庭にふと目をやると、
純白に染まった世界に一つ華やかな紅が添えられていた。
椿の花だ。小十郎は思わず手を伸ばした。
刹那、何か予感めいたものが過る。
はっとして手を引き、小十郎は辺りを見渡す。が、変わった様子は何一つない。
首を捻り、小十郎はまた歩き出した。
暫く歩いていると童のようなはしゃぐ声が聞こえてきた。
何もない町外れの草原からだ。
子供が遊びに出向くには町から離れ過ぎている。
不思議に思い小十郎は声の方へ目を凝らした

長い尾がふわりと宙を舞う。白銀の世界を彩る鮮やかな紅。
澄んだ声を広野に響かせるのは、真田幸村だった。
驚いた小十郎は目を見開き、軽やかに舞う紅の袖を見詰めていた。
――いや見とれていたという方が正しいかもしれない。
戰場でも鮮烈な業火に目を灼かれる者が数多出るという紅蓮の鬼。
だがこんな日常で槍を持たず、普段着の時でさえ、
彼は目映い程の光を纏っていた。
戦場とは正反対の穏やかな顔付き。
相変わらず凛とした眸は何処までも無垢に澄んでいる。
見ていて心が洗われる感覚に侵され動けなかった。

だが、何故彼が奥州にいるのだろうか。
見た所一人だが、彼には優秀な忍が付いている。油断は禁物だ。

険しい面持ちを浮かべ、小十郎は慎重な足取りで気配を絶って近付いた。

聡くも幸村は小十郎の気配に気付いて振り返った。
真ん丸な瞳で小十郎を見ると、幸村は慌てて頭を下げて声を掛けてきた。

「か、片倉殿っ!?お久しゅうございまする!」

潔く挨拶され頭を下げられ毒気を抜かれた。
密かに手を掛けていた刀から手を離し、
幾分か表情を和らげて小十郎は幸村の傍にゆっくり近寄った。

「真田、こんな所で何してやがる?まさか偵察じゃあねーだろうな」
「まさか、そのようなことございませぬ!
 某、お館様より物見遊山をしてこいと言われ、休みを頂きまして。
 それで奥州にふらりと来てしまいまして」
「冬の奥州なんざ雪に埋もれてやがる。道は険しいし、何もねぇぜ」
「某、甲斐ではこれほどまでに雪は積もりませぬ故、目深な雪が見たくて。
 やはり、とても綺麗でございますな。一面白でござる!」

にこりと無邪気に笑むと、幸村は積もったばかりの雪に真正面から飛び込んだ。
ぼふっとまぬけな音がして雪が沈む。
雪に埋もれた幸村の背中を見詰め、小十郎は唖然とする。
なかなか幸村は起き上がってこない。
思い切り飛び込んだから打ち所が悪くて気絶したのだろうか。
心配になって小十郎は手を伸ばした。
その指先が触れるよりも前に幸村がと起き上がる。

「ぷはっ!やはり冷たいでござるっ!」

全身雪まみれになりながら楽しそうに笑う。
無防備な笑顔。随分幼く見える今の彼は戦場の紅蓮の鬼とまるきり無縁のもので、
小十郎は警戒心を完全に解く。

「当たりめぇだ。冷たいに決まってんだろうが。ったく何やってんだてめぇは」

小十郎は幸村の服に着いた雪を払う。

「か、かたじけのうござる」
「いいからじっとしてろ」

服の雪を払うと、小十郎は幸村の顔に手を伸ばした。
小さく筋の通った鼻の上に白い雪が乗っている。
それを退けてやると、澄んだ薄茶の瞳と目があった。途端に目が逸らせなくなる。
奇妙に鼓動が跳ねるのが自分の体内から聞こえた。
意思とは無関係に手が幸村の頬に伸びていた。
触れた肌は柔らかで熱い。
このままずっと触れていたいと思わせる上質感で滑らかな触り心地だった。

「か、片倉殿?」

じっと小十郎に見詰められ、幸村は恥ずかしそうに身動ぎした。
そっと瞳を臥せると長い睫毛が頬に影を落とす。
きっと着飾ったらかなり上物になるだろうと小十郎はふと思った。

紅の着物も薄墨の袴も品良く上質ではあるが、飾り気が無く地味だ。
髪を束ねる紐も白の粗末なただの紐で、華やかさに欠ける。

何より驚くべきなのは、この北国の真冬の中にあって
幸村は一枚の衣しか纏っていない事だ。
せめて羽織か外套くらい着てこれなかったのかと、小十郎は呆れた。
頬に触れていた手を離して、まじまじと幸村を上から下まで眺める。

筋肉質だが薄く細い肢体。肩幅も随分と狭い。
衝動的に手を伸ばし、小十郎は幸村の腕を掴んだ。
急なことで対応出来ずに、引き寄せられるままに幸村は
小十郎の胸の中に倒れ込んだ。
腰に手を廻し、小十郎は華奢な身体を抱き締めた。

柔らかく暖かい身体はウサギや小鳥のような小動物を思わせた。
とても信玄という大虎の拳を受けている身体とは思えなかった。

「か、か、片倉っ!?そ、その、こここれは」

初らしく顔を真っ赤にして狼狽えたような瞳で見上げてくる幸村は好ましく、
百戦錬磨じみた小十郎の悪戯心を擽る。

「真田、こんな薄着で風邪を引くぞ。信玄に仕える大事な身体だろうが、
 もうちっと着込んできな」

そう言うと小十郎は腰に廻した腕に更に力を込め、下半身をも密着させた。
ますますあたふたし、耳まで赤くする幸村にククッと低い笑い声が漏れた。

「笑っている場合ではございませぬ!こ、このような所、誰かに見られては…」
「ああ?何が不味いんだ?俺はただ薄着のお前が風邪など
 引かぬように暖めてやってるだけだ。他意はねえ。
 お前にはあるのか?下心みてーなものが。だったら睦み合うか?」

にやりと笑いながら見詰めると、幸村はぶわっと毛を逆立てて噴火した。

「む、むむむ睦みあうっ!?は、破廉恥でござるっ」

過剰なまでに反応する幸村に漸く小十郎は腕の力を緩めた。

「すまねぇ、からかい過ぎたな」
「なっ、冗談でござったか。からかわないで下され」

あからさまにほっとしたように幸村は胸を胸を撫で下ろした。
その態度につまらないという子供染みた感情が沸く。

小十郎は幸村の耳元へ唇を寄せて、
息を吹き掛けるように艶のある重低音の声で囁きかけた。
「お前は見目が愛らしいから、本気なら相手になってやっていいぜ」と。

「ご冗談を。某と片倉殿では釣り合いませぬ」
「ふっ、それもそうだな。俺のような歳かさは若いお前には相応しくない。
 政宗様の方が余程釣り合う」

自嘲気味に小十郎は笑う。
すると幸村はぎゅっと小十郎の節くれだった手を握り、声高に叫んだ。

「そのような事はございませぬ!片倉殿のように魅力な御仁に、
 某のような無骨な者は似合わぬという意味にございまする!
 貴殿にはきっと梨の花のような可憐でたおやかな女子が似合いでございましょう。
 某などでは暑苦しく、いかつくてとても釣り合いませぬ故」

手を握りながら必死に弁明する幸村に、小十郎は優しげな瞳を向けた。
随分小さく柔らかな手の感触。
だが一部には槍を握る名残のまめがあり、固いものが触れた。
それがより愛しさを与える。

このままこの手を引いて連れ去りたいなどという
不埒な願望が心の淵に暗い顔を覗かせる。
実行出来る筈のない想いに小十郎は苦笑を浮かべた。

「いや、やはり美童には美男子が相応しい」

独り呟くと、幸村は不思議そうに首を傾げた。

「美童?美男子?はて、なんのことでござろうか?」
「なんでもねぇ」

小十郎はやんわりと幸村の手をのけて踵を返した。
これ以上、真面目過ぎる若武者の束の間の休息の時を奪うつもりはない。
そう思い、幸村を残して歩き出した。

「片倉殿っ!お待ちくだされっ」

何を思ったのか、幸村は慌てて小十郎の方に走り寄ってきた。
だが深い積雪に慣れてないのか、足が埋もれて幸村は派手に転んだ。

「真田っ!」

幼子ではないというのに、たかが転んだだけの事がやたら心配になり
小十郎は少し焦った顔で幸村に走りよった。
脇の下を掴んでひょいと身を起こすと、岩に座らせて袴の裾を上げ足首を見る。
あれだけ派手に転んだのにとくに腫れた様子もなく、その頑丈さに驚かされる。

「なんともないみてーだな、ったく、気をつけな」
「うう、重ね重ね申し訳ございませぬ」

しゅんと項垂れる幸村が仔犬のように見えた。
それが可愛らしいと感じている自分は焼きが回っていると、小十郎は苦笑した。
歳も身分も相応しくない。
そう解っていても手を伸ばしたくなるほど眩しい光。
主の政宗の冷静さを、国主たる判断を削ぐ厄介な好敵手という初めの認識は脆く崩れ、
いつの間にか好ましく思っている。もっと触れたいと望んでいる。

「もう帰るか?まだ奥州を見て回るなら少し城下町を案内してやる」

小十郎がそう持ちかけると、幸村はパッと瞳を輝かせた。

「まことに御座いますか?片倉殿、是非お願い致しまする!」
「そうか、じゃあ行くぞ」
「はいっ!」

転ばぬように、小十郎はやや強引に幸村の手を握って手を引いた。
一瞬大きな瞳は戸惑いを浮かべたが、手を握り返してきた。

小十郎に手を引かれた幸村は、
雪に埋もれた道をキョロキョロしながら物珍しそうに道を歩いた。
何に対しても興味を示す幸村と喋りながら、小十郎は城下町を散策した。

穏やかな日溜まりのような時間。
今日だけは重責や国の憂いを忘れ、独りの男に戻っていた。



色々歩き回ったあとで、小十郎は一軒の茶屋に立ち寄った。

席に着くと、小十郎は品書きを幸村に渡した。
熱心に眺め、幸村は唸り声をあげる。そうとう迷っているようだ。

「迷っているのか?真田」
「はい、餡蜜とずんだもちとどちらも捨てがたくて。
 いやいや、餡の団子も美味しそうでござる」
「悩んでねぇで三つ頼めばいいだろう」
「いえ、お恥ずかしいのですが、某持ち合わせが少なくて」
「ああ、心配すんな。てめえのようなガキに払わせる気なんざねぇ、いいから全部頼め」
「なっ、いえ、自分のは自分で持ちまする故」
「いい。せっかくわざわざ奥州まで来たんだ。俺に持たせな」
「ありがとうございまする。では餡蜜と団子を」
「じゃあ俺がずんだにしよう。味見すればいい」
「誠にございますかっ?ありがとうございまする、片倉殿っ!」

素直に目を輝かせる幸村の頭を撫で、小十郎もうっすら笑みを浮かべた。

「ごゆっくりどうぞ」

机に全ての品が並べられた。
幸村は礼儀正しく手を合わせてから、早速蒸したての団子を頬張る。
柔らかな頬が膨らんでいる様の愛らしさに、小十郎は顔を緩める。

「美味しゅうございまする!」

口一杯に団子を頬張り、モチモチと口を動かしながらも、
その言葉遣いは年上の自分いる手前、相変わらず丁寧だった。

きっと彼の忍の猿飛佐助の前なら、
「うまいっ!」と乱雑な言葉が自然と出るのだろう。
そこまで気を許し合う二人を思うと仄かに嫉妬めいた感情が沸いた。
若くないのにと、小十郎は自嘲めいた笑みを漏らした。
まだ気持ちが若い証拠だといい方に発想転換する。
幸村が幸福に満ちた笑みで美味そうに甘味を頬張る前で、負の感情は無粋だ。

せっかくの安らぎを堪能しようと小十郎もずんだを口に運んだ。
美味い味に笑みを浮かべる。大きめに一口分切り分けると、幸村の口の前に差し出した。

「ほらよ、食いな」

差し出してから、小十郎はハッとする。
こんな親鳥が雛鳥に食べさせるみたいな事をしなくても、
相手は童じゃないのだから皿ごと差し出せばよかった。

そう思って後悔したが、幸村は疑いもなくパクリと差し出されたずんだを食べた。
そして「こっちも美味しゅうございますな」と笑った。
小十郎はおもわず面喰って声がでなかった。

そんな様子に気付かず、幸村は幸せなそうな顔で甘味を頬張った。
その顔を見ていると、心が洗われるような気がした。




甘味を食べおわってゆっくり茶を飲むと、二人は店を出た。

「今日は誠に有難うございました」
「いや、こっちこそ、な」
「とても楽しゅうございました」
「ああ、俺もだ」
「では、某はそろそろお暇いたしまする」

もう一度深々と頭を下げて幸村は踵を返そうとした。
その手を反射的に掴んで小十郎は幸村を自分の方へ向かせる。
短い前髪をそっと掻き上がると、丸い額に口付けを落とした。

「か、かたくら…どの?」

困惑した様な大きな瞳が見上げてきた。
自分も幸村と同様に混乱していた。
どうしてこんな行動に出たのか自分でも解らなかった。
だが、偽ることと隠す事に慣れた自分の表情は平然を保ったままで、
口からすらりと嘘が出た。

「挨拶だ」
「え?挨拶、でござるか?」
「ああ。政宗様に伺った。南蛮では別れ際に接吻をするそうだ」

幸村が一瞬キョトンとした表情になる。
だが、にこっと笑うと納得したという顔になった。

「なるほど!南蛮では変わった挨拶をするのでござるな!
 いや、某、そうとも知らず驚いてしまいまして。
 政宗殿も片倉殿も博識でございますな。某ももう少し視野を広げねば!」
「ああ、そう、だな」

上手い嘘をついたと自分自身に感心する一方で、小十郎は少し残念に思っていた。
あのまま、嘘など吐かずにいたら幸村は今、どんな顔をしていただろう。
どんな行動をとっていただろう。どう思っていただろう。
いっそ、「好きだ」とでも言っていたら、どんな返事がかえってきただろう―…
そんなことばかりが気になっていたが、今となっては聞く術がない。

氷のような冷静さを持つ自分が真田幸村を気にしている。
主の好敵手として、武士としてでなく、一人の人として―…
目の前にいるのは、敵国の将。一たび戦となれば命を奪いあう相手だというのに?

いたたまれなくなった気がして、小十郎は幸村に背を向けた。
「じゃあな」と今度は自分から別れを告げてゆっくりと歩き出した。

「片倉殿っ!」

少しだけ切迫した様な声が自分の名前を呼ぶのを聞き、小十郎はふいに振り向いた。
真剣な澄んだ瞳が自分の姿だけを映している。

「真田?」
「その、さっきの挨拶は、某以外にはしないで下さいますか?」

幸村の言葉に驚いて、いつもの冷静な顔を保てなかった。
何と返事していいかも解らず、小十郎はただ黙って幸村を見詰めた。

無音。世界を埋める白と静寂。
暫く、何も無い世界で小十郎と幸村は互いの姿を映していた。

数十秒の沈黙ののち、幸村はぼっと急に顔を赤くした。

「ち、ち、違いまするっ!深い意味など、けして!
 某はただ、片倉殿は男前である故、このような事をされたら女子が
 勘違いして惑わされてしまうのではないかと心配でっ!!
 挨拶をしただけで、沢山の女子に言い寄られては片倉殿も
 大変かと思いまして、ただ、それだけで大した意味はございませぬ!
 ――いえ、本当は某も良くわからないまま口にした次第でございまするっ!
 故に、忘れて下されっ!」

一気に捲し立てられた内容のほとんどは小十郎の耳を素通りした。
訳が解らなかったが、幸村のあまりの必死さに可哀相になって
小十郎はわからないまま頷いた。

「それでは、本当にそろそろ帰りまする。また、お会いいたしましょうぞ」

勢いよくお辞儀すると、幸村は馬に跨りかけていった。
その姿を見送ると小十郎も馬に乗って青葉城へと向かった。

また降り始めた雪が周囲の色を奪っていく。
寒さも一段と増したが、小十郎はもう陰鬱な気分にはならなかった。
瞼を閉じると、雪にも負けないほど純白な少年の顔が浮かんだ。






--あとがき----------

初の小十幸!
小十郎と幸村はほのぼのって感じがします。