「枯山の道化師」





武田信玄が病に伏した。
徳川に攻められて甲斐は衰退し、行く末に陰が指す。

「佐助、そろそろ判断しろ。このまま真田に残るか、蔵を変えるかを……」

里の忍頭にそう言われ、佐助は重い足取りで山道を歩いていた。
十勇士をはじめ、真田忍隊の事は長である自分に一任されている。
だから誰につくかも全ては意のままだ。
とは言え、枯れた山に居残るという愚かな判断を易々下せる筈もなかった。

忍頭が判断を任せたのは、自分の事を試しているからに違いない。
常道の忍衆ならば、間違いなく潮時と判断し袂を分かつだろう。
それが正しい道だと解ってはいる。
幸村に情を持った自分に忍として全うな判断が出来るか、
それを図るために忍頭が判断を委ねたなら、
ここで居残っては自分の地位、いや、最悪命すら危ない。

(あんな状態の真田の旦那を放っておくなんて、この俺に出来るわけない)

他の奴の下につくなんて、考えられない。もう、自分の中でとうに答が出ていた。
だけど、その答を忍頭に伝えられずにいた。
この問題は簡単じゃない。自分の判断が真田忍衆の行く末を左右するのだ。
無責任に全てを棄てるわけにはいかない。

暗い眸が甲斐まで続く山道を睨み付ける。
佐助は口から大きな溜息が漏れるのを抑えられなかった。

「佐助」

抑揚のない声に呼び止められ、佐助は足を止めた。
霧が立ち上り、木の幹に佇む才蔵の姿が現れた。
普段の冷静沈着な様子を崩して取り繕いきれず、
感情の滲んだ彼の顔に、佐助はあからさまに苛立ちを滲ませる。

「何か用?てかお前、着けて来てたろ?流石に盗み聞きはしてなかったみたいだけど」
「甲賀の忍頭に呼ばれただろう?何を言われた?」
「才蔵こそ伊賀から何か通達があったんだろ?そっちはなんて言われた?」
「……俺は、長であるお前の判断に従えと言われた」
「ふーん、そう」
「お前は何を言われた?」
「そろそろ行く末を決断しろってさ。俺様に一任する」
「どうするんだ、佐助」
「ま、真っ当に考えたら見限るのが正しいだろうね」

事も無げに言って退けた佐助に才蔵は切れ長の瞳をさらに鋭くした。

「馬鹿なっ!幸村様を見捨てるというのか!?」
「なに感情的になってんの才蔵。冷酷無比のお前が珍しい」
「黙れっ!俺は残る。喩えお前の決定に背き、命を狙われる身となってもだ」

胸ぐらを掴み、啖呵を切るようにそう吐き棄てた才蔵に、佐助は唇の端を吊り上げた。
堪えきれずにクックッと笑い声が漏れる。

「佐助、何が可笑しい?」
「いや、あのガチガチの才蔵を裏切らせるなんて、旦那は大した人タラシだなって」
「当たり前だ、あの人はこの世で一番お優しく、強く美しく、可憐な御方だ」
「だよねー。もう答は出てるみたいだな、俺もお前も……。覚悟はできてるか?」
「あの方の下以外で働くことなど、考えられん」
「そうだね。そう決まったら、もう甘さは捨てる。慰めもしない。
 あの人を大将にする為に、必要ならなんでもする。だから、お前も耐えろよ」

そう、指針を見失い落ち込む幸村には悲しむ時間すら与えられない。
遥か昔に封印した己を解き放ち、猿の目を持って立ち塞がるもの全てを薙ぐ。
人間で要られる幸村の元を選んだのに、
幸村と並べるようにあの冷血な己を棄てたいのに、
今度は彼を守るため再び猿を必要としついる。
その矛盾に、大切な人を追い詰めなければならない辛さに、
これから耐えなければならない。
里から追われ、仲間から命を狙われる事なんかよりもずっと覚悟が必要だった。

本当なら幸村を連れて、もう悩まなくていい、
戦わなくていいと抱き締めて守ってあげたい。
でも当の本人がそれを望まないだろう。
悲しいほど強く、そして脆い――

立ち止まり一点をじっと見詰める佐助を、訝しげに才蔵が除き込んだ。
佐助は何でもないと呟くように答えて再び歩き出した。




佐助が屋敷に戻ると、まだ落ち込んだままの幸村が信玄の
臥す床の間の前の庭で一人座していた。
食事も摂っていないし、睡眠も恐らくは摂っていないだろう。
戦開けの疲れた身体のまま、かれこれ二日は其処にそうしている。

「旦那、何時までそうしている気だ?」
「さ、すけ―…」

弱り切った瞳が力なく自分を見上げて来るのに、佐助は胸が痛かった。
こんなに弱った幸村を前に、守ってあげるとも
休んでいてもいいとも言ってあげることが出来ない自分の身分が、
酷く呪わしく、苛立たしかった。
隠しきれない感情が滲みでて、幸村にもその苛立ちが伝わる。
ただ、幸村は佐助の苛立ちは情けなく泣くしかできない
自分に向けられたものだと、そう思っていた。
不安げな瞳を更に不安げに揺らし、幸村は縋るような瞳で佐助を見詰めた。
それを無表情で見詰め返すと、佐助は冷たく告げる。

「決断しろ、旦那。アンタはこのままずっとそこでそうして居たいのか?
 このまま甲斐が責められ、他の領主の手に落ちるのをまっているのか?」
「それはならぬっ!お館様が守られてきたこの甲斐を、
 民の平穏を他の者に委ね、危険に晒す事だけは相ならんっ!」
「だったら、どうする―…?」
「解らぬ。俺は、どうしたらよいか解らぬのだ……」
「その瞳に映るのは何だ?真田の旦那。何故、アンタは今まで槍を振ってきた?」
「それは、お館様の為―…」
「それだけか?それを失った時、アンタはどうする?
 昔、他ならないお館様自身にも問われたことだろ?答えろ、旦那」
「……り、たい」
「もっと大きな声で言ってくれ。じゃないと、聞こえないよ」
「守りたい!お館様の築かれたこの国を、民を、兵たちを!」
「だったら、アンタがやることは一つだろ?
 お館様が甲斐を託したのは誰だ?小山田の兄さん?それとも馬場殿?
 違うでしょ?他でもない、お館様はアンタに虎の魂を託したんだよ」
「そうだ、俺はお館様に甲斐を託された……。だが、俺には政宗殿のような
 大将の器などない。俺に出来るのは、ただ槍を振うのみだ―…」

幸村は項垂れ、地面に手を付いた。
あまりに痛ましい様子に佐助は思わずその身体を抱締めたくなる。
衝動的に細いその背中に手を伸ばした。
“アンタは俺様が守るよ。だから、休んでいて”
そう言い掛けた言葉を飲み込み、佐助は拳を強く握った。
幸村のジャケットの襟を乱暴に掴むと、無理矢理に自分の方を向ける。

「アンタがそんなんでどうするんだっ!
 悲しいのは解るけど、落ち込んでいる場合じゃないんだぜっ!
 そんな弱い大将じゃ誰もついて行かない。俺様も、蔵を変えることになる」

脅迫まがいの台詞だ。今、寄り何所のない追いこまれた幸村には、
一番つらい言葉と解っていたけど、ゆっくり幸村が立ち直るのを
待って居られるような悠長な状況でないことは忍である自分が一番よく知っていた。
荒良治でもなんでも、一刻も早く幸村を立ち直らせなければいけない。
苦々しい思いを噛み砕き、冷酷な瞳で佐助は幸村を睨んだ。

その冷たい瞳に、幸村は泣き出しそうな顔になった。
佐助の胸元を縋るように握り締めると、必死で唇を噛みしめて幸村は応える。

「ゆくな、佐助っ!俺は、お前に居て欲しい!
 俺の家族をこれ以上失うのは嫌だっ……。ちゃんと立ち上がる、だからっ!」

堪え切れずに零れた涙を乱暴に拭い、幸村は立ち上がった。
守るべきもの、自分の居場所。それらを失いつつある恐怖を堪え、
幸村は地面に放ってあった槍を拾い上げる。

「佐助、情勢を聞かせてくれ―…。俺がそれを把握したら、
 皆を集め、今後の軍議を取り行う……」
「了解」

佐助から情勢を聞き、今後の見通しを少し二人で話し合うと、
幸村は直ぐに皆を集めさせた。
そのまま、睡眠も食事もとらずに直ぐに軍議を取り行った。
それを佐助は歯痒い思いのまま見詰めるより他は無かった。

「皆でお館様の造り上げたこの甲斐を共に守りましょうぞ!
 若輩ではありまするが、この幸村に着いて来て頂きたい。
 必ずや、大将として甲斐を武田の者共を守り抜いてみせまする。
 ご助力の程、お願い仕る!」
「幸村殿っ、いえ、幸村様っ!某どもは、貴殿に着いて行きましょうぞ!」
「大将、皆で、徳川を倒しましょう!」
「幸村様っ、俺達の命は貴方にお預け致すっ!」

もとより人望の厚い幸村が兵の心を掴むには時間はかからなかった。
武田の兵たちは誰よりも熱い幸村の心に魅せられ、
彼の中に虎の魂を見出している。
幸村は少し瞳を潤ませながらも、もう、立派に大将として振るまっていた。
だが、気丈に振る舞う幸村の手が僅かに震えるのを、佐助は遠めにずっと見ていた。

見ていても何もしてあげられない自分の無力さに苛まれながら、
幸村に茨道を歩かせる責めだと甘んじ、佐助も感情を殺して冷静な眼で
幸村を見詰め続けていた。


軍議が終わると、幸村は一人槍を手に夜の庭へと出た。
ここ最近の体たらくを取り返すべく、一人無心に鍛錬を始める。

「何やってんだよ、大将!」
「佐助、か。邪魔はするな。腕がなまくらでは大将など勤まらぬ」
「そりゃそうだけど、何も、今鍛錬しなくったっていいでしょうが。
 ここ数日、ずっと飲まず食わずで寝所の前に座ってただろ?
 身体がもたないぜ!今日は食事を摂って休め。鍛錬は明日からでいいだろ」
「ならぬっ!俺は未熟だ。明日からは鍛錬以外に学ぶべきことも沢山ある。
 多少疲れているからといって、こんな時間のない時に休んではいられぬっ!
 ただでさ、腑抜けおったのに、これ以上の時間は失えぬ!
 皆も国も俺が守らなくてはらなぬのだ。放っておいてくれ、佐助っ!」
「だからって、無茶すんなよ!」
「無茶などしておらぬっ!これ以上、失望させたくないのだ!」

荒々しく叫ぶと、幸村は槍を振り回した。
甲賀手裏剣を取り出してその切っ先を止めると、佐助はぐっと幸村の腕を掴む。
焦りと怒りの滲んだ瞳が向けられたが、
気にせずに佐助は幸村の腕を引っ張って自分の腕の中に抱き込んだ。

「頼む、休んでくれ大将―…。アンタに何かあったら、俺は―…」

震える佐助の声に、幸村は瞳を見開いた。
腕からは力が抜けて、槍がカランと音を立てて地面に転がり堕ちる。

「さ、すけ?」
「失望なんて誰もしないよ。アンタだけが背負わなくったていい。
 俺様は、たとえアンタが未熟な対象で、どれほど兵を失おうとも、
 ずっと傍にいるよ。たとえ、最後の一人になっても、枯れた山でも降りない。
 アンタを死なせたくないから、キツイ事も言うけど、決して離れないから―…」

佐助の腕にぎゅっと抱締められ、幸村の全身から力が抜ける。
頼りなさげなその身体を胸に受け止めると、佐助はそっとその頬を大きい手で包んだ。

「大将……ううん、真田の旦那。俺様が支えるから―…」

優しく微笑むと、佐助は震える幸村の唇に自分の唇を重ねた。
そっと上唇を吸い上げて食む。
嗚咽を漏らしたその口に舌を滑り込ませると、熱い小さな舌を絡め取った。

「ふぅ……んんっ、っぁ」

自分の舌を求めるように必死に絡み付くその舌を自分の口腔に導き、
ちゅっと吸い上げると幸村の膝がカクンと折れた。
抱き止めながら地面に座り込む、そのまま二人は唇を貪りあう。
唾液を交わし合い、熱と共にその蜜を飲み下すと心が満たされた気がした。

佐助がゆっくりと唇を離すと、二人の唇を銀糸が繋いだ。
涙を零しながら頬を上気させる幸村の扇情的な表情に下半身が疼いたが、
ぐっと堪えて佐助は幸村の口の端から垂れる涎をそっと手で拭った。
眼元に優しく口付けて涙を奪う。

「さ、旦那。飯、作ったから食べてよ。
 食事がすんだら、お湯に浸かって綺麗になって休養をとって。
 明日からに備えないとね」
「ああ、すまぬ。ありがとう、佐助」

やっと幸村の顔に明るい笑みが戻った。
出逢った時と変わらない光に、今度は佐助が泣き出しそうだった。



自分の方がずっと弱いのに、幸村の弱さを赦さず追い込む。
それが為になると信じながら、厳しい面を纏い、その下で辛さに喘ぐ己。
とんだ道化だ。だが、弱い自分が幸村を守るにはそれしか方法は無い。

久しぶりに床に着いた幸村を天井裏から見詰めながら、
佐助は一人、涙に視界を滲ませた。






--あとがき----------

今更basara3の真田主従の話し(苦笑)
どんな状況になろうと幸村に着き従う佐助の愛情はすごいです。
幸村を本当に大事にしているなって思います。
でも、佐助は3は本当につらい立場だったなって思います。
優しくしたいのに出来ない。きっと、物凄く苦しかったでしょうね。