+++ 幻の光 +++





君を失えば、世界の光の全てが消えてしまうだろう。
ただ、唯一の僕の光―…



「あれだけ無茶するなって言ったのに―…」

怪我だらけの身体で布団の上に横たわる幸村に、佐助は渋い顔を浮かべた。
だが当の本人はケロリとした顔をして、「団子が食べたい」などと
状況にそぐわないことを喚いている。

桶に汲んで来た水を畳に置くと、手ぬぐいを濡らして幸村の
顔の汗をそっと拭いてあげながら佐助は深く溜め息を吐いた。

「お館様の為に!」

そう叫びながら全身に傷を受けながら最後まで殿を勤めた幸村。
何度も「退け」と告げた自分の言葉を無視して―…
戻って来た幸村を信玄は良くやったと誉めた。
その言葉に佐助が顔を歪めて恐れ多いと思いながらも佐助が苦言を
もたらしたのは、つい半刻ほど前の事だった。



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「大将、お話しが……」
「なんじゃ?佐助。珍しいのう、報告以外で儂の前に姿を見せるとは」
「はい。恐れながら大将、何故、今回の殿を旦那一人に任せたので?」
「その事か」
「はい。理由をお聞かせ願えないでしょうか」
「うむ。今は織田との戦に備えて一人でも多く兵を死なせたくはなかった。
 だから、幸村一人に任せた。あ奴なら、必ず一人でも成し遂げると
 信じておったからじゃ。儂の狙い通り、幸村は見事果してみせた」
「お言葉ですが、旦那がもし―…」

もし、死んでしまっていたらどうするつもりだったんだ―…

言い掛けて、佐助は言葉を呑み込んだ。
そんなこと、想像したくなかった。
自分にとって、唯一の光が消えてしまう所なんて―…
それでも互いの役目を果たして、それが永久の別れとなってしまっても、
それでいいと、そう思うのだろか―…

役目。主である幸村にとってはお館様を命を掛けて守る事。
そして、自分にとってはそんな幸村を守る事。

『お館様を守って、俺はきっと戦場で死ぬのだろう』

昔、笑いながら幸村がそう言った時の事を思い出した。

『アンタが死んだら困るよ。俺様達、路頭に迷っちゃうでしょ』
『案ずるな。お館様にちゃんとお前の次の就職先は頼んである』

諌めようとしたらサラリと笑顔でそう言われた。
そう言われてしまったら、もう返す言葉がなかった。

俺の主はアンタだけだ。だから死なないでくれとは言えなかった。
ましてや、心の奥深くに隠した気持ちを明かせる筈も無かった。

人間扱いしてくれた、優しい腕も暖かい言葉もくれるのはあの人だけ。
闇に囚われそうになった時、守る様に抱締めてくれた。
体温や笑い声は優しくて、そこが闇の中の光になっていた。

もし、あの人が死んでしまったら自分はまた闇の中に戻ってしまうだろう。
真っ暗の暗闇。ただ、罪悪感も無く血の匂いに溺れ、自分の命を削る。
道具として生き、そして目的も守りたい者も無く、
ただ殺戮だけに明け暮れる夜の世界が来る。

闇は、嫌いじゃなかった。あの光に出会うまでは―…
でも、一度光に魅せられたら、その光を失うのが怖くなる。


口を固く引き結び、佐助は「出過ぎたことを申しました」と言って
部屋を後にした。
一介の忍に過ぎない自分には、発言権など無い事位弁えていた。



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「ぼんやりしてどうした?佐助」

顔を拭いている途中で手を止めてぼんやりと自分を見詰めている
佐助に、幸村は首を捻った。
薄茶の綺麗な瞳が佐助の姿を映し出している。

「ごめん、何でもないよ」

止めていた手を動かし、再び佐助は幸村の汗を拭い始めた。

「着物、脱がせるよ」
「おう。頼む」
「じゃあ、ちょいと失礼」

幸村の着物に手を掛け、腰帯を解いて肩から袖を外して上半身を晒させた。
患部に巻かれた包帯を取ると
白い肌を胸から腹にかけて袈裟がけに横断する傷が露わになった。
消毒液をしみこませた綿でその傷をなるべく優しくなぞる。
幸村は一瞬だけ少し顔を歪ませたが、
呻き声一つも上げずにすぐに平然とした顔を浮かべた。

「酷い傷だね。痛むでしょ」
「いや、このぐらいどうという事は無い」
「本当に痛がらないね、旦那は」
「何を言う。佐助も痛みには強いだろう。傷を作っても平気そうにしている」
「俺様はまあ、慣れているから。
 でも、旦那ほど平気じゃないよ。傷を受けてまで
 あんなに動き回れない。旦那はどんなに傷付いても無茶するでしょ」
「無茶などしておらぬ」
「またそう言う。無茶してるよ。十分すぎるほどにね。
 無茶するから、こんな大きな傷をいくつも作るんだよ……」
「お館様を守って出来た傷など、傷の内に入らぬ」
「傷は傷だよ。そうまでしても、守りたい?」

愚問だと解っていた。答え何て知れた事。
聞いたところで自分が傷付き、より一層切なさを増すだけだ。
解っていても、佐助はそう聞かずに入れなかった。

「当たり前だ。お館様は失えぬ。あの方は、天下を治められるお方だ」

予想どおりの答え。思わず佐助は溜め息を漏らす。

「そうだよね。うん。聞いた俺様が馬鹿だったよ」
「さっきから何だ佐助。変だぞ」
「い〜え、何でもありません」

包帯を手早く巻き付けると、佐助は水の入った桶に手ぬぐいを浸して絞った。
何時も熱い身体は、今日は更に高熱を帯びていた。
発汗量も多い。きっと、傷が重く熱が出ているのだろう。
程良く濡れた手ぬぐいで背中や脇の下を拭った。
白くて細い肢体にゴクリと喉が鳴りそうになる。
相手は怪我人だ、欲情などしてはいけない。
そう自分に言い聞かせ、必死に理性で沸き立つ醜悪な欲を抑え込む。
初心で無知な幸村がそんな佐助の欲望になど気付く筈もなく、
汗に塗れ熱を帯びた身体を、冷たい手ぬぐいが清める心地良さに
目を細めて満足そうな笑みを浮かべている。
「誘っているのか」と問うて、襲いかかってやりたくなるが、
それが有り得ない事だという事は佐助が一番よく知っていた。
押し倒して暴いてやれば、唯一、守りたいものを自らの手で
忽ちに失ってしまう。
耐え、忍ぶ。それが自分の仕事だと言い聞かせながら、
佐助は黙々と魅惑的な肌を手ぬぐいで清めていった。


滑らかな肌を拭きながら、そっと佐助は耳元で囁いた。

「アンタがお館様を守る為に命を投げるなら、俺様がアンタを守る。
 アンタを守る事が、俺様たち真田忍隊の使命だからね」

そう、この光を守る為なら命など惜しくない。
いつかこの命が終わり、身体から魂が離れたとしても傍に居る。
怨霊になっても守り続ける。
そう思えば、自分の死などは恐れるに値せず悲しくも怖くも無かった。


佐助は背後からそっと幸村を抱きすくめた。
出過ぎた真似だと思ったが、今は幸村の無事を感じたかった。

筋肉質だが華奢な身体は柔らかく、抱き心地がとてもいい。
規則正しい心音、暖かな体温が触れあう部分から流れ込んで来て、
冷たい己の身体に熱を与えてくれる。

幸村は佐助の胸に頭を預けると、静かにかつ、力強く告げた。

「お館様だけではない。お前の魂も、この俺が守る。
 俺の槍は守る為の槍だ。俺の大切なものは誰にも奪わせぬ」


(たかだか忍風情ごとき、守る必要なんてないのにね―…)


自分が死んでも、ただ影が一つ闇に戻るだけ。
でも、真田幸村が死んだら、俺は永遠に光を失うんだよ―…
どうしたら解ってくれる?どうしたら伝わる?


この想いを伝える術は無い。けして、告げてはいけない。
忍には心なんて存在しない筈なのだから。
貝殻の様に心を閉ざし、奥底に光への思いを隠す。
泣いたりしない。主が怪我を負う度、死に戦に身を投じる度に、
身を引き裂かれたような辛い思いをしても、決して泣いたりしない。
そう、心に決めていた。何があっても、心を殺し続けるつもりだった。
だけど、優しい声は心の深淵を揺す振り、人間だった事を思い出させる。


「佐助?」

ポツリと首筋に落ちた雫に、幸村は佐助の顔を見ようと首を上げた。
その目をそっと佐助は大きな掌で覆う。

「ダメだよ、今は見ないで。ね、旦那」

困ったような笑ったような静かな声でそう告げられ、幸村は黙って頷いた。
大人しくまた前を見詰める幸村を両腕でしっかりと佐助は抱き締めた。

(旦那の馬鹿、守るのは、俺様の役目なのに―…)

不意に幸村が告げた言葉が、胸を埋め尽くす。
守ると言われて、半分は悲しくて、半分は嬉しかった。
その喜びという感情が胸を締め付ける。
もしも、仮に自分を守って幸村が死んだりしたら自分を恨むだろう。
主に先立たれておめおめ生き残るなど恥でしかない。
それに、幸村が死んだら自分の世界は光の全てを手放す。
何もかもが褪せ、乾いた砂の世界ではもう生きられない。
だから、守ると言われて喜んだ自分に腹が立った。
かつて、守ると言われた時は怒りと悲しみしか沸かなかった。
犬畜生にも劣る忍を守るとぬかす馬鹿主と心で謗った。
でも、今は嬉しいなどと身分違い甚だしい事を感じている。
人間で在りたい。心のどこかでそう渇望しているのだ。

(ああ、本当に馬鹿みたいにこの炎は眩しいよ―…)

薄っぺらい肩口に顔を埋めて、佐助は静かに目を閉じた。







--あとがき----------

某アニメの銀河の妖精の曲、「リーベ」を元に佐幸に変換して
書いた話です。
あの歌、佐助→幸村にはまりすぎていて、聞くたびに泣けそうになります。
幸村が死んだら、佐助はきっと狂うと思います。
幸村は男前なので、佐助が泣いていると悟ったら
泣き顔を見ない様にしてくれそうですね。