「桜魔」





山の雪が溶け、麗らかな陽気が包む季節がやって来た。
上田城の桜は満開を迎え、淡いピンクのヴェールの様に空を
遮って咲き誇っている。
風が吹くとその花弁はハラハラと散り、花びらの雨が降っているようだ。

「満開だな、佐助!」

幼子の様にはしゃぎながら、幸村は空を仰いだ。
朝も早くから元気が宜しい事でと、佐助は苦笑しながら
その後ろに続く。

「上ばっか見てて転ばないでよ、旦那」
「解っておる。童扱いするな!」
「はいはい。解ってますって。でも、旦那は危なっかしいんだもん」
「その様な事はない。しっかりしておるわ」
「ハイハイ、そーだね」

幸村の主張を適当に佐助は流した。
確かに幸村はしっかりしている。でも、それは戦場や鍛錬や仕事の時限定だ。
普段はちょっと抜けていて、しかもそそっかしい。
運動神経は動物以上のクセに、よそ見していて木の根に躓いて転ぶくらいだ。

(ま、そのギャップがまたすごく可愛いんだけどね)

そんな風に思っている自分は相当重症かもしれない。
春惚けの所為でそんな風に思うのだと言い訳して、
自分の内に秘められている気持ちに気付かないよう蓋をした。

折角、二人きりでの花見だ。邪な気持ちは無で楽しもう。
持って来た酒を酌み交わすと、愛らしい幸村の横顔と桜を愉しんだ。



「お酒、切れちゃったね。新しいのを取ってくるよ」
「うむ、すまぬが頼む」

二人で一本では足りなかったようで、酒はすぐに底をついた。
綺麗な桜を眺めながら飲む酒は格別で、杯を重ねるペースが互いに
上がっていた所為だろう。
酒も飲み過ぎは良くないと普段はある程度の量でストップを掛ける佐助だが、
桜を前に酒の制限は無粋だと、幸村が強請るよりも先に
自ら酒を城まで酒を取りに戻った。
その間、少し酔った主を一人にしておくのは如何なものかと思ったが、
城内であり、侵入者の気配がないので大丈夫だと判断し、
佐助は彼一人を残して席を立った。

城門の警護は見張り番以外にも、
自分の優秀な忍隊の配下も2名ついているし大丈夫だろう。
後にその判断が些か甘かったと歯噛みする事など、予想だにしなかった。



佐助が席を立ってすぐ、闖入者がやってきた。

「いや〜、やっぱり此処の桜は綺麗だね」

馬鹿デカイ刀を携えて桜を眺めながら近寄って来た男に幸村はぎょっとした。
此処にいる筈の無いその男の名は前田慶次。前田の風来坊だ。

「ま、前田殿?何故、貴殿が此処に?門番はどうした?」
「ちょいと通らしてもらったよ。春だし外で寝ても風邪ひかないよ」
「なっ、倒して無理やり通って来たのか?無礼なっ!」
「そう怒るなって。俺はただ、桜が見たかっただけなんだ」
「たかが、そんな理由で……」

彼は武人ではないと言い張るが、刀を持っているし武家の生まれである
以上は彼も武人の一人だ。その彼が敵地であるこの地に態々
桜を見に乗り込んでくるなんて、なんと酔狂な事だろうか。
真面目な幸村には考えられない様な馬鹿げた行為だった。

刀を持ってはいるが、彼に攻撃の意思は全く伺えず、
先刻本人が申した通り本当に桜を見に来ただけなのだろう。
ふざけるなと一発ぶん殴ってやりたい所だが、
敵意の無い者に拳を向けるのは自分の信念に反する。

驚きのあまり立ち上がって構えていた幸村は溜息を一つ零すと、
既に自分の隣に坐している彼に倣って腰を落ち着けた。

「桜なら、此処で無くとも貴殿の城にもあるでしょうに……」
「もちろんあるけどさ。俺は、ここの桜が見たかったんだ」
「確かに上田城は桜の名所。しかし、
 他にももっと容易く安全に桜を見られる名所がございましょう」
「そりゃそうだけど、俺は、幸村と花見がしたかったんだ」

堂々と面と向かってそう告げると、慶次はふわりと笑んだ。
桜の似合う、とても華やかで艶やかな笑顔だった。
その綺麗な笑顔に見惚れ、幸村は動けなかった。
そっと自分より二回り以上はある大きな手が伸びてくる。
慶次の手が優しく頬を包み、整った顔が焦点が合わない程に近付いてきた。
そして、唇に何か温かな物が触れた―…。

風で舞い散る桜吹雪が妙にスローモンションに映った。
何が何だか分からず、幸村はただ瞳を瞬かせる。

フワフワとして、身体が熱いのは酒の所為だろうか。
思考が回らず、何が起きているのか理解できなかった。
漸く自分の唇に触れているのが慶次の唇だと気付くと、
幸村は顔を真っ赤にして暴れようとした。

だが、慶次の舌が叫ぼうとして開いた唇の間から口内に割り込んで来て、
幸村の舌を絡め取った。
生温かく大きな舌で小さな舌を絡め取ると、優しく吸い上げたり、
涎を絡ませて幸村の口内を蹂躙した。

「んぅっ、ふぅっ……」

ガクガクと身体が震え、腰が抜けて幸村は慶次の方に雪崩れた。
呼吸の仕方が解らず、苦しくて目尻に涙が浮かんだ。
蕩ける様な甘い感覚に頭が痺れる。
飲み切れなかった涎が幸村の顎を伝い、驚きで見開いていた瞳はとろんと
して、熱に浮かされて焦点が定まっていない。
すっかり抵抗が出来なくなった幸村に慶次は瞳を細めた。


着物の胸元から手を滑り込ませ、やわやわと胸を揉んだ。
ガチムチで堅いかと思っていた胸筋はとても柔らかく、
女の胸程ではないが十分フニフニとした感触だ。
唇を重ねたまま乳首を指先で転がす様に触れると、
ピクンと肩を揺らして幸村は仰け反った。
このままでは幸村が窒息しかねないと、慶次は唇を解放した。
口で呼吸が出来る様になったのはよかったが、
胸に与えられる刺激に今度は喘ぎ声が零れてしまう。

「やぁっ、ふぁぁっ」

自分のものとは思えない様な高い声に幸村は耳を覆いたくなる。
きゅっと乳首を摘まむとピリッと刺激が背中を走り抜け、
幸村は腕の中で腰を大きく跳ね上がらせた。

自分でも驚くくらい自制心が効かなかった。
初心に反応する幸村を見る度に穢したい気持ちが高まって、
手を止める事が出来ず、幸村の白雪のような肌を暴く様に触れた。
もっと、触れたい。着物の裾から手を入れようとしたその時、
鋭い殺気を突き付けられて慶次はピタリと手を止めた。

「はい、そこまで〜」

振り返ると、酒瓶を持ったスラリとした細身の男が立っていた。
鉢金をしていなかったし普段着だったから直ぐには気付かなかったが、
たしか、彼は幸村の忍の猿飛佐助だ。
顔には笑みが浮かべられているが、瞳は冷たい光を放っていた。
後ろらから首筋に向けて突き付けられた冷たい金属の切っ先に
怯えた風も焦った風もなく、いつも通りのんびりした様子で
慶次は幸村を解放した。

「おっかないねぇ。せっかくの綺麗な桜が台無しだよ」
「ハイハイ。うちの大事な主様からさっさと離れてくんない」
「そうだね。ごめんよ。あんまり綺麗だったからつい、ね」
「いいけど、次にこういう事したら本気で殺すよ」

笑いながらサラリとそう忠告して来た佐助に肩を竦める。
放心していた幸村はハッと我に帰ると、
口元を袖で拭って、慌てて襟を直した。顔は未だに真っ赤だった。

「さ、佐助。すまぬ」
「旦那が謝る事じゃないよ。でも、注意してね」
「うむ」
「いいよ。で、何の御用?風来坊さん」
「うん、桜を見ていたら何となく幸村に会いたくなってね」
「ふ〜ん。そう簡単に会いに来てもらっても困るんだけどね」
「そう怒るなって。でも、今日の所はこれで帰るよ」

そう言うと慶次は立ち上がって幸村に背を向けた。
接吻と愛撫に思考が停止しぱなっしの幸村は
茫然とその後ろ姿を見つめていた。
慶次はピタリと足を止めると、幸村の方をくるりと振り返える。

「またゆっくり一緒に花見をしようね。
 今度は綺麗な花を手折ったりしないから。じゃあね、幸村」

そういって慶次が微笑んだ刹那、強い風が吹いて
視界が桜の花弁に覆われた。
その狭間に見えた慶次の笑顔を、やはり綺麗だと幸村は感じた。
そう思った瞬間、胸の奥に燻る熱を感じた気がした。

(ああ、彼には桜の花が良く似合う―…)

遠ざかる背中を見詰めながら、幸村はふとそんな風に思った。






--あとがき----------

季節はずれな桜の話ですみません。
やまもオチも意味もない話の典型例です。
心理表現は慶幸というより幸慶のような気がしてなりません。
桜の花はその美しさゆえに、人の生き血を吸っているとか
幽霊がいるとか言われてますね。
そんな桜の魔力に惑わされ、慶次は思わず幸村に手を出し、
幸村も桜のような不思議な魅力を持つ慶次に誘われて
抵抗できなかったというお話です。
佐助にとっては幸村を惑わす慶次は大禍です。
魅力的な桜の魔力と大禍を掛けて、タイトルは桜魔(おうま)です。