「あんたの事が気に入ったよ」出会って間もないのに易々と好意を口にした男。
それからと言うものちょくちょくフラリと上田城に来ては、
人の主をからかったり、茶に誘ったり。正直、物凄く目障りだ。



いつもあの子の傍にいる忍。笑顔を絶さないけど、
どうにも居心地の悪い視線を感じる。
何かこう、邪魔者を見るような冷たく鋭い視線が時々背中に突き刺さる。




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― 遮光 ―


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「幸ちゃん、美味いって評判のお菓子持って来たよ」

ニコニコ笑いながら上田城の門を慶次はくぐった。

「お生憎さま、旦那は今お稽古中」

頭の後ろで腕を組み、飄々とした笑みを浮かべた
迷彩柄の装束の男が慶次に歩み寄り、素っ気なくそう告げる。
お目当ての人じゃなく、どちらかと言えば邪魔者に分類される奴が出てきたが、
気にした風もなくニコニコと笑ったまま慶次は
「じゃあ、此処で待たせてもらうよ」と縁側にドカッと腰を降ろした。

(誰だよ、このちゃらんぽらんを通した馬鹿は―…)

内心、佐助は苛立ちを募らせて舌打ちする。
碌でもない大普遍者の登場に早くも頭痛がしてきそうだった。
確か、今日の門番は確か小助か才蔵の部下だ。
お堅い才蔵の部下が通すとは思えない。
彼が来た時間に門を見ていたのは多分小助の部下だ。

(小助の奴、後でお仕置き決定だな……)

十勇士の中ではもっとも若く、幸村に似た背格好の小助。
顔も少しだけ似ているがよく見るとそれ程でもない。
お仕置きするのに心は痛まない。どんな仕置きをしてやろうか。
久しぶりに泣きを入れるまで苛めてやろう。

佐助は深く溜め息を吐くと口の端を吊り上げた。
お仕置きのプチプランが脳内を巡る。黒い部分が溢れそうになるのを
堪えて大袈裟に肩を竦め、作り笑いを崩さないまま慶次に明るい声で言った。

「あのさあ、悪いけど帰ってくんない?」
「俺の事なら気にしないでいいよ。勝手に待たせてもらってるだけだからさ」
「気になんかしてないよ。解んないかな、帰れって言ってんの」

薄い色素の瞳がスッと細められた。
穏やかな顔立ちに似合わない獰猛な光が揺れている。
それは恐怖さえ感じさせる様な禍々しさを孕ませていた。
だが慶次は怯む事なく、縁側に居座った。

「俺が会いに来たのは忍じゃなくって幸村だよ。
 だから、あんたに帰れって言われても帰らない。
 もし幸村に言われたならちゃんと帰る。でも、それまでは此処に居るよ」
「ふ〜ん、そ。やっぱ嫌な奴だね、アンタは。
 何で旦那に構う?正直さ、やめて欲しいんだよね。
 恋とかそうゆう事を言って旦那を困らせるのはさ。すっごい迷惑」
「恋は素晴らしい物だよ。困るようなもんじゃない」
「うちの旦那には不要だ」
「戦いばっかじゃダメだ。幸村はもっと色んな事を知るべきだよ。
 虎のおっさんもあんたも、 幸村の教育の仕方を間違ってる。
 俺は、時々見せてくれる、穏やかに微笑む幸村が好きだよ」

その言葉に、佐助は俄に怒りを募らせた。

慶次の胸ぐらを掴み、突然声を荒げて糾弾する。
彼の豹変には動じる事の少ない能天気な慶次でさえ、流石に目を丸くした。
この忍の男にも激情があったのかなどと不意に思った。

「アンタが旦那の何を知ってるって言うんだ!
 旦那の事を何も知らない癖に、気安く好きだなんて言うな!」

露になった怒りに、自分が彼に嫌われている事を確信した。
だが怒りの理由は見えない。幸村の様に主への忠義に厚い訳ではなさそうだ。
そんな彼が主を好きと言った位で何に激しく怒りを感じるというのか。

「確かに、俺はそんなには幸村を知らないよ。でも好きな気持ちは嘘じゃない」
「甘いね。アンタさ、紅蓮の鬼を知ってるかい?」
「聞いた事はあるけど見たことはないよ」
「だろうね。あの姿を見たら、きっとアンタは旦那を好きで無くなるよ。
 それは綺麗なんだ。紅の覇気を纏い、敵を容赦なくばさばさ切り裂いていく。
 その時に不意に浮かべる微笑は美しい鬼そのものだ」

そう語る佐助の瞳には恍惚が揺れてうっとりしていた。

「ふざけるなっ!幸村は穏やかで優しい明るい性格なんだ!
 そんなあの子が鬼な筈ない!いや、そういう一面があるのかもしれない。
 でも、それは悲しい事だ。ぜったいに喜ばしい事じゃない」
「アンタはやっぱり、何も解ってないよ。
 俺様も旦那も、宿命を背負ってる。アンタにはそれがない……」

ふっと佐助は瞳を伏せた。
意外にも目の端の方はけっこう長い睫毛の下で揺れる瞳は
何処か憂いを帯びていたが、その意味する処を慶次が知る術はなかった。
潤んだ事さえ見間違いだったかもしれないと思う位に、
慶次は佐助を知らないし、佐助は他人に感情など見せたりはしない男だ。



冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。
胸倉を掴んでいる佐助の手は離れていかない。彼の薄い瞳がとても恐ろしかった。
奇妙な静寂の心地悪さに慶次が腰を浮かせた時、トタトタと軽快な足音が響いた。

「おお、慶次どのいらしておりましたか」
「あ、幸村……」
「どうなされた?その様な不可思議な顔をされて。
 ん?何故佐助に掴まれて居られるので?もしかして
 何かお取り込み中でございましたか?失礼致した!」

顔を赤らめて何かを勝手に勘違いして去ろうとした幸村の腕を慶次が掴む。
そのまま胸の中に引っ張り込み、
閉じ込める様に柔らかな肢体を抱き締めた。
突然抱締められた幸村は顔を真っ赤にして悲鳴のような大声を張り上げた。

「うお!何をなさる慶次殿っ!お離し下されっ」
「嫌だよ。離したらまた戦場に行っちまうだろ?」
「はあ?何を訳の解らぬ事を申しておられる?某は武人にござる。
 戦場に出るのは当然のこと。それを何故、貴殿に邪魔されぬばならぬ?」
「嫌なんだ。戦なんて嫌いだよ」
「貴殿が戦嫌いなのは解り申した。だったら貴殿は行かねばよい。
 しかし某が戦に行こうが慶次殿には無関係でござる!」
「関係あるよ!俺は幸村が好きなんだ。だから……」

バクバクと早鐘を打つ鼓動が自分の頬に伝わってきて
つられて幸村の鼓動も跳ね上がる。
見詰め合う二人に蚊帳の外だった佐助が漸く動いた。

「ハイハイ、ウチの旦那をからかわないでね風来坊。さ、離れた離れた」

慶次の腕から幸村を奪還し、佐助は自分の腕に抱き込んだ。
佐助の腕の中で幸村はキョトンとした表情を浮かべる。
じっと佐助を見上げた後、今度は頬を怒りで紅潮させ、眉と目を吊り上げて
慶次を思いきり睨みつけた。

「なっ、からかいだとっ!」
「ちが……」
「そうだよ。この女たらしが男の旦那を好きになる筈ないじゃん」

否定しようとした慶次の言葉を遮り、佐助はほくそ笑んだ。
佐助に対して絶大な信頼を寄せる幸村はすっかりそれを信じている。
勇気を振り絞って告げた気持ちは闇に呑み込まれ、うやむやになってしまった。

今日は友引で日も悪い。
また、別の機会に衝動的にでなくキチンと気持ちを伝えよう。
佐助にしてやられた悔しさと、幸村に誤解されてしまった悲しさを呑み込み、
慶次は帰ろうと腰を浮かせた。
普段は押しの一手で攻めるけど、今日はそれが裏目に出そうだった。

「今日は帰るよ。これ、お土産だよ。忍と食べて」
「ありがとうございます。慶次殿も一緒に食べていかれては?」
「え?うーん……」

ちらりと佐助の方に目を遣ると、すごくおっかない顔をしていた。
隠すことなく、あからさまに帰れオーラを纏っている。

(やっぱり、このまま引き下がるのはちょっと悔しいな)

浮かした腰を落ち着けると佐助ににやりと笑みを向けた。

「じゃあ、お言葉に甘えて一緒に食べて行くよ」
「是非そうなされよ。では佐助、茶を3つ頼む」
「えぇ〜……」

佐助はムスッとした表情を浮かべたが、幸村の頼みを断られる筈もなく
“嫌だよ”という言葉を呑み込んで渋々お茶を淹れに席をたった。

このくらいの報復は許さるだろう。
甘味を食べて至極の笑みを浮かべる幸村を佐助に一人占めさせるのは嫌だった。
それに折角だから、幸村の幸せそうな顔を拝んで少しでも気分を癒されたかった。


買ってきた餡子入りのきな粉餅を頬張り、幸村は蕩ける様な笑みを浮かべた。
笑っている幸村は本当に綺麗で、その辺の女の子じゃ太刀打ちできないほどに可愛い。
笑顔が見たくて、出向くときはいつも態々、人気の銘菓を買いに行くくらいだ。

「慶次殿、美味しゅうございます」
「でしょ?島津のじっちゃんの所へ遊びに行った時に買って来たんだ」
「島津殿の所へ?武芸のご指南でも受けられたので?」
「まさか!いい酒が手に入ったから一緒に飲もうと思って尋ねたんだよ」
「せっかく島津殿の所まで出向いてそれだけとは、勿体ない」
「そーいうのナシナシ。俺、興味無いんだ」
「そうでござったな」
「そんな事よりもっと面白い事が沢山有ったよ。
 じっちゃんの所ね、海がとっても綺麗なんだよ。水が透き通っていてさ」
「海でござるか。甲斐には海は無い故、
 某はあまり海を見た事がございませぬ。南国の海はさぞ、綺麗でござろうな」
「うん。水が真っ青なんだよ!まるで空みたいなんだ
 ねえ、今度一緒に行こうよ。本当にすごく綺麗なんだよ!」

そう言って慶次はギュッと幸村の手を握った。

「ハイハイ、お触り禁止〜」

お茶をお盆に載せて戻って来た佐助が二人の間に割って入り、
慶次の手をさり気なく払い除ける。
自分の主に触られるのがよっぽど嫌らしい。
もしかして、彼も幸村に気が有るのだろうかなどと思ってしまう。
いや、彼が気が有るのは幸村じゃない。“紅蓮の鬼”だ―…。
幸村が普通の人と同じ様に下らない雑談に笑い、
日常を知って戦いを拒むようになるのを恐れているのかもしれない。
だから、きっと幸村に戦じゃない、世の中のもっと華々しい事や
楽しい事を教えようとしている自分が気に喰わないのだろう。
本当にそうだとしたら、なんて勝手な理由で人の恋路を邪魔しているんだと
呆れてしまう。
それに、幸村は戦をする為の道具でも何でもないのに―…

慶次は不服そうに顔を歪めたが、幸村は佐助の方に視線を向けて気付かなかった。
佐助からお茶をもらうとにこりと微笑む。

「おお、佐助。すまぬな。ありがとう」
「いえいえ。俺様は忍だけど旦那の為ならお茶だって淹れるよ」
「いつも助かっておる」
「それが俺様の役目だからね。あ、旦那。ほっぺにきな粉付いてるよ」

手を伸ばすと佐助は優しく幸村の頬に付着したきな粉を拭った。
「ありがとう」「どういたしまして」と微笑み合う主従に慶次は
面白くないと少し眉を顰めた。

(なんだか、イチャついているのを見せ付けられてるみたいだ―…)

ふとそう思った慶次の心を読んだかのように、
佐助が顔を上げてニヤリと薄ら笑いを浮かべた。
目が、“アンタは旦那には似合わないよ”と言っている様な気がした。
過ごした時間の長さでは圧倒的に負けていて、
自分が知らない幸村をこの忍は沢山知っている。
それが羨ましかった。
佐助にしか解らない幸村がいる。そう思うと嫉妬心に身が焦がされた。

(紅蓮の鬼も、その一つなのかもしれない―…
 自分にしか理解出来ない幸村の一面が有る事が、あの忍の特権なのか?)

だとしたら、その特権を許されたいが為に鬼の一面を愛しているというのだろうか?
そう思うと、何だか嘘寒さを感じた。
恋心などないと思ったが、それは間違いかもしれない。
多分、佐助も幸村に魅かれているのだ。
普段の幸村にか、それともやはり紅蓮の鬼にだろうか。
狂気を持つ忍にとって、紅蓮の鬼は同じ狂気を共有できる存在なのだろうか―…
一つだけ確信めいて思う事が有る。
あの忍は炎に焦がれるあまり、狂っている。と―…


急に肌寒さを感じて慶次は立ち上がった。
幸村は驚いて顔を上げ、慶次の方を少し心配そうに見た。

「いかがなされた?慶次殿」
「……ううん。何でもないんだ。ちょっと、用事を思い出して」
「そうでござったか。引き止めて申し訳ない事を。
 火急でないならば茶だけでも飲んで行かれては?佐助は茶淹れの名人でござる」
「そうだよ。せっかく俺様が淹れたんだし飲んできなよ」
「いや、悪いけどちょっと急ぎなんだ」
「そう、残念だね……」

そう言った佐助の声は本当に残念そうな色を含んでいたが、
一瞬だけ顔に濃い影と冷酷な笑みが浮かんだ気がして慶次は背筋を震わせた。

「ごめんね幸村。また来るよ」
「はい。お気を付けて」

風の様に慶次はそそくさと姿を消した。





いつになく重い足取りで上田城を出て道を歩いていた。
俯いて歩いていた顔を上げて前方を何気なく見遣ると、
何時の間に追い付いたのかさっきまで城に居た佐助が行く先の木に
凭れてこっちを見ていた。
黙って知らないフリをして通り過ぎようとした時、
フッと耳元で冷たい声が囁いた。

「ねえ、本当にこれ以上は旦那に近付かないで。
 この約束、守ってくれる?じゃないと俺様アンタの事を殺すよ―…」

瞳を見開き、バッと慶次は振り返った。
その時にはもう、佐助の姿は其処に無くただ道が広がるばかりだ。

ぎゅっと拳を握ると、慶次は誰にともなく独りごちる。


「俺はそれでも幸村が好きだ。だから、近付くよ」

幸村に相応しい人が居るなら、忍ぶ恋でもいい。
でも、あの男は幸村に相応しくない。
幸村を戦一辺倒に育て上げたのは師匠である信玄だけでなく、
間違いなくあの男も一役買っているだろう。

あの男に取られるぐらいなら、この気持ちを隠したりしない。
幸村が世界をもっと知る切っ掛けを俺が作りたい。
たとえ、闇に命を狙われようとも愛しさを抑えたくない。

ギュッと長刀を握り締めると、慶次はゆっくりと歩き始めた。







--あとがき----------

慶次は佐助の事は理解出来ないと思います。
佐助は紅蓮の鬼が好きな理由は、
忍の自分が幸村と近くに居られるのは戦場しかないと
思っているからだと思います。
佐助は慶次が大嫌いだと思います。
ヘラヘラして、幸村をたぶらかすのが気に食わないと思います。
政宗も嫌いだけど、政宗が幸村をかっさらう以上に、
慶次に幸村を盗られる方が嫌そうですよね。