++++深淵の醜き獣++++






いつからだろう。親愛が恋慕へと変わってしまったのは。
最近だったかもしれない。もしかするとずっと前からだったのかもしれない。



ここの所ずっと任務続きだった。
いくら己を律する術に長けているとは言え限界がある。
(報告を済ませたら女でも買いに行くか)
何処で女を買おうか。出来ればお安く済みそうな場所がいい。
あわよくば相手を落としてただで喰らえたら一番最高だ。
不埒な事を考えながらも主に失礼にならぬように着替えを済ませると、
佐助は幸村の部屋へ赴いた。


「猿飛佐助、只今戻りました」

障子越しに片膝を着いた佐助の陰が映ると、
幸村は読んでいた書物を放り出し嬉々とした声を上げた。

「おお、佐助!御苦労であったな。入って参れ!」

このまま障子越しに手早く報告をして去ろうと思っていた佐助は内心舌打ちをする。
普段なら幸村の顔を見ながら報告するし、
二人きりで間近で顔を見れるこの時間は束の間の幸福な刻だ。
でも今日は正直苦痛だった。

誰にも言えないし一生涯心に閉まっておくつもりだが、主である幸村に懸想していた。
忍にあるまじき最低最悪の事態だ。
今幸村の顔を見て劣情を堪える自信がない。
だが主に背ける筈も無く、佐助は渋々戸を開け入室した。

戦装束でなく白い寝間着の幸村に佐助は早くも中に入った事を後悔した。
就寝前で結わずに垂らした髪、少し肌蹴た胸元から覗く白い肌。
熱が込み上げて来るのを堪え切れない。
思わず瞳を反らした佐助の顔を幸村の大きな瞳が覗き込んだ。

「どうした佐助?気分でも悪いのか?」
「いえ。別に……」
「そうか?ならいいが。では報告を聞こう」
「はい」

奥州に動きは無い事、織田が領地拡大を図り近隣の村を襲った事を
簡単に告げると、幸村の顔に少し翳りが過った。
恐らく、村に火が放たれ罪の無い民が命を落とした事に心を痛めているのだろう。
不謹慎にも寄せられた眉根と僅かに潤んだ瞳に色香を感じて、
佐助は思わず喉を鳴らした。

(馬鹿な……今、俺様は何を考えた?)

自らの内に仄めいた欲望に佐助は顔を曇らせた。
あの細い手首を掴んで、押し倒して白い喉に齧りついてやろうか。
それとも、柔らかそうな唇を自分の唇で塞いでしまおうか。
衣服を剥ぎ取って身体中に紅い跡を残してしまおうか。
頭を占める妄想に吐き気がした。
自分程の一流の忍がよりにもよって主に恋心を抱くなど―…

愚かで浅ましい。身の内に巣食う闇の化け物が嘲笑っている気がした。

(これならまだ、敵を好きになった方がマシだっつーの……)


敵ならば、無理矢理モノにしてどれだけ泣かせて傷付けたって平気だ。
でも、この光だけはいけない。
闇が光に触れてその輝きを奪ってなどいけないのだ。

いつからこんな想いを抱く様になったのだろう。
初めはただの主と忍だった気がする。
幼い頃の自分は今以上に冷酷で無感情の人形だった。
だが、何時の間にか心から笑い、時に怒り、悲しみ―…
感情など無い方がどれだけ楽だったか知れない。
何時からだ?何時からこんなに色々な顔を覚えたのだろうか。
思えば、幸村と出会った時点で何かが変わり始めていた気がする。
ほんの初めは心からの愛情。親愛だった。
死なせたくない。一生傍に居たい。守りたい。そう願った。
それも親愛だっただろうか、兄弟や親子の様に思っていたのだろうか?
違う気がする。きっと名を付け難い純粋な愛だった。

もう、とっくに堕ちてしまっていたのだろう―…
俺は、心の何処かでずっとそれを知っていた。




「佐助?」

自分の感情に踊らされていて反応が遅れ、佐助は返事が出来なかった。
そんな彼を不審に思い、幸村はその手をぎゅっと握る。
触れてきた熱い手に佐助はハッと顔を上げた。
覗き込んでくる大きな瞳が映す自分の醜悪な表情に思わず気が滅入る。
主の瞳に映る自分の瞳には獣の様なギラつきが滲んでいた。
殺気や感情や気配にはやたら鋭い幸村だが、
性や恋愛に関する事だけにはとんと鈍く、今の自分の心の内に
巣食う冥い感情になど気付く筈もなかった。

「どうしたのだ?矢張り、何処か変だぞ佐助」
「いや、何でもないよ旦那」
「そうか?だが、なんだかいつもより手が熱いぞ。熱でもあるのか?」

コツンと幸村は自分の額を佐助の額にくっつける。
間近に迫った顔に佐助はドキリとした。

ドクンと鼓動が跳ね上がり、身体の芯が熱を帯びていく。
「熱はなさそうだが」と呑気そうな声で首を捻っている幸村の右手は
まだ己の手を握ったまま離れていく様子は無い。

(さっさと部屋に帰りたいのに。
 この欲を吐き出してしまいたいのに―…)

手なんて握って来た旦那が悪い――そう責任転嫁してしまえば理性はプツリと切れた。

男は理性が飛べばどんなに自らを律する術に長けていても獣になる。
純粋な主はそんな事を知らないかもしれないが、男なんて下半身だけの獣なのだ。
たとえ好きでない相手も抱けるくらいだ。
心から慕う者が触れてきたりしたら、欲望に流されるのは至極当然のこと。
据え膳を見過ごすほど、出来た犬では無い。
そう、自分は犬の振りをした奸智で狡猾な狐なのだ。

何も知らない無垢で無知な主が悪い。
獣を起こした責任を取ってもらわなければならない。




「旦那―…」

低い声で呼ばれて、幸村は思わずドキリとした。
いつもと何処か違う雰囲気を纏う佐助を戸惑いがちな瞳で見詰めた。
それがかえって佐助を煽っている事など露知らず、無垢な瞳を彼に向ける。

「さ、すけ……?どうし……」

“どうしたのか”そう問おうとした口を何かが塞いだ。
それが佐助の唇だと気付くのにゆうに十秒はかかった。
彼の形の良く薄い唇が自分の唇を包んでいる事に幸村は顔を真っ赤にする。
接吻など破廉恥極りない。
将来を契った仲でも恋仲でもない者とすることでもいないだろう。

慌てて引き剥がそうとするが、
自分より二割がた逞しい腕に腰を引き寄せられて、身体を密着させられた状態で
上手く逃れることができずに余計に佐助の胸板に崩れてしまう。
唇を食まれ、舌を絡め取られて全身から力が失せていった。
生温かい佐助の舌に口内を蹂躙される事に嫌悪は無く、
むしろ妙な心地良さやムズ痒さに似た感覚が生じて抵抗する気力が起きない。

「ん……はぁっ、んぅ……」

鼻に掛かったような甘ったるい吐息が唇から零れる。
耳に届くその声が自分の口から発せられたものだなどと信じられなかった。

そのまま角度を変えて深く口付けられ敷かれた布団へと押し倒された。
呼吸の仕方が解らず息が辛い。幸村の目尻に生理的な涙が滲んだ。
このまま窒息死させれるかもしれないと思った時になって
漸く佐助は唇を離した。二人を繋ぐ銀糸が蝋燭の炎で嫌らしく煌めく。

「ぷはぁっ、はぁっ、はぁっ、ゲホッゴホッゴホッ」

激しく咽返る幸村に佐助は苦笑を浮かべた。

「あのねえ、息しないと死んじゃうよ?」
「ゴホッ、だ、誰のせいだとっ!!」
「こういう時は鼻呼吸するの。なにも口を塞がれたからって息を止めなくてもいいでしょ」
「五月蠅いっ!こんな破廉恥なこと……!」

口を拳で乱暴に拭うと、朱の刺した頬に涙の滲んだ瞳でキッと佐助を睨みつける。
その表情がさらに情欲を掻きたて、ぐちゃぐちゃにしてしまいたいとさえ思った。

「旦那、俺様を煽ると痛い目みるよ」
「あ、煽るだとっ!?何を!!」
「凄んだって全然ダメ。それ、挑発してる様にしか思えないよ」
「なぁっ!?」
「アンタが悪いよ―…」

起き上がって来た幸村を再度布団に縫い付けると、
彼の上に跨って着物の胸元を乱暴に開いた。
筋の浮いた白くて細い首筋は艶めかしく、誘われる様に佐助は喉に喰らい付いた。
人体の急所である底に歯を立てられ、幸村は反射的に恐怖で震えた。
それを見ていると自分が彼の命を支配したかの様な感覚に囚われ満たされた。

(ああ、本当に歪んでいる―…)

自覚はしていたが、自分の闇をこうも実感したのは久しぶりだ。
昂ぶる感情が抑えきれない。喰らい尽くしたい。なにもかもを―…

緊張で汗を流す幸村の首をその汗ごと舐め上げた。
柔らかできめの細かい肌を味わう様に舌を滑らせると
幸村の身体が弓なりになり仰け反った。

「くっ、…はっ、あぅっ」

漏れた嬌声を抑える様に慌てて幸村は掌で自らの口を塞いだ。
だが、執拗に佐助の下に首を責められて耐えきれずに時折漏れる声に
背筋がゾクゾクした。
普段の彼とは違う色めいた声。欲望が滲んだ艶っぽい表情。
そのどれもが自分の深淵に潜む炎を燃え上がらせる。

「旦那―…」

愛しているよ。
その言葉を辛うじて呑み込み、幸村の鎖骨に口付けを落とした。
皮膚を吸い上げ、赤い刻印を残す。
鎖骨へ、胸へ、腹へと自分の痕を付ける度に
皮膚を吸い上げられる慣れない感覚に幸村は短く甘い声を漏らした。

しなやかな身体のラインを指で辿り、下肢へと手を伸ばした。
下帯に包まれた幸村の大きくない性器にそっと佐助の指が触れる。
既に熱を帯び、いつもより大きく膨れたソコを大きな掌が包み込む。

「あ……、うぁっ」
「ヤラシイね旦那、下帯びが湿ってるよ」
「やぁ、さ、すけ……」
「それにすごく熱い」

下帯びをするりと解き、佐助はおもむろに幸村の摩羅を口に入れた。
自分のものを人に触れられるなど、ましてや口に入れられるなど初めてで
恥かしさかで顔を真っ赤にして幸村は涙ぐむ。
自分ですら用を足すときや風呂場で洗う時くらいしか触らない場所を
佐助が口に含んでいる事実に、思わず泣き出しそうになった。

「ば、馬鹿ものッ、そんなところ……!」

佐助の頭を掴んで引き離そうとしたが、それよりも先に
佐助の舌が茎に絡み付いて来て言葉を失った。

「あぁっ、うぁっ」

佐助の熱い舌に翻弄され、幸村はガクンと大きく仰け反った。
巧みに舌を使って陰茎を舐め上げられて幸村は口から涎を垂れ流して嬌声を漏らす。
先走りを舐め取る様に佐助の生温かい舌が蠢いた。
汚ないとか不味いとか思う事は微塵もなく、
幸村の体液はこの上なく甘美な毒のようだった。
貪る様に佐助は無我夢中で舌を摩羅に絡み付かせ、先端から溢れる精液で喉を潤した。

「ああぁっ っぁ あぁっ、いぁっ、でるぅっ!」

下半身から沸き上がる快感が脳まで突き抜ける感覚。
はしたない声を上げながらも佐助の口の中でイクなど出来ないと
必死に幸村は快感を堪えた。

「いやだっ、や、めろ、やめろ、佐助ぇっ!!」

幸村の泣き叫ぶ声に佐助は舌の動きを止めた。
咥えていた摩羅を口から出すと、ぼんやりとした瞳で幸村を見詰めた。
今更ながら、白い肌にまばらに残った紅に、酷く罪悪感を感じた。
罪の意識にハッと我に帰った。
大きな瞳からポロポロと涙を流す幸村に胸が締め付けられた。

(ああ、俺はなんてことを―…)

誘うような真似をした幸村が悪いと言い訳して欲望を曝け出し、
大事な想い人を泣かせるなんてこの上ない最低な行為だ―…

「すまねえ、旦那っ!」

下半身を布で綺麗に拭ってやると、慌てて寝巻を着せた。
体裁など構わずに何度も土下座をして謝罪を繰り返す。
許してもらいたいわけではなかったが、ただひたすら謝り続けた。
この場で手討ちにされ死んだって構わなかった。
それで幸村が自分によって与えられた屈辱と悲しみをが少しでも癒せるなら、
殺されたって平気だった。

「そんなに頭を下げずともよい、佐助」
「いや、でも……」
「疲れていて、少し、可笑しくなっただけだろう?許す……」
「旦那……」

まだ少し涙ぐんだ目で幸村は笑みを浮かべた。
許さない。と言われて嫌われた方がマシだった。
そうであったなら、二度と、こんな間違いは犯さないだろうから。

「ありがとう、旦那」

漸くそれだけ言って、幸村の部屋を去った。


夜の冷気が全身を包み込んで頭の芯から指先までが冷めていく。

ああ、いっそのことぐちゃぐちゃに抱いてしまえばよかった。
そうしたならば、信頼で繋がれた関係を修復できないほどに壊し、
愚かで浅ましい自分だけを呪いながら此処をされたのに―…
許されてしまったら、此処を去る事も出来ないではないか……。

(優しい旦那。アンタのそんな所が大好きで、でも、大嫌いだよ―…)

主従と愛欲の間に彷徨いながら、この先も心を殺していくんだろう。
そうする自分を想像すると、酷く眩暈がした。

ただただ、醜悪な心の闇だけが憎かった。






--あとがき----------

最初は佐助の恋心に気付かず、いつも通りベタベタする幸村に、
焦りながらも必死で我慢する佐助が書きたかったんです。
ですが、いつのまにか話がダークサイドに……!
いや〜、小説って魔物ですよね。
想う様にキャラが動いてくれないです(笑)
次回こそはほのぼのかギャグを書けたらいいですね。
私が個人的にシリアス切ない系好みなので難しいですが……