「酔狂な宴」



難しい局面を乗り越えて手にした勝ちは喜びも一塩だ。

「今宵は宴じゃ!」

信玄の言葉に男達は拳を突き上げ、一斉に雄叫びをあげた。
その様子を少し離れた所で見ていた佐助はやれやれと肩を竦めた。

「佐助ぇっ!此度も見事な働きであったな!」

後ろから声が聞こえたと思ったと同時に背中に温かい衝撃が走る。
肩越しに振り返ると、背中に飛び付いて来た幸村が
すりすりと嬉しそうに頬擦りしている可愛らしい姿が目に入った。
誉め称えられた嬉しさと愛しい人が自分に抱き着いてる気恥ずかしさを隠しつつ、
佐助は何時もの飄々とした口調で応える。

「へへっまあね。俺様ってば優秀だからね」
「うむっ、いつも期待しておるぞ佐助!」
「有り難き幸せってね」

佐助は照れ隠しに軽い口調で笑うと、得意げに鼻の下を擦ってみせた。
それに対して幸村は大きく頷き、「流石は日の本一の忍よ」と惜しみ無い賛辞を送る。

褒美など無くとも、幸村のその言葉だけで充分満たされた。
勿論、給与は多いに越した事はない。
だが彼の傍にいれるだけでそれ以上の幸福はないと思えた。

「そうだ!佐助も今宵の宴に参加せよ」
「は?何言ってんの?俺様忍よ。忘年会や新年でもあるまいしちょっと遠慮しときます」
「つれぬ事を申すな。佐助が居た方が俺は楽しい」
「いや、旦那が楽しいのは嬉しいけどさ、
 忍なんかが居たら他の武将が良く思わないかもしれないでしょ」
「俺の自慢の忍隊を悪く言う連中など放っておけ。勝手に俺の悪口でも言わせて置けばよい」
「オイオイ、旦那ぁ」
「もう決めた!着替えて共に参るぞ!」

一度言い出したら止まらない幸村に食い下がるのは時間の浪費に他ならない。
佐助は大人しく頷いた。

「今宵は無礼講じゃ!」

信玄の音頭を口火に宴会会場の座敷は賑わいに包まれた。
居辛そうに幸村の隣に座した佐助に、幸村が早速酒を注ぐ。

「呑め、佐助」
「ちょっ旦那、俺様なんかに注いで無いでお館様とかに注いで来なよ」
「お館様には勿論酌はするが、まずはお前を労いたいんだ、さあ、盃を出せ」

ニコニコ微笑む幸村に負けて佐助は盃を出す。幸村が注いだ酒を飲み干した。

「ありがとう。旦那もお疲れ様」
「おう!」

お返しに幸村の盃に佐助が酒を注ぐと、幸村は美味そうにそれを飲み干した。
佐助の注いだ酒を空けると直ぐ様他の者が幸村に近付き酒を注ぐ。
律儀にその全てを飲み干す幸村に、佐助は少し不安になった。
だが目出度い席で小言を言うのも難だと黙った。
自身にも「佐助さんお疲れっす」と武士達が酒を注ぎに来たりしてその相手をしたり、
馬場や小山田などの重鎮に酒を注いだりと忙しく、幸村にかまけてはいられなかった。

――それが間違いだった。



宴会開始から1時間半、
皆から注がれる酒を一気に飲み干し続けた幸村は目が据わってきていた。

「幸村殿、どうぞ」
「ありがとぅございますぅ、小山田どのぉ」

呂律が回らなくなり始めた口調ながらもキチンと礼儀正しく振る舞い、
小山田信茂の注いだ酒を幸村は飲み干した。

「なんだか、暑くなってまいりましたなぁ。今日は温かにござる」

いや、そんな筈はない。池の水が凍る程の寒さだ。
火鉢は焚いているものの広い室内は冷えている。
にも関わらず失礼しますと言うと、幸村は羽織を脱ぎ捨て着物の胸元を緩めた。

「そんなに暑いですか?」

信茂はそっと幸村の手を握った。
たまたまそれを見た佐助は焦った顔をする。

(ちょっ、小山田の兄さん、なに旦那に触っちゃってんのぉっ?がっつり手握ってるし!)

何時もはそんな素振りさえない小山田の唐突なセクハラに苛立ち、
苦言を述べて幸村から何とか離れさせたいのは山々だが、
自分如きが文句を言える立場の相手ではない。
どうしようかとふためく佐助の目の前で、幸村がとんでも無い事をしでかす。

「冷たい手でございますなぁ、とても気持ちよい」

信茂の手に手を重ねて持ち上げると、その手を自分の頬にピタリと当てた。
幸村の頬の柔らかな感触に信茂は珍しく狼狽え、
「私の手は冷たいので冷えてしまいますよ」
と忠告してはいるがその顔は満更でもなさそうだ。

酔ってしな垂れかかる幸村の肩をさり気無く抱いている。
ヤキモキする佐助に、ニヨニヨと笑いを浮かべながら信玄が近付いた。

「信茂は大層幸村を気に入っておるようだのう」
「そーですね。俺様も主が好かれていて嬉しいです」
「ほう、本当によいのか佐助」
「何がですか」
「幸村は可愛らしい奴だからのう。あんな風に触れられたら真面目な信茂もうっかり
 手を出してしまうかもしれぬ。信茂だけではないぞ」

信玄に促されて幸村の方を見るといつの間にか彼の周りは暑苦しい男の群れが出来ていた。

「武田の男たるもの、やはり鍛え上げねばなりますまい!幸村殿もよく鍛わっておりますな!」
「勿論、某日々鍛練を重ねて居ります故!若輩ですが諸兄に負けぬよう努力は惜しみませぬ!」

そう言って力こぶを作って見せた幸村に、
二十代後半のゴツい男が近付き、ゴツイ手でベタベタと腕の筋肉を触り回した。

「流石は幸村殿、しなやかで上質な筋肉ですな。胸筋や腹筋は如何か?ぜひ披露して頂こう」
「とくと御覧あれ」

酔っ払った幸村は着物の前を勢いよく肌蹴ると
白い肌を皆の前に晒した。肌が露わになった瞬間数十人が感嘆を漏らす
十数人はゴクリと生唾を飲んだのすら聞こえてきた。

「ほおっ、幸村殿は良い肉体にござるな!どれ、某にも触らせてくれぬか?」
「おおっ、では拙者も」
「ずるいぞ貴様ら、俺にも触らせて下されっ!」

酔っ払った男どもが幸村に圧し掛かり、剥き出しになった腹筋や胸襟を手で弄る。
沢山の手に身体に触れられ、幸村は可愛らしい玉の様な笑い声が漏れる。

「く、くすぐっとうございます、ど、どうかおやめ下されッ!」
「そう言わず、もう少し触らして下さい!」

幸村の肌は若く張りがあり、滑べらかで柔らかく触り心地が良かった。
一度触れば病み付きで、幸村が笑いながら悲鳴を上げても誰ひとり止めようとしない。
目の前で畳に押し倒され、男に触り回される幸村に佐助は顔を蒼くする。
何時もの理性や体裁がプツリと音を立てて切れた。

「ちょっと、俺様の旦那に触らないで下さいよっ!」

そう言って幸村を自分の腕の中に奪い取り、
猫が毛を逆立てるようにフシャーっと周囲を威嚇する。

「おう、さすけぇ〜、どうだ、俺の肉体はっ!
 皆さま方、誉めて下さるぞ。ほら、鍛え上げられておるだろう?」
「何に馬鹿言ってんの!旦那の肉体美は充分に解ってるから
 さっさと肌を隠して!ほら、そうベタベタ触り回させないでよ!」
「ん〜?何故だぁ?恥ずべきところは無いぞ!」
「恥かしくなくてもダメッ!俺様が嫌なのっ!」

そう言って佐助はぎゅ〜っと固く幸村を抱締めた。
鋭いが何処か赤らいだ可愛さの交る目で幸村に群がる男を佐助が睨む。
その挑戦的な目に乗っかるように、信茂が幸村に手を伸ばし、
姫の手を取る様な紳士的な優しい手付きで幸村の手を取った。

「小山田の兄さん、旦那から離れて下さい」
「猿飛殿、幸村殿を独り占めはいけませぬぞ。武田の者はみな、
 幸村殿が大好きなんですよ」
「旦那が好かれてるのは嬉しいけどっ、駄目です〜。
 旦那に触っていいのは俺様だけなの!旦那は俺様のなんだからねっ」
「幸村殿が左様なまでに好きか?猿飛殿」
「あたりまえでしょ〜っ!俺様は旦那がだいすきなのっ!」
「嬉しいぞさすけぇっ、解った、じゃあ触らせぬぞ。
 という訳で申し訳ありませぬ、小山田殿ぉ。某はさすけのものでございます」
「幸村殿にそう言われては、引かざるを得ませんね

微笑むと、あっさり信茂は幸村から手を離してくれた。
同時に、回りからヒューヒューと囃し立てる様な歓声とざわめきが巻き起こる。

「佐助さんっ、男っす!」
「幸村様とお幸せに〜っ!」
「幸村殿を独り占めなんてずるいぞ佐助殿!」
「熱い、萌え滾りますなぁ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

変な熱狂が巻き起こり、宴会会場は更に盛り上がった。

「うむ、佐助!身分と性別をも乗り越えた告白、その意気やよし!
 だがのう、幸村はそう簡単に渡さんぞ!!」
「いくらお館様でも譲れません〜」
「ワハハハハっ!言うのう、佐助!勝負じゃっ!」
「望むところだねっ。ぜったい旦那だけは渡さないよ!」

高らかにそう宣言すると、佐助は皆の前で幸村に濃厚な接吻をした。
ぶちゅっと音がしそうなくらい深い口付けに、
周囲の歓声と悲鳴が最高潮になる。
その中で、「よくやった佐助っ!!」という信玄の声が会場中に響き渡った。




囁かな囀りが会場に響く。
死屍累々という様相で転がっている男たちの群れの中、一人の男がむくりと起き上がる。
一番初めに起きたのは、猿飛佐助だ。

赤味がかった特異な色の髪が朝日に煌めく。
ボリボリと後頭部を掻きながら、酒瓶が転がり膳がひっくりかえり、
テンションがあがって脱ぎ去った衣服が点在する惨状と化した会場を見回しながら、
酒で重い頭でぼんやりと佐助は昨日の事を思い出そうとしていた。
その時、二番目に起きてきた小山田と目があった。
小山田信茂は起き上がると佐助の方に歩み寄って来て、
意味ありげな笑顔を浮かべながら佐助の肩を叩いて言った。

「昨日の告白、見事でしたよ猿飛殿。
 貴方にもあんな情熱的な一面があったなどとは知らなかった。
 やはり、猿飛殿も流石は熱き武田の一員といったところですね!見直しましたぞ」

笑いながら去っていく。
やがて拾い上げた途切れ途切れの記憶に、佐助はハッと目を見開き
顔を真っ青に染め上げた。

「……っ!」

(俺様、いつの間にか酔っ払ってたのか!?
 しかもお館様や、他の武将の前で旦那は俺のモノ宣言しちゃったワケ!?)

幸か不幸か、記憶の全てが鮮明に蘇る。
何をしでかしたか解らず怯えるのも嫌だが、
今回はどうせなら全て忘れていた方が気楽だったかもしれない。

(どんな顔して旦那に顔見せればいいのさ―…?)

不覚にも顔が朱に染まるのは何ともしようがない。
それほどまでに恥かしい事をしたのだ。
ワタワタしていると、雑魚寝していた幸村がう〜んと唸り声を上げる。
長い睫毛が震え、ゆっくりと幸村が起き上がって来た。

「ん―…、う〜」

目を擦るとう〜んと大きく伸びをして幸村は佐助の方を向いた。
目が合うと胸がドキマギとするのを抑えきれず、
不自然なひっくり返った声が出て佐助は自身にがっかりした。

「お、おはよっ、だんな!」
「おう、おはよう佐助。頭が重い……飲み過ぎたな……」
「そ、そうだね。旦那、沢山飲んでたからね」
「つい、な」
「あ、あのさ、昨夜は……その」

(ごめんってのも変だしな……あぁ、もう!何言えばいいのさ?)

事もあろうか必死に隠して来た恋心の一部を晒してしまった。
幸村は、あんなベタベタした自分の態度をどう思っているのだろうか?

一人アタフタしている佐助の様子に気付かぬ幸村は、
首を捻って呟いた。

「昨夜の事は、さっぱり覚えて居らぬ」
「え?何にも覚えてないの?」
「うむ。途中から全く覚えてないのだ」
「マジかよ!?あ〜、俺様アンタが羨ましいわ」
「な、何かしでかしたか?俺はっ!?」
「ん〜、まあ、まあね。ま、可愛いものだよ。アンタは、ね」
「や、やはり何かしたのかっ?」
「だいじょーぶ、粗相って程じゃないよ。
 でも旦那、正体失くすまで飲むのは控えた方がいいよ。
 武田内でならまだいいけど、独眼竜や他国との交流の席では特に」
「そ、そうか?でも何故だ?粗相はして居らぬのだろう」
「うん、そうなんだけどね。別の危険がありそうだから、さ」
「別の危険?何だ?」
「いいのいいの、大した事じゃないよ。
 お酒抜けてないでしょ?お水持って来て湯あみの準備して来るね」
「お、おう。すまぬな、頼んだぞ」
「はいよ!」

佐助は足早に部屋を退出し、台所に水を取りに向かった。
ふ〜っと溜め息を付くと、佐助は冷たい土間に座り込む。
幸村が何も覚えていなくて、心底よかったと思う。

(よかった。旦那と気不味くならずに済むよ……)

それにしても、幸村が思いきり酔っ払うと飛んでもない破壊力だ。
無意識の上目遣いな瞳、可愛らしい甘え声、しなっぽい手付き。
あんな潤んだ瞳で寄られたら、男は間違いなくイチコロだ。
普段は男らしく色っぽい態度なんて微塵にもないのに、
酔っ払ってああなるなんて反則だ。

(ま、俺様も人の事言えないよね……)

酒は節度をもって飲むをモットーとし、今まで酔っ払った無様な様なぞ
見せた事がないのに、酒呑みにつられたのが間違いだった。
酔っ払って主に甘え、自分のだと宣言するなどなんて大胆なのだろうか。
自分自身に呆れてしまう。
溜め息が出るのは、二日酔いで頭が重たい所為だけではなかった。
大酒呑みの信玄や馬場に自分の失態をからかわれるのが容易に想像出来たからだ。


案の定、「幸村はお前のものだそうだな、佐助」とか
「挙式は何時にする?幸村はさぞや白無垢が似合うであろうな」と
にやにやした表情の信玄に暫くからかい倒された。

酒は飲んでも呑まれるな……。
この言葉が痛いくらい身に染みた宴となった。








--あとがき----------

幸村は酔っ払ったらキス魔や触りたがりになったら可愛いです。
大胆かつ色っぽくなりそうですね。
佐助は酔うと甘えちゃうと面白いですね。
普段はおかんやってる分、酔うと甘えたい心が解放!