「雨降りの仔猫」





酷い雨が降っていた。

そろそろ雪が降りそうな寒い季節の雨。
吐く息が白く空気に留まり、気温の低さを実感させる。

雨は嫌いだ。髪はモサモサになるし、濡れるし、冷たいし。
外で暮していた自分にとっては最悪の天気だった。

その名残で、今でも雨は嫌いだ。
鉛色の空を見上げて、銀時が溜息を吐く。

「おや、銀時。どうしました?」

優しい声が降り注ぐ。
振り返ると、暖かな陽だまりを思わせる笑顔を浮かべた松陽が立っていた。

「別に……雨、降ってるなって……」
「おや、銀時は雨は嫌いですか?」
「嫌い。髪、くしゃくしゃになるし、寒い」
「ふふっ、そうですね。銀時はふわふわの猫毛ですから。
 それに、雨が降ると外で元気いっぱいに遊べませんね。
 子供たちは雨が嫌いな子が多いかもしれません。
 でも、雨が降るといいこともあるんですよ。草木が潤うし、
 農作物が育つにも欠かせません。それに、風流でしょう?」
「風流……?」

銀時は首を傾げた。すると松陽はまた微笑んで、
くしゃりと頭を撫でた。

「銀時には、風流はまだ難しいですね。
 まあつまり、雨は雨なりにいいところがあるって事です。
 要らないものなんて、この世界には一つもないんですよ。銀時。
 さて、あと十分ほどで授業が始まります。教室へ行ってなさい」

無言で頷くと、銀時は言われるまま教室に向かった。
いつもの一番後ろの席に座ると、ぼんやり教室を眺める。
いつも通り、クソ真面目な桂は早くから来ていて、
教科書を読んでいる。
銀時に気付くと、本から顔を上げて近付いてきた。

「銀時。今日は早いな」
「先生に教室行けって言われたんだよ」
「ふむ、そうか。まあでも、感心だな」
「うっせーよ、ヅラ。ところで、アイツは?」

銀時はチラリと教卓のすぐ前の席を見た。
そこにいつもあるその姿が今日は無い。

「アイツ?誰だ?」

鈍い桂は、アイツが誰を指しているのかわからないようだ。
視線で察しろよと、銀時は少し苛立つ。

名前を呼ぶのが恥ずかしくて、顎でいつも彼が座っている席をしゃくって、
もう一度「アイツだよ!」と声を荒げる。
桂は五秒ほど考え込んだあと、「ああ」と納得した声を出す。

やっと伝わったかと銀時がほっと息を吐いたのもつかの間、
「さよちゃんだな」と、桂はドヤ顔で見当外れの名前を上げた。

「ちげーよ、バカッ!高杉だよっ!!」

怒り心頭で、つい銀時は声を荒げて叫んだ。

そのおかげで、教室の子供たち全員に注目されてしまった。
バツ悪そうな顔を俯ける銀時に、桂がさらに追い打ちをかける。

「なんだ、高杉か。銀時は本当に高杉が好きだな」

意外と大きい桂の声は教室中に響き、更に嫌な注目が集まる。
銀時は少し頬を赤らめて、桂の着物の襟を掴んだ。

「バッカ、好きじゃねぇよあんな奴!」
「はっはっは、照れるな、銀時。好きで結構ではないか」
「違うってんだろ、馬鹿ヅラ!」
「ヅラじゃない、桂だ。うむ、高杉はまだ来とらんようだな」
「何でだよ?」
「俺が知るか。だが、珍しいな。いつも俺の次には来てるのに」

そう言って桂は不思議そうに教室を見回した。
かなり多くの子供が集まっているが、やはり高杉の姿はない。
「そのうち来るだろ?じゃなきゃ休みだ」
そう言って桂は肩を竦めると、また席に戻って教科書を開いていた。

高杉が休むなんて有り得ない。
銀時は気になって、教室を出て行った。
高杉の家を知っている訳ではない。
それなのに外に行って自分はどうするつもりなのだろうか。
判らないけど、ともかく教室でじっとはしていられなかった。





しとしとと雨の音がしている以外、静かな外。
まるで世界が止まってしまったような感覚が薄気味悪かった。

銀時は玄関を開け、傘を差して外へ出た。

門を出てすぐの所に、高杉が立っているのを見つける。
俯いて考え込むような顔をしている高杉は、
自分の気配に気付いていなかった。

「オマエ、こんなところで何してんの?」

銀時が声を掛けると、高杉はハッと顔を上げた。
上等な布の着物はずぶ濡れで、濡れた髪が頬に張り付いていた。

「傘、どうしたんだよ?」

銀時が尋ねると、高杉は「忘れた」と答えた。

いつもの彼らしくない、下手くそ過ぎる嘘。

銀時は大袈裟に溜息を吐いて、高杉の手を掴んだ。
氷のような冷たさに、銀時はぶるりと震える。

「朝から雨降ってんのに、忘れたとか有り得ねーだろ。
 吐くならもっとマシな嘘吐けよ、ボケ」
「煩い。別にどうでもいいだろ」
「うっ、ああ、別にオマエなんざ、どーでもいいけどよ。
 で、こんな門の所で何やってんだよ。早く中に入れば?
 授業、もうすぐ始まっちまうぞ。何で入ってこねぇんだよ」

銀時が問い詰めると、高杉は少し瞳を伏せて呟くように答えた。

「だって、俺、濡れてるし。
 こんなずぶ濡れで教室上がったら、先生に迷惑だろ……」
「いつもふてぶてしいクセに、先生に対しては遠慮ばっかだな」
「たりめぇだ。松陽先生に迷惑はかけらんねぇ」
「この猫っ被りめ」

銀時は高杉の手を掴んだまま、強引に歩き出した。

「ちょっ、待てよ、銀時」

高杉が不服を露わにして足を踏ん張る。
だが、高杉の身体は自分より一回り以上小さく、
体格差があるので、簡単に引き摺って歩いていけた。

「オイ、ジタバタしてねぇで寄って歩けよ。濡れっぞ」
「待てって、銀時。俺、今日は帰る!」
「授業サボんのは勝手だけど、濡れたまま帰せねぇだろ。
 テメー、チビだし病弱そうだから風邪ひくぞ、ぜってー。
 せめて、服や髪、乾かしてから帰れよ」
「いいっつってんだろ、離せよ、銀時」
「ダメだ!」

玄関の前、二人で押し問答をしていると、ドアがゆっくり開いた。
ドアから松陽が顔を覗かせる。

「おやおや、二人とも。もう授業が始まっちゃいますよ」
「松陽先生……」
「ずぶ濡れですね、晋助。可哀相に、寒かったでしょう?」
「い、いえ。俺は平気です」
「我慢強い子ですね、晋助は。でも、風邪を引くといけないから。
 銀時、晋助を迎えに行ってくれてありがとうございます。
 二人とも、上がりなさい。今タオルと着替えを用意しますね」

二人と手を繋ぐと、松陽は優しくだが、強引に二人を家に上げた。

高杉の歩いた後にポタリと水が滴り落ちる。
高杉はそれを気にするように振り返っていた。
すると、松陽がおもむろに高杉の頭を撫でる。

「気にしなくていいんですよ、晋助。濡れた所は拭けばいいだけです」
「はい。ありがとうございます、松陽先生」

ほっとしたように笑顔を浮かべる高杉を、銀時は横目で見ていた。

自分達には見せない幼い顔。
いつもは拗ねたような生意気そうな大人ぶった顔をしている
高杉があんな風に困ったり笑ったりするなんて、なんだか新鮮だった。

可愛い。そんな風に思う自分に、銀時は少し焦った。



高杉が湯を浴びて着替えを済ませると、
松陽は銀時と高杉を奥の居間に通して、汁粉を淹れてくれた。

「晋助、銀時、お汁粉を飲んでしっかり温まってから
 授業に来なさい。あ、おやつを食べた事はみんなには内緒ですよ」

人差し指を立てて悪戯っぽく微笑むと、松陽は教室に行ってしまった。
高杉と二人きりになった銀時は、さっそく汁粉に手を伸ばす。

「ラッキー。オマエのおかげで美味しい思いができたぜ」
「……銀時、ありがとな」
「え?」

高杉の口から零れた言葉に驚いて銀時は顔を上げる。
顔を上げて見た高杉の顔は、普段の仏頂面じゃなかった。
真一文字に引き結んだ唇を綻ばせ、ふわりと可憐な笑みを浮かべていた。

恥ずかしくなって顔を逸らし、
ぶっきらぼうに銀時は「何がだよ?」と尋ねる。
高杉は笑顔を浮かべたまま答えた。

「外まで様子見に来てくれたことだよ。嬉しかった」
「べ、べつに、オマエが気になってじゃねぇからな!
 ただ、いつも早いのにいなかったから、迷子になってんじゃねぇかって。
 しょ、松陽先生が心配すっといけねーから、そんだけだからな!」
「理由なんざどうでもいい。ありがとう、銀時」
「……お、おう」

珍しく素直な高杉にドギマギして、銀時は顔を赤くした。
しとしとという雨の音がやけに優しく聞こえた。
大嫌いな雨なのに、今はそう嫌じゃないと思えた。

「ところで、なんで傘持ってなかったんだよ」
「ん、ああ。あげた」
「は?あげた?誰に」
「気になるか?銀時」
「もったいぶらないで教えろよ」
「すごく可愛いのがいたんだ。そいつにやった」
「可愛い奴?ま、まさか女か?」
「ばーか、エロ銀。女なんかじゃねぇよ。猫さ」
「はぁ?猫ぉ?」
「段ボールに捨てられてた。白くてフワフワした猫な奴」

歯を見せて笑う高杉に銀時は少し呆れた。
猫なんかに傘をやってびしょ濡れで来るなんて酔狂だ。
自分だったら、素通りしているだろう。

それにしても、高杉がそんなことをするなんて意外だ。
キツイ性格で、一見擦れているようだが、
本当は純粋で優しいのかもしれない。

胸がほわりと温かい。
汁粉のおかげだろうか。それとも、もっと別の感情がそうさせるのか。
高杉の薄緑の瞳を見詰めていると、頬まで熱くなった気がした。

銀時は首を振ると、汁粉を一気に飲み干した。
「とっとと授業に行くぞ」と呟くと、松陽の元へ急いだ。

「待てよ、銀時。俺も行く」

残った汁粉を飲み干して、高杉が慌ててついてくる。
それから逃げるように銀時は早足で教室へ向かった。




授業が終わる頃には、雨は止んでいた。
高杉は何度も着物を借りたお礼を松陽に言ってから帰っていった。

銀時は何気に高杉の後をつけた。
気付かれないように足音を消していたが、
気配に敏感な高杉にはすぐに気付かれてしまい、彼が振り返った。

「なに尾行してんだよ、銀時」
「人聞き悪ぃんだよ、尾行じゃねぇ。た、たまたまだっつーの」
「どうだかな。お前、気になってるんだろ?」

にやりと高杉が笑う。チェシャ猫のような笑みだ。

銀時は心を見透かされた気がしてドキリとした。
驚いた顔で、銀時はバクバクする自分の心臓の音を聞いていた。

「俺が傘をやった猫のこと」

にっと笑ってそう言った高杉に、銀時はずっこけそうになった。
ドキドキして損した気分だ。
高杉は鋭いが、ちょっと天然な所があるのかもしれない。
だが、勘違いしてくれてた方が好都合だと、銀時は彼の言葉に乗った。

「オマエが気に入るほどの猫、拝んでみてぇんだよ」
「だったらコソコソついてこねぇで堂々来いよ」
「お、おう」

高杉と並んで歩くこと十分、街角の電信柱の下に傘が
立て掛けてあり、その下に段ボールの箱が見えていた。

「にゃぁ」

鈴を転がすような鳴き声と共に、
傘の下から白いフワフワの生き物が出てきて高杉の足に擦り寄る。

「よかった。濡れてない」

高杉は少し頬を緩めると、猫を抱き上げた。

「ちょっと銀時に似てるだろ?」
「似てねぇよ。猫と一緒にすんな」
「似てる。ふわふわしてる所が」
「んだよ、それ。で、それどうするんだよ?
 まだ子猫だし、放っておいたら鴉の餌になるんじゃね?」
「そう、だな。どうすればいいだろう。
 俺の家じゃ猫なんざ飼えないし。だけど、放ってはおけないんだ。
 一回手を出して、無責任に放置ってのは最低だろ?」
「そうは言っても、飼えないんじゃなぁ……」

仔猫を抱いたまま、高杉は俯いていた。

珍しく困った顔をしている。
銀時もなんとかしてやりたいとは思ったが、自分も捨て猫みたいなものだ。
勝手に連れて帰るわけにもいかないし、面倒を見られる保証がない。


二人で途方に暮れていると、後ろから声が聞こえてきた。

「しっかり者の晋助が傘を忘れるなんて変だと思ったら、
 そういう事でしたか。随分と可愛い子に傘を貸してあげたんですね」
「松陽先生……」
「どうするんですか?その子」
「連れて帰りたいけど、きっと家の人に許してもらえないです」
「そうですね、晋助の家で飼うのはきっと難しいでしょうね」
「でも俺、こいつのことを放っておけないんです」

そう言って松陽を見上げた晋助の瞳は少し潤んでいた。
松陽は腰を屈めると、晋助と目線を合わせる。

「せっかく晋助が見つけたのだから、
 うちの庭で飼いましょうか。晋助と銀時と私とで世話をしましょう」
「え?」
「ちゃんと最後まで責任もって世話が出来ますね、晋助」

にこりと松陽が微笑むと、高杉はぱっと笑顔を浮かべた。

「はい、松陽先生!」
「よろしい。銀時、君もですよ」
「えぇ〜、俺まで巻き添えかよ」
「銀時も、可愛い子は大好きでしょう?」
「ヘイヘイ。ま、やるだけやるよ」
「ふふ、期待してますよ」

松陽の手が優しく、二人の頭を撫でた。







--あとがき----------

幼少期銀高です。
高杉は子供の頃は大人ぶっていても、純粋そうです。
ちょっと天然チックな所もあって、可愛いと思います(笑)
恋愛には奥手で、いつも鋭い癖にそこは鈍いといいです。
松陽先生はきっと曲者ですね★