―燻る白煙―





漠然とした不安が胸に凝っていた。
理由の解らない薄曇りの様な不安。
その原因を知ったのは、ついこの間のことだ。



万斉は空を仰いで深く息を吐いた。

蒼穹に浮かぶ白い雲。思い出すのは白銀の鬼の姿。名は坂田銀時。
遠ざかっていく奴の姿を見送った晋助の瞳。
モスグリーンの淡い瞳に宿った微かな色を、薄暗いサングラス越しに確かに見た。

その時、自身の胸に仄かに過った感情の名前は解らない。
ただ、あり得ない感情だと、抹消すべき感情だとは解った。

「いかん、まだ仕事が残っていた。のんびりしてたら晋助にどやされてしまう」

押し寄せる感情を誤魔化す様に呟くと、
万斉は空から視線を外して艦内へと戻った。


「万斉センパイ、外でなに黄昏てたんスか」

艦内に戻ると、補修の為の木材を抱えたまた子が不服そうな顔で睨んできた。

「おお、すまんでござる。少しぼんやりしていた」
「いいっスけど。センパイ春雨と話つけるのに疲れてるだろうし」
「いや、それ程でもなかった。意外と容易かったでござる」
「そう言うわりには顔、なんか怖いっスよ?怒ってるみたいっス」

また子の言葉に万斉はぎくりとした。
獰猛な猪で女らしいところは体つき位のものなのに、時々妙に鋭い。
意外にも女の勘があるようだ。
彼女は晋助に隠すことなく恋心を抱いている。
そんな彼女に自分自身が気付いてない心の深淵の欲を見透かされる気がした。

「いや、一応仮にも同士が死んだゆえ少々気が立っていた」
「同士……ああ、似蔵のことっスか?私は別にあんなヤツ、仲間となんて思ってないっス。
 センパイはいなかったから知らないだろうけど、私殺されかけたんっスよ!」
「そう言ってやるな。紅桜のせいなのだから。
 拙者も奴は好まんが、晋助を守ろうとしてたことだけは評価している」
「晋助様を守る、ね。それも気に食わないっス」
「何故でござるか?」
「センパイ、気付いてないかもしんないっスけど、似蔵が晋助様を見る目、ヤバかった。
 アイツ、私らに隠れてコソコソ晋助様に迫ったりしてたみたいだし」
「晋助に……」

言われてみれば、思い当たる節はある。
似蔵はあの汚い手で晋助に触れたのだろうか。そう思うと、怒りが沸いた。
また、恐ろしい形相をしてしまいそうで、万斉はまた子に背を向けた。
不審そうな目を向けられていたのに気付いていたが、
知らないふりをして、「船の修復に取り掛かろう」ち彼女を促し、
足早に歩き始めた。




夜が来る前に修復作業は無事終わった。


艦の主である晋助は昼の間じゅう姿が見当たらなかった。
夕餉の時間になっても一向に現れない。
食の細い晋助が食事を摂りに来ないのはいつものことであったが、
自分とさえ一度も顔を合わせないのは珍しい事だ。

万斉は晋助の姿を探して、艦内を歩き回った。
散々探してようやく、ひっそりした窓辺にその姿を見つける。

「晋助」

戦艦の窓辺に立ち、ぼんやりと夜の街を見下ろす晋助に万斉は声を掛けた。
いかにも億劫そうにゆっくりと彼は振り返る。
右手にはキセルを持ち、紫煙を燻らせていた。

「何か用か、万斉」

気怠そうな声。俺の邪魔をするなとでもいいたげな瞳。
邪険にされるのには慣れていたが、今回はなぜか無性に腹が立った。
晋助からはサングラスで目の色は伺えないのが幸いだった。
だが、あの男は妙に勘が鋭く、僅かな乱れすら読み取ってくるから油断はできない。
万斉は一つ静かに呼吸をすると、ゆっくりと彼に歩み寄り、隣りに並んだ。

「何を見ているのでござるか?晋助」
「あぁ?何も見ちゃいねーよ」

そう言って視線を逸らした先の夜の闇に、白い魔物がいる気がした。

「晋助、白夜叉が気になるのか?」

その名を口にした途端、明らかに晋助の瞳は揺らいだ。
万斉はそれがさらに腹立たしくてならなかった。
細くて白い手首を掴むと、自分を見ようともしない晋助を無理やり自分の方へ向き直らせる。

「つっ……!」

短く呻いた晋助は一瞬だけ動揺した顔をしたが、すぐに鋭い眼光を向けてきた。

「何をする、万斉。その手を離せよ」
「いやだ、と言ったらどうする?晋助」
「ふざけてんじゃねーよ。命令だ、離せ」
「聞かぬ。と言ったら?」

万斉は壁に晋助を押し付けた。
両手首を掴み、顔を近づけて低い声を出す。

「晋助、お前は確かに強い。だが、小さい」
「……何が言いてぇ?」
「剣を持たぬ状態なら、拙者の方が有利でござるな」

危険を感じ取ったのか、珍しく晋助は不敵な笑みを崩した。
自分の手を押し返そう力を入れてくる。
蹴られてはかなわないと、万斉は晋助の身体に自分の身体を重ねた。
こうするとよく判る。晋助は華奢で小さい。
筋肉がしっかりついた引き締まった身体だが、
厚み、広さのどれをとっても、遥かに自分よりも劣っていた。
近くによると、ふわりと甘い色香が漂う。
甘い、惑わせるような香り。

「晋助……」

自分が晋助に欲情しているのがはっきりわかった。
万斉は熱くなった下半身を晋助の股に擦りつけた。
僅かにだが、一瞬だけ晋助の肩が跳ねた。
耳にそっと唇を寄せて舐め上げると、短い呻き声が漏れた。

「うっ……、やめろ、万斉」

殺気立った瞳に睨まれても、低い呻き声で命じられても万斉は従わなかった。
細い顎を掴み、強引に唇を奪う。

「ふっ…んぅ、っ……」

晋助の唇からくぐもった声が漏れる。
普段の気迫と殺気が溢れる様子からは想像できないような、甘い声。
薄く開いた唇の隙間から己の舌を捻じ込んで、小さく柔らかな舌を蹂躙する。

晋助の感度は良く、自分が与える刺激に反応して足から力が抜けていた。
晋助の足を払うと、万斉は床にその身体を押し倒した。
唇を貪りながら、大きく開いた無防備な着物の襟から手を滑り込ませる。

滑らかな肌を掌で撫でると、晋助が色っぽい声を上げる。
それだけで己の下肢が更に熱を持つのを感じた。
唇を重ねながら、晋助の胸の飾りに触れる。
ぴくりと反応する彼を、可愛いと思った。
もっといろんな表情をさせたい。素のままの彼が知りたい。

そんな浅ましい感情が胸で渦巻いていた。


もっと深く貪ろうとしたとき、舌に鈍い痛みが走った。
同時に、口の中に鉄の味が広がる。

「つっ……」

万斉は思わず手を止め、唇を離した。
ギラリとした刃物のような瞳が、じっと自分を見詰めている。

驚いている万斉に、唇を手の甲で拭いながら、晋助は低い声で尋ねた。

「気は済んだか?万斉」
「晋助……」
「えらく発情してるじゃねぇか。暫く切ってねぇからか?
 ククッ、今回はお前にゃ話し合いなんぞ、くそつまらねぇ仕事しか
 させてねぇからな。無理もあるめぇ」
「いや、拙者は……」
「発情するのは結構だ。だが、相手くれぇ見定めるんだな」

有無を言わさない緑の瞳。
これ以上言葉を重ねるのは無理だと悟り、万斉は口を噤んだ。
晋助は万斉を押し除けて立ち上がると、万斉から離れていった。

少ししたところで足を止めると、背を向けたまま晋助が呟く。

「銀時なんぞ、もう俺には関係ねぇ。二度と、その名を口にするな」

冷たく鋭い声だった。だが、そこには確かに寂しさが混じっていた。
去っていく背中を追うことも出来ず、万斉はただ拳を握りしめた。

「晋助、晋助はまだ白夜叉のことを……」

邪魔だ。晋助に刃を向けたあの銀色の侍が。
傍らにいた桂小太郎など目には入らなかった。
ひたすら、今でも晋助の心に居続ける坂田銀時が邪魔だと思った。


今なら似蔵の気持ちがわかる。そう思った。
晋助の中に未だ揺らめく、陽炎のような白煙の残像。
「今、彼の隣にいるのは自分達だ」そんな主張が空虚しく響く。

切っても切っても切れない鬱陶しく燻る煙。
それを消す術を無償に知りたかった。






--あとがき----------

紅桜を見て、万斉がやたら晋助の隣に立つのを見て
晋助は俺のものだと主張しているのかな、なんて思って書いた作品です。
高杉は銀さんをかなり好きですよね。
銀さんを見る目が愛おし気だと思います。
万斉は忠犬な面もあり、狼の面もある気がします。