「眠り姫」





酸素を送る規則正しい空気の音、
脈を確かめる規則正しい電子音。
真っ白な部屋の純白のベッドに仰向けに横たわる身体。

ガラス窓の向こうから、身じろぎひとつせずに眠り続ける主を
見守るのは、三匹の犬。
一匹は長い紅色の髪を三つ編みにした狂犬。
もう一匹は長い金色の髪をハーフアップにした忠犬。
最後の一匹は青く短い鬣のような髪をした猟犬。
互いに会話を交わすでもなく、ただ、何時間もじっと眠る主人を見つめていた。

「シンスケ、早く起きてよ」

ニコニコした顔でつぶやいたのは狂犬、神威だ。
その独り言に反応したのは、忠犬のまた子。

「晋助様、もしかしてこのまま―…」

不吉で弱気な言葉に、神威が緩慢な動作で彼女を振り向いた。

「起きるよ。シンスケはちゃんと起きる。こんな所で止まる男じゃない」
「でも、あれほどの傷じゃ……」
「また子、そのような顔をするな。拙者らが信じねば、
 誰が晋助を信じてやれる?大丈夫、奴はここで朽ちるような男ではござらぬよ」

さっきまで無言だった猟犬、万斉が宥めるように言った。
涙ぐみかけていたまた子は目元を拭い、硬く頷いた。
万斉は彼女の形をポンと叩くと「休め、身体がもたん」とやんわりと命じる。
また子は初めは首を振っていたが、再度、彼に休むよう命じられると
小さく頷いて、主・高杉晋助の病室を離れた。

万斉と神威、二人がその場に残った。
しばらくまた、無言の時間が続く。

「神威、ぬしらはこれからどうするつもりでござるか?」
「どうって?」
「見ての通り、我ら鬼兵隊は大打撃を受け、神輿も失った。
 その上、晋助がこの有様だ。
 ぬしは、晋助に恩義があったのと奴に興味を持ったのを理由に
 この船に乗ったと見受ける。だとすれば、もうその義は返したし、
 晋助は暫くは起きない。それに我らは春雨に追われる身。ぬしらは潮時であろう?」
「潮時、ねぇ。阿伏兎と同じことを言うね」
「阿伏兎のいう事は正しいでござるよ」

神威は暫く無言で万斉をじっと見つめた。
十数秒後、青い瞳を不気味に開いてにっと口の端を吊り上げて笑う。

「俺は、シンスケについていくって決めたよ。
 春雨も元老院も全部、この手で屠る。海賊王になるからね」
「だとしても、この船に残る意味はない」
「どうして?」
「拙者らは晋助の命なしでは動かぬ。春雨が攻めてこれば
 当然戦闘は避けられぬが、自ら進んで戦う気は毛頭ござらん。
 ぬしにとっては退屈であろう。それに、リスクも高い」
「ふーん。お侍さんさ、俺の事心配してくれてるの?それとも俺が邪魔?」

ギラギラした瞳で、神威が万斉を見る。
恐ろしい、獣のような瞳だと万斉は思った。

神威の言う事は当らずとも遠からない。
戦力的にみれば、夜兎族である彼らがいてくれれば、
春雨に襲われた時に非常に心強い。
だが、個人的に言わせてもらえば神威は邪魔な存在でもあった。
至極簡単な理由だ。一つは今まで自分だけに与えられていた
高杉の隣というポジションが脅かされること。そう、単なる嫉妬だ。
考えたくないが、神威は高杉に同類や獲物としての興味以上に、
何か特別な感情を抱いているように思えてならない。
もっとこう、獣じみた彼らにない人間らしい感情。

もう一つの理由はそれとは真逆の理由、恐れだ。
今は高杉に懐いている節を見せる神威だが、
動けなくなった高杉に飽きて、いつ神威が彼を殺すか知れない。
所詮は天人。人間などゴミとしか思わない連中だし、
そうでないとしても、獣の本性がいつ現れないとも限らない。

神威の邪魔かどうかという問いかけに素直に答える程、
万斉はおろかでも子供でもなかった。
いつもの無表情のまま、さらりと「いや」と答える。
それに対して神威は興味なさげに「ふーん、そう」と返事すると、
また高杉の方に向き直った。
じっと高杉を見つめる青い瞳には、思慕のような感情が揺らいでいる。
神威の横顔を見ていられなくなって、万斉は踵を返した。

「あれ、どこ行くの?」

万斉の方を振り返らず、高杉を見つめたまま神威が問いかける。
万斉は足を止めて、淡々と答えた。

「拙者は少し休息を取る。風呂にでも入って身を清めてくるでござるよ」
「いってらっしゃーい」
「神威、丈夫とは言え食事も摂らずにその有様じゃぬしも参る。
 部屋に戻って休んできてはどうだ?」
「平気だよ。飯は阿伏兎にここへ運ばせるし、座って眠ればいい」
「そうか。無理はせぬようにな」

愛想の無い声でそう言うと、万斉は去って行った。

独りになった神威は、窓枠に肘をついてじっとガラス越しに高杉を見つめた。
数分すると、神威は高杉の病室のドアを開いた。
入り口でしっかりとアルコール消毒を済ませて中に入ると、
高杉の枕元にパイプ椅子を置いて腰かける。

眠る高杉の顔は普段の凄味も妖艶さもなく、ただただ幼く見えた。
整った輪郭、閉じた瞳を縁取る睫毛はふさふさして長い。
解けていた包帯は新しいものが巻きなおされて、左目を覆い隠していた。

「綺麗だね、シンスケ。眠り姫みたい」

妹が読んでいた地球産の絵本の話を思い出して、神威はクスリと笑う。
頬にかかる柔らかな黒髪をさらりと退けると、そっと冷たい頬を手で包んだ。
規則正しく空気を送る酸素マスクをそっと外してみる。
高杉が苦しんでいないことを確認すると、唇を奪った。

もしも自分が王子ならば、キスで高杉を目覚めさせられるだろうか。
などと幼稚な妄想をしたわけではない。
単に、触れたいという欲望に抗えなかっただけだ。
唇はいつもよりも冷たかったけど、仄かに温かみもあった。

大丈夫、彼は死んでなんていない。
ただ、長い戦いと深い傷のダメージで、疲れて少し眠っているだけだ。

柔らかな唇を吸い上げて、舌を絡ませる。
もしも夜兎の血を彼に飲ませたら、自分の回復力が彼にも染って
彼の傷が癒えて目が覚めないだろうか。
そんな事を考えながら、神威は高杉の唇を貪った。
いくら激しいキスを交わしても、高杉は何の反応も示さない。
ゆっくりと唇を離すと、銀糸が二人の唇を繋いだ。
それを嘗めとると、神威はもう一度かるく唇にキスをする。

「俺が眠り姫を起こす王子様だったらよかったのにね」

クスクスと自分の言葉に笑いながらまた、神威は唇に触れた。
数秒唇を重ねてから唇を離し、高杉に酸素マスクを装着した。

「ねえ、シンスケ。あんたが例え一生起きなくても、
 俺はずっとあんたの傍を離れたりしない。
 此処がいい。あんたの隣が、一番落ち着くんだ。シンスケ」

壊れ物を扱う手付きで高杉の髪を梳きながら、神威は囁く。
布団の中に仕舞われた手をそっと握り締めた。
優しい綺麗な手に安らぎを感じて、神威はそのまま眠りについた。



シャワーを浴びて戻ってきた万斉は、じっと神威の様子を見ていた。
常人ならば分厚い壁とガラスに阻まれて聞こえない神威の声も、
万斉の聴覚は漏らさずに拾っていた。

眠っている高杉の酸素マスクを外して口付けていた時は
思わず中に飛び込んで行って彼を引きはがしたい衝動に駆られたが、
万斉はそれを堪えて神威をただ見ていた。

“俺が王子様だったらよかったのにね”

悪童が呟いたその言葉に、胸を打たれた。
神威は本気だ。神威が眠っている高杉を殺す恐れはないと確信する。

神威は今まで行ってきた悪行を後悔しているわけではないだろうし、
そもそも彼らの種族自体が戦闘を本能に刻み付けられているのだから、
神威の生き方を悪と断ずることも妙な話だと思う。
本人も戦って殺すことに何の疑問もないだろう。
そんな神威が、或いは自身が善であれば高杉が起きたかも知れない
などと思うまでに、高杉に情を寄せている事が胸を震わす。

「晋助、ぬしはつくづく罪な男だな。
 血のみを欲する獣にまでそれ以外の感情を与えるとは。
 早く起きてやれ。ぬしが果たすべき責任は多い。山ほどあるでござるよ」

くすりと笑いながら、万斉は呟いた。
残念ながら、この艦には高杉を目覚めさせるに足る人物はいない。
艦だけじゃない、この世の中に高杉の魂を震わす男などいるのだろうか。

いるとしたら、ただ一人。白夜叉だろう。
確かに、その真白い装いは白馬の王子を連想させる。
だが、その顔立ちは王子などとんでもない、どちらかと言えば魔王だ。

皮肉なものだ。高杉を死の淵に追いやった者がまた、
高杉を起こす人材でもあるなんて。
全てが白夜叉の所為とは言わない。高杉自身が引き起こした事態だ。
それに、とどめを刺したのは憎き烏であって白夜叉ではない。
それでも、白夜叉とあれほど激しく交えなければ高杉が烏に後れを
とることなどなかったと思うと、阪田銀時を恨みたくなる。

万斉は苦笑を浮かべた。
神威も自分も、所詮かなわぬ男がいるのだと思うと、
今、神威が眠る高杉に働いている悪事がいじましく思える。

今くらい、幼い子供に愛する人を独占させてやろう。
何も見なかったふりをして、万斉は病室の前を去った。

自分だって同じだ。
また子がいない隙を見計らって、高杉の頬に、額に、瞼に口付けをした。

「早く目覚めるがいい、晋助」

そう呟く自分の声が、神威の声と重なった気がした。






--あとがき----------

眠ってしまった高杉を見て、書いた話です。
自分の心を整理する為に書いた話でもあります。
高杉、早く目覚めて欲しいですよね。
いきなり起きてたんじゃなく、目覚める時の話を空知先生が書いてくれたら、
とっても嬉しいです。
今後の話の中で、万斉やまた子と高杉の出会いも明らかにして欲しいです。
異三郎と高杉の出会いも気になりますね。