「鬼子」





真っ赤な夕暮れ。まるで血の色みたいだ。
茜空を見上げながら歩く晋助は、胸の前に抱えた手習いの荷物をぎゅっと抱えた。

「高杉、知っているか?この辺りで、さいきん鬼が出るそうだ」

隣りを歩く桂が真面目な顔でぽつりと呟くように言った。
晋助は桂に顔を向けると、不機嫌そうに眉を顰める。

「俺を怖がらせようったってそうはいかないからな。
 鬼なんて、そんなのいるわけないだろ。桂、信じてんのかよ」
「俺はいると思うぞ。少し町を離れたら荒れた戦痕が広がってるからな
 鬼がいてもおかしくない。まあ、お坊ちゃんの高杉にはわからないかもしれないな」
「馬鹿にすんな」
「馬鹿になんてしてない」
「フン!」

真面目くさった顔をしている桂にそっぽ向くと、
桂を置いていってやろうと、晋助は早足で歩いた。

だが、自分よりも背の高い桂より自分の方が圧倒的に歩幅が狭く、
こちらが早足でも、向こうは普通の速度で歩いてついてくる。
苛立ち紛れに、晋助は目の前の石を蹴っ飛ばした。

鬼なんているもんか。そう思ったが、
心のどこかでは桂の言う事は本当かも知れないと思っていた。

不吉な禍々しい紅空。鬼が闊歩していても可笑しくないだろう。



そんな話をしていた数日後、塾に新しい子供がやって来た。

銀色の髪に強い赤みを帯びた、目に光の無い擦れた少年。
名は、坂田銀時。

授業中、銀時は先生である松陽を見るわけでも教科書を見るわけでもなく、
刀を抱えてぐうぐうと眠っていた。

「あいつ、鬼なんじゃねぇの?」
「ぜったいそうだ。見ろよ、あの白髪に赤い目、気味がワリィよ」
「先生、なんだってあんな子連れてきたんだろうね」

休憩時間、ヒソヒソと他の子どもが喋っているのが聞こえた。
松陽先生がいないからって、散々な言い様だ。
こそこそ陰口を叩くような卑怯な真似が気に食わなかった。

銀時にもその声は聞こえていたようだったが、
彼は何一つ言い返さず、刀を構えたままただじっと陰口をたたいていた
酷く虚ろな目で子供を見ていた。
その視線に晒されると、子供たちはひっと肩を飛び上がらせ、
こそこそと教室の隅へ逃げて行った。

「逃げるくらいなら陰口なんて叩くなよ」

晋助は自分の席に座ったまま、小さくない声で言う。
その声に反応して、悪口を言っていた子供の一人がずいっと晋助に寄ってきた。
子供の中で一番体格がでかい信夫だ。
彼の取り巻きの痩せたのっぽの長治と、小太りの一郎も金魚のフンのように寄ってきた。

「おい、晋助。オマエ、なんでアイツの肩持つんだよ」
「は?肩なんかもってねぇよ。単にお前らにムカついただけだ。卑怯者」
「なんだとぉ?もっぺん言ってみろよチビ!」
「聞きたきゃ何度でも言ってやるよ、卑怯者、弱虫、デブ」
「テメー、晋助!ちょっといいとこのお坊ちゃんだからっていい気になるなよ!」
「そうだ、ノブちゃんにたてつくなんて生意気だぞ、高杉」
「おまえなんて友達いないクセに!ノブ、懲らしめてやろーぜ」
「そうだな。そのキレーなツラにアザでも作ってやるよ」

信夫が晋助に掴みかかってきた。
襟をつかまれながらも、晋助は不敵に笑う。

「やれるもんならやってみろよ」

挑発的な瞳に、信夫は頭に血を上らせた。
拳を振り上げ、晋助を殴ろうとする。その時、その拳を誰かが掴んだ。
驚いて振り返ると、いつの間にこっちにきたのか、
教室の一番後ろにいた銀時が、冷たい双眸で信夫を見ていた。

「な、なんだよ、テメー!」

たじろぎながらも、信夫は銀時を威嚇する。
だが、銀時は何も言わず、信夫の腕を掴んだままじっと彼を見詰めていた。
氷のような眼差しに怯え、信夫は掴んでいた晋助を離して、
その手で銀時を殴ろうとした。

「おい、お前たち、何をしているんだ!」

手洗いから戻って来た桂が、信夫たちを睨みつけた。

「チッ、真面目のカタブツが来ちまったぜ」
「女顔のクセに、生意気なんだよ、桂」
「高杉と友達いない同士、傷のなめ合いかよ」
「ふざけるな。傷を舐めあった覚えなんてない。
 それより、教室でケンカなんかするんじゃない!
 埃がたつし、物が壊れるだろう。松陽先生に怒られるぞ!」
「チッ、るせーな、いこーぜ」

信夫は舌打ちをすると、銀時から手を離して手下を連れて去って行った。
憤然とした顔でそれを見送ると、桂は銀時と晋助の方に向き直った。

「おい、大丈夫か?高杉、坂田」
「フン、別に手助けなんていらねーよ、桂」
「そうか?着物が乱れてるぞ、高杉」
「うるさい」
「坂田、お前は大丈夫か?」
「別に。なんともねぇよ。ロンゲ」
「ロン毛じゃない、桂だ」
「んじゃ、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ!」
「ヅラで充分だろ」

そういうと、銀時はさっさと後ろの席に戻って、また居眠りを始めた。
桂は肩を竦めたが、それ以上何も言わず、
自分も席に戻ってクソ真面目に教科書を眺め始めた。
晋助も着物の襟を正すと、席に戻る。ぼんやりと空を眺めた。


それからすぐ、銀時と桂は仲良くなった。
仲がいいと言うよりは、問題児じみている銀時に桂が絡んでいくという形だ。
銀時は桂をヅラと呼び、桂はいつの間にか銀時を坂田ではなく銀時と呼んでいた。
晋助はその様子を少し離れて眺めながら思った。

こいつは、鬼なんかじゃない。
すれていて、荒くれ者かもしれないけど、ただの人だと。
その証拠に、桂と話している銀時は、ほんのたまにだが頬を緩めた。
笑顔、というにはあまりにも固い表情だったけど、
確かに、無表情でも怒った顔でもなかった。




銀時は時々ふらりと一人でいなくなる。
今日もまた、銀時は何も言わずにどこかへ行ってしまったようだ。

時刻は夕暮れ。すべての授業は終わって、塾にはもうほとんど子供の姿はない。
門へ向かっている生徒がポツポツといるだけだ。

「銀時、何処へ行ったのですか?出てきてください」

松陽が一人で彼を探しに外へ出た。
帰ろうとしていた晋助は踵を返し、松陽にパタパタと走り寄る。

「先生、どうかしたんですか?」
「おや、晋助。ええ、銀時がどこかへ行ってしまいまして。
 もう夕暮れ時でしょう?子供がうろつくには危ない時間ですから」
「俺、一緒に探します」
「ありがとう、晋助。でも、もう遅いから。君も帰りなさい」
「俺なら大丈夫です!」

少しでも松陽の役に立ちたくて、晋助は一人で銀時を探しに出かけた。

融けるような太陽。地面に濃く伸びた影。
すれ違う人の顔は見えにくい、逢魔が時。
そんな時間に一人でうろつくことを怖いとは思わなかったが、
ただ、なんとなく不気味だと思った。
胸の中に小波が立っている。理由もなく不安になった。
――鬼が出る。そんな桂の言葉をふと思い出す。

(まさか、銀時の奴、鬼にやられたんじゃ―…)

一瞬だが突拍子の無い考えが浮かび、馬鹿だなと晋助は苦笑する。
鬼なんて馬鹿馬鹿しい。自分の想像を笑い飛ばそうとしたが、
不安がぬぐえず、笑えなかった。

歩いていた足は早足になり、いつしか駈けていた。
早く銀時を見つけないと大変なことになる。漠然とした妄想が頭から離れなかった。


芒がざわめく町はずれの荒れ野。
そこに佇む銀色の頭の少年の姿を見つけ、晋助は駆け寄った。

「オイ、銀時!」

大きな声で怒ったように名前を呼ぶと、ハッとして少年が振り返る。
銀時の前に詰め寄ると、晋助はムッとした表情を浮かべた。

「何やってんだよ、馬鹿。松陽先生が探してたぞ」
「松陽先生が?あっそう。で、お前は何しんだ?」
「何って、お前を探しに来たんだろ!」
「何で?」
「何でって、しょ、松陽先生が心配してたから……。
 そ、それに、俺もちょっと気になったんだ。お前、一人だし……」

語尾を詰まらせながらそう言った晋助を、赤い瞳がじっと見詰める。
穴が空きそうなくらい見つめられて、晋助はムッとした表情を浮かべた。

「な、なんだよ。さっさと帰るぞ!鬼が出るって、桂が言ってたんだ」
「ヅラが?ふーん、鬼、ねぇ」

銀時はじっと晋助を見たまま、笑いもせずに言った。

「その鬼、俺のことだよ」
「はぁ?何言ってんだ?お前」
「死肉を喰らう鬼、だろ?それ、俺だよ。
 まあ、人肉を喰ってはねえけど、死体を漁ってた。奪ったり傷つけたりした」

真顔の銀時になんて返したらいいか分からず晋助は戸惑った。
暫く二人が無言で向かい合っていると、足音と声がした。

「よお、鬼の坂田銀時。ちゃんと来たんだな」

声に弾かれて晋助が振り返る。
そこには夕陽を背に受けて立つ、信夫と長治と一郎の姿があった。
三人とも、市内を手に持っている。

逆光で顔が真っ黒に見えた。にやりと歪に笑う白い歯だけがいやにくっきり見て、
彼らこそが鬼のようだと晋助は思った。

「なんだよ、晋助もいたのか?」
「悪いかよ。俺がいちゃあ」
「どいてろよ、ケガすんぜ」
「ふざけんじゃねぇ。てめぇ、何する気だよ。銀時を呼び出したのか?」
「ああ、呼び出しぜ。みんなで鬼を退治しようと思ってな。
 どけよ晋助。キレーなツラにケガしたくねーだろ?」


信夫がずいっと近寄ってきた。
竹刀を手に、ニヤニヤと笑っている奴に晋助は吐き気がするくらい苛立った。
キッと信夫を睨み付けて、晋助は啖呵を切る。

「てめぇらごときに、俺は逃げたりしねぇよ」
「なんだとぉっっ、まずはテメーからだ、晋助ぇぇっ!!」

信夫が竹刀を振り下ろしてきた。晋助は余裕でそれを避けたが、
背後から長治が殴り掛かってきて、
無茶な体制でそれを避けたのでバランスを崩して晋助は草むらに転んだ。
すぐに立ち上がろうとしたが、足首を捻ったらしい。
鈍い痛みが走り、晋助は思わず膝をつく。
そこへ、信夫が竹刀を振り下ろしてきた。
晋助は反射的に瞳を閉じる。
だが、痛みはいっこうにやってこない。
恐る恐る目をあけると、自分の目の前に少し広めの背中があった。

「え、ぎん、とき……?」

信夫の竹刀の切っ先を銀時が手で受け止めていた。

「用があるのは俺にだろーが。高杉を巻き込むんじゃねーよ」

他人に興味なんてないかと思っていた銀時に庇われ
晋助はきょとんとした。

信夫達は銀時の鋭い瞳に一瞬だけ怯んだが、また竹刀を構える。

「ウルセー!庇った晋助も鬼っ子だ!やっちまえ!」

信夫の合図で長治と一郎もいっせいに飛び掛かってきた。
晋助は痛みを堪えて立ち上がると、銀時に背中を預ける。

「オイオイ、お坊ちゃん。戦う気か?」
「当たり前だろう。途中で引くくらいなら、
 最初から割って入ったり、関わったりなんてしねぇんだよ」
「へっ、後悔するぞ、高杉」
「しねぇよ。お前を見捨てた方が、よっぽど後悔するさ」

二人は互いの顔を見合うと、竹刀を手に襲い掛かってくる
信夫達に立ち向かった。

獲物ありとなしでは、だいたい三倍ほど力の差があるという。
銀時と晋助は圧倒的に不利な状況だった。
だが、二人とも動きが素早く、竹刀は掠りこそしたが直撃は受けなかった。
息を合わせ、背中を預けて自分の目の前にだけ集中する。
晋助は初めて、銀時を身近に感じた。
ずっと一緒に戦ってきた戦友のように、不思議と呼吸が合った。



夕日が地平線に吸い込まれ、空が紫に彩られた。

「く、クソッー、鬼共、おぼえてやがれっ!」

負け犬の遠吠えを残して、しこたま擦り傷とあざを作った三人組は逃げて行った。
銀時と晋助は息を吐くと、同時に地面に座り込んだ。
二人とも呼吸は多少乱れていたが、傷はほとんどなかった。

「銀時、お前やるじゃねぇか」
「高杉こそ、チビのクセに強いじゃねーか」
「チビは余分だ。俺はだれかさんと違って文武両道なんだよ」
「さすがは武家の長男のボンボンってか?」
「関係ねぇよ。金持ちかどうかなんざ。
 つうか、なんでお前俺が武家の長男って知ってんだよ?」
「ヅラに聞いた」
「桂に?あいつ、余計なこと喋りやがって」
「ヅラから喋ってきたんじゃねぇよ。俺が聞いたんだ」
「え?お前が俺のことを?なんでだよ?」

きょとんとした顔で晋助が銀時の顔を覗き込むと、
銀時は慌てて視線を逸らした。
その頬に少し朱が差しているように見えて、晋助はますます首を傾げる。

「何ででもいーだろ、バカヤロー。
 おら、松陽先生が心配してたんだろ?とっととけーるぞ!」
「お、おう」

立とうとした瞬間、足にズキリと痛みが走って晋助は顔を顰めた。
戦っている時は夢中で忘れていた痛みが戻ってくる。
舌打ちしながら、痛みを堪えて立ち上がろうとした時、
銀時がいきなり目の前で背中を向けてしゃがんだ。

「な、なんだよ?」

意図が解らず晋助は首を傾げる。
少しムスッとした顔で銀時は顎をしゃくって「ん」と促す。
まさか、おぶってくれるつもりなのだろうか。
いや、それはないと晋助は首を振って一瞬浮かんだ考えを否定する。
すると、銀時はじれたような顔になり、吐き捨てるように言った。

「とっとと乗れよ!おんぶしてやるってんだろ!」
「なっ、マジかよ。いい!自分で歩けるし……」
「足、捻ったんだろ?いいからさっさと乗れって」
「でも……」
「早くしろ、バカ」

恥かしそうな顔で怒鳴る銀時に恐る恐る晋助は背中に身体を預ける。
ふわりと身体が持ち上げられ、ゆっくりと上下に揺れた。
自分よりずっと広い背中だが、孤児だったせいか痩せて骨ばっていた。
だが、自分と比べるとガタイがしっかりして分厚い肩だった。
遠慮して肩にちょんと手を置いている程度にしか掴まっていなかったら、
銀時が振り返って「しっかり掴まれよ、落ちるぞ」と声を荒げた。

戸惑いながらも、晋助は首に手を廻して銀時に身体を密着させる。
ぴったりと合わさった肌から体温が伝わってきて、とても温かかった。

銀色の芒が揺れる畦道を、晋助はおぶられて進んだ。
しっかりと銀時に抱き付きながら、ポツリと晋助は呟く。

「お前は鬼なんかじゃねえよ」

晋助の言葉に、銀時が振り返ってはっと瞳を見開く。
無表情の銀時には珍しい表情、晋助はにやっと笑った。

「お前みたいな間抜けなの、鬼なわけねえじゃん」

生意気そうに笑う晋助に、銀時もまた笑みを浮かべる。

「そうだな。鬼は怒った時の松陽先生だな」
「え?松陽先生を怒らせたことあんのかよ?お前」
「まあ滅多に怒られないけど。馬鹿や無茶して何回か怒られた。
 怖いんだぜ、先生。笑ってんのに、般若みたいな迫力があるんだぜ」
「マジかよ、想像できねぇ。先生怒らせるなんて、お前相当なクソガキだな」
「テメーにゃ言われたくねーよ。生意気で口も悪いクセに。
 高杉は先生の前ではペットの猫みたいに大人しいもんな。そういう柄じゃないくせに」
「うっせーよ、馬鹿。お前らごときに礼儀なんて必要ねーんだよ」
「ほら出た。本性ムキだしじゃねーか。そんなんだから友達いねーんだよ」
「ふん、てめぇにゃ言われたくねぇよ」

二人は顔を見合わせて笑った。
そんな二人を、空に浮かんだ月が優しく照らしていた。







--あとがき----------