「時の桜」





もしも過去が変えられるなら。
そんな仮定はくだらない空想に過ぎない。
過去は変えられないから過ぎ去ったという字を書くのだ。
だから、考えないし、考えたくない。

「銀さん、もし過去に戻って一つだけやり直せるなら
 銀さんなら何がしたいですか?」

無弱に問いかけられた質問に、銀時は眉間に皺を寄せた。

「あのねぇ、新八くん。過去は変えられないよ?
 それともなに、オマエはドラエもんとでも仲良くなったか?」
「ドラエもんって、そんなわけないでしょ。
 もしって言ったじゃないですか。仮の話ですよ」
「くっだんねー」

大袈裟に肩を竦めると、銀時は天井を仰いだ。
新八は苦笑いを浮かべながら、銀時にお茶を差し出す。

「すみません、昨日タイムスリップについての番組を見たんで、
何となく聞いただけですけど、気に障りましたか?」
「気に障ったに決まってるアルよ。
 銀ちゃんなんて、やり直したい過去だらけネ。失敗と自堕落の連続ネ」
「おいおい神楽、俺がいつ自分の人生が失敗だなんて言ったよ
 俺がどんな失敗したと思ってんの、オマエ」」
「女にフラれたとか、女に逃げられたとか、女に殴られたとか……」
「って、女絡みばっかしじゃねーか。
 どんだけモテない男だと思われてんだよ、俺は!」
「その天パじゃモテないアル。銀ちゃんだらしないし。
 加齢臭もするし、顔つきもどろっとしてるし、金もないし……」

悪びれもせずツラツラと悪口を並べる神楽に、
フンと鼻を鳴らして銀時は拗ねたようにそっぽを向いた。
新八が「銀さんもごくたまにかっこいいですから」とフォローを入れてきたが、
ごくたまになんて言葉が入っている時点でフォローではない。

「どーせ俺はダメな大人ですよー」

拗ねた口調で呟くと、銀時は窓から空を見上げた。
沁みるような青空。不意に、あの頃を思い出して胸が詰まる。

松陽先生がいて、桂がいて、そして高杉がいて―…
一人だった自分に家と仲間が出来た。
一緒に学んで、笑い合って、平和で楽しかったあの頃。
戻れたなら、どんなに嬉しいだろうか。

攘夷志士として戦場を駆け抜けた日々。
松陽先生は居なくなってしまったが、同じ塾生だった桂と高杉、
そして新たに加わった底抜けにバカで明るい坂本辰馬のおかげで
まだ、みんな笑い合えた。
死と隣り合わせだったが、悪くない毎日だった。

それが何時からだろうか。みんな、離れ離れになってしまったのは。



瞼を閉じると、脳裏に過るのは包帯を巻いた男の顔。
辰馬とは遠く離れて会える日は減った。
桂とはわりと変わらず、よく顔を合わせる。
桂は追われる身だが、歌舞伎町に居るから
その気になったら、いつでも会える。
だが、高杉はもう到底、手なんて届かない遠い闇の中だ。


不意に、銀時は拳を握りしめる。
新八の問いかけを頭の中で反芻する。
“もし過去に戻って一つだけやり直せるなら”と―…

仲間の死体と敵の死体が折り重なって芥になる血の戦場。
怖くて、仲間を置いて逃げ出した自分。
もしも、あの時に自分が逃げ出さなかったら。
細くて頼りなかった高杉の手をずっと握って離さずにいたなら、
結果は違っていたのだろうか。高杉は、離れていかなかっただろうか。

弱い自分を責めて、死んだように一人で放浪を続けて。
そうして、餓死寸前で彷徨っていた自分は、拾われた。
今では、一人ではない。新八と神楽がいる。
妙やお登勢、キャサリン、桂、とたくさんの仲間がいる。

また前を向いて歩かなければと、守らなければと思えた。
だけど、高杉は自分が逃げたあの時からずっと、
仲間の死に、失った悲しみに喘いでいる。


銀時は暗い瞳で青すぎる空を見詰めた。
その顔を、新八と神楽が心配そうに覗き込んでくる。

「ゴメン、銀ちゃん。たとえモテなくても、
 私、銀ちゃんのこと大好きアル!だから元気出すネ!」
「僕もです、銀さん。銀さんは歌舞伎町に必要な人なんです!」

自分が拗ねていると勘違いして、必死に慰めようとする二人に、
銀時はぷっと噴き出す。
大きな手でくしゃりと二人の頭をかき混ぜるように撫でた。
二人はくすぐったそうに、照れつつも嬉しそうな顔で笑う。

「拗ねてねぇよ。俺ぁ後悔なんざしねーよーに生きてっから、
 やり直してー過去なんて一つもねーんだよ」

安心させるように笑うと、銀時はもう一度空を仰いだ。
青空にひらりひらりと、金色の蝶が舞う。
ハッとして目を見開くと、銀時は立ち上がって玄関へ向かった。

「銀さん?どこ行くんですか?」
「ん?ああ、ちょっと野暮用」
「野暮用って何アルか?」
「ばーか、聞くなよ。これだよ、これ!」

にっと笑いながら小指を立ててみせる銀時に、
新八と神楽が「見栄はらなくてもいいのに」とか、
「どうせパチンコでしょ」とか言っているのを背中で聞きながら
銀時は「ちょっくら行ってくらー」と家を出た。



ひらひらと飛ぶ金の蝶。これは現か幻か。
他の人には見えていないのか、誰も気にしていないのか、
珍しい色にも関わらず、蝶を指差すものも、気に留めるものもいない。
もしかしたら、この蝶は自分の目にだけ見えているのかもしれない。

頼りげなく、一羽の蝶は青空を飛ぶ。
風に流されそうな繊細な、ひらひらとした飛び方で。

見知った人混みの街を抜け、薄暗い路地を通り、銀時はひたすら蝶を追った。

知らない荒れ野が広がり、小高い丘が見えてきた。
丘には一本の大きな桜の木が生えている。
いつしか昼間から夜に変わり、辺りは薄暗い闇に包まれていた。
特に変わった景色ではないのに、現実味のない場所。
暗闇の中、月に照らされてゆらゆら飛ぶ蝶。
このまま蝶を追い続けたらあの世だったなんて事にならないだろうか。

一瞬、銀時の脳裏を不安が掠めたが、
この蝶を見失ってはいけない気がしていた。

軽やかに飛ぶ蝶を追い、急な坂道を上る。
桜の花咲く丘の頂上に、蝶の姿はなかった。
代わりに、金の蝶の柄の着物を纏った艶やかな青年がいた。

男はキセルを咥え、ゆっくりと紫煙を燻らせる。
自分の方を見ると、男はすっと目を細めて口の端を吊り上げた。

「よお、銀時」

親しみを込めた声で名前を呼ばれた。
口の中が乾く。緊張で掌が汗ばんだ。

「高杉。お前、どうしてここに……?」

やっとのことで口を開く。
桜に凭れて佇む男、高杉晋助は愉しそうに笑い声を上げた。

「高杉、ここは何処なんだ?」
「さあな、地獄でない事は確かだぜ」
「この世、なのか?」
「さて、どうだろうな。……銀時、見覚え、ねぇか?」

そう言って持たれている木を高杉が見上げた。
同じように銀時も桜を見上げる。そしてハッとした。
かつて共に学んだ地。そこにも、こんな風に大きな木があって葉をざわめかせていた。

顔色を変えた銀時に気付いた高杉が、またクツクツと笑う。

「懐かしいなぁ、銀時。お前、どうしてここに?」
「知らねぇよ。俺はぁさっきまで家にいたんだ。
 そんで空を見てたら金色の蝶が飛んできて、なんとなく後を追った。
 そしたらいつの間にか夜になってるし、歌舞伎町を離れちまってるしで……」
「ふぅん、金色の蝶、ね」

高杉が意味深に呟いた。
銀時は高杉の所作から何か答えを得ようと、じっと彼を見詰める。
彼が纏う着物の蝶を見て、息を飲んだ。
自分が追っていた蝶と、彼の着物に棲む蝶はまったく同じだった。

「お前が、俺を此処に呼んだのか?高杉」

銀時のその問いに、高杉は一瞬だけ瞳を伏せた。
長い睫毛が揺れ、薄緑の瞳が寂しげな輝きを放つ。
思わず手を伸ばしたが、触れる前に銀時は手を引っ込める。

「高杉、今、俺がお前に触れたら、お前は消えてしまわねぇか?」
「どうだろうな。目の前にいる俺が霞ならば消えるかもな」
「冗談じゃなくて、本当にどうなんだ?触れていいのか?」
「わからねぇよ。俺には。自分が此処にいる理由も知りはしねぇ」

吐き捨てるように言うと、高杉は銀時から顔を背ける。
桜に寄りかかっていた身体を起こして、高杉は踵を返した。

風景が失われていた。
ただあるのは、大きな桜と舞い散る淡い花びら、そして欠けた月。
あとはすべて、ただの暗闇が広がる闇ばかり。
その闇の中に、小柄な高杉の身体が吸い込まれていく。

「待てよ、高杉っ!」

彼の名を叫び、銀時は手を伸ばした。
細い手首を掴み、自分の方へと抱き寄せる。
痩せ気味の身体は簡単に傾いて、自分の胸の中に倒れ込んだ。

ぎゅっと後ろから抱きすくめ、細い首筋に顔を埋める。
ふわりと花のような甘い香りがした。

「銀時、離せよ」
「嫌だね」
「どういうつもりだ」
「今度は離さねー。もう、お前の手を失くしたりしない」

閉じ込めるように、銀時は抱きしめる腕に力を込めた。
自分より低めの体温、柔らかな身体。



「銀時、お前、あの時からずっと気にしていたのか?」
「ああ。俺は逃げた。仲間を、お前を捨てて……。俺は、負け犬だったよ」

苦しげに呟くと、銀時は更に強い力で高杉を抱き締める。
その腕は細かく震えていた。

「馬鹿だな、お前。自分の罪だと思ってたのか?」

前を向いたままの高杉が、銀時の腕をそっと握った。
柔らかな手付きに、銀時は唇を噛む。

「ああ……」
「自分が臆病者だと、そう思っていたのか?」
「ああ、そうだよ」

銀時の声が弱く、情けなく震えた。
それに反比例するように、腕を握る高杉の手の力が強くなる。

「相変わらず甘い男だな、お前は」

振り返った高杉がふわりと微笑んだ。
美しく、清廉で優しい笑顔。昔の高杉の笑顔だった。
驚いていると、柔らかなものが唇に触れた。
それが高杉の唇だと気付いたと同時に、強い風が吹いて花びらが舞った。

するりと腕から逃げた高杉の姿が、闇へと融け込んでいく。
“逢えて嬉しかった”と、確かにそう高杉が呟いたのを聞いた。
そこを境に記憶が途絶える。




「銀さん、銀さんってば!」

少年の声が自分を呼んでいる。
銀時がゆっくり目を開けると、黒髪の少年が自分を覗き込んでいた。
昔いた彼と同じ黒髪のストレートの短髪。
だが、同じ黒のストレートでも髪質も髪色も全然違う少年。
視界がぼやけて、顔は上手く見えなかった。

「たか、すぎ……」

ぽつりと呟くと、不思議そうな声が落ちてくる。

「高杉?誰ですか、それ。新八ですよ」
「しん、ぱち?」
「ちょっと、大丈夫ですか?銀さん」
「銀ちゃん、しっかりして!」

心配そうな二つの双眸がじっと見詰める。
空の色は青から橙色に変わり始めていた。

「つっ、あれ、ここ何処だ?なんでこんな所に……」

顔を顰める銀時に、二人は眉を顰めた。

「昼間っからお酒でも飲んでたんですか?」
「銀ちゃん、出掛けるっていってぜんぜん帰ってこないから。
 新八と心配して探しに来たアルよ。そしたら、銀ちゃん倒れてるから」
「びっくりさせないで下さいよ。桜も咲いて無いのに
 桜の木の下なんかで何をしていたんですか?酔ってないでしょうね」

銀時は周囲を見渡した。以前、新八や神楽と花見に来た公園だった。
高杉の姿も、小高い丘も、金色の蝶も全てが無くなっていた。

「夢、だったのか―…」

銀時がポツリと呟く。
横顔を残照が焼いていた。赤い瞳が更に赤くなる。
寂しげな虚ろな瞳だった。

「銀さん、どんな夢見てたんですか?」
「銀ちゃん、悲しそうアル」
「ん?ああ、んなこたぁねーよ。悲しそうとかナイナイ」
「本当ですか?」
「ああ、ホントホント。まあ、美女にフラれちまったがな」
「なーんだ、そんな下らない夢アルか。心配して損した。
 銀ちゃんがふられるなんて、いつもの事ね。
 そんな事で落ち込んでたら、銀ちゃんキリがないアルよ」
「何だと、神楽っ!銀さんはな、これでもモテるんだってば!」
「ハイハイ。そういう事にしておきましょう。
 それより早く帰って夕飯にしましょうよ。カレー、作ったんです」
「やったぁ〜!私、カレー大好きね!」

はしゃぐ神楽がまっさきに家路に向かって駆けて行った。
新八もその後を追って歩き出す。
銀時も重たい腰を上げると、二人の後ろをついて歩いた。

ふと、自分の唇に触れた。
まだ高杉の唇の柔らかな感触と甘やかな残り香が沁みついていた。

「高杉……」

大切なその名前を呟くと、銀時は拳を握り締めた。
過去は確かに変わらない。だが、明日は変えられる筈だ。

(今度はもう、離したりしねぇよ―…)

心の中で呟くと、銀時はしっかりした足取りで夜路を進んだ。







--あとがき----------

銀魂のエンディングでよくひらひら飛んでいる金色の蝶が
高杉のように思えてしょうがないです。
それをモチーフにして出来た、抽象的な話です。
あとは、サクラミツツキのイメージを会わせました。