第十二話 ―不協和音―



カーテンの隙間から目映い朝陽が差し込んでくる。
高杉はゆっくりと目を開いた。
時計を見ると七時を示していた。そろそろ起きないと遅刻だ。

起き上がろうとするが、起き上がれない。
ぼんやりと視線を隣にやると、眠る銀八の顔がすぐ傍にあった。
逞しい腕ががっちり身体に巻き付いていて外れない。
すっぽりと彼の腕の中に抱き込まれた状態だった。

起こそうか、起こさないでおこうか。
わざと放置して、二人揃って遅刻してみようか。
分厚い胸板に胸を摺り寄せながら、困らせてやろうかと思ってみる。
起こさずに遅刻させたら銀八は怒るだろうか。
意味深に一緒に遅刻したら、自分達の情事が周囲に漏れて大変な事になると
銀八は慌てるだろうか。

色々考えてみたけど、結局、高杉は銀八を起こすことにした。

「ぎんぱち、起きろ。遅刻すんぞ」
「……」
「なあ、起きろってば」

胸に手を当てて揺す振ると、唸りながらゆっくり銀八の瞳が姿をあらわす。
鮮やかな紅に近い瞳の色。とても綺麗な色だ。
ぼんやりと高杉が見詰めていると、ゆっくり銀八が身体を起こす。
銀八は大きな欠伸を一つ漏らすと、高杉の頬を包みこんだ。

「おはよ、高杉。キスで起こしてくれてもよかったんだぞ」
「…っ、何言ってんだ。馬鹿が」

にっと笑いながら見透かすような瞳で銀時に見つめられて、
高杉は溜まらず頬を染めて瞳を逸らす。
甘い恋人同士の様な睦み言に戸惑う。
今でも信じられない。銀八が自分を愛しているなんて。
誰かに愛されている自分が想像できずにいた。
こんな自分を大事にしてくれるのは松陽と桂くらいのものだった。
万斉や土方も自分を大事にしてくれているが、それはあくまで
クラスメイトや友達としてで、愛とは違う。
桂は兄弟愛、松陽は親愛。その二つの愛情以外に恵まれないでいた自分を、
銀八は愛していると言った。正直、嬉しかった。

銀八が軽く唇と額に触れるだけのキスを落とす。
仔猫のように首を竦めてキスを受ける高杉に、銀八は苦笑いした。

「ビビんなよ。もう酷い目に遭わせたりしねーよ。ベッドの中以外では」
「何だよそれ。変態め」
「変態じゃねぇよ。ちょっとSなだけ」
「それが変態なんだよ、馬鹿」

するりと銀八の腕が離れる。キッチンから「コーヒーとトーストでいいか?」と
尋ねる銀八に「おう」と返事すると高杉は枕もとのケータイを手に取った。
着信履歴がびっしりと埋まっていて驚いた。
確認すると、家からの電話だった。そう言えば今まであまり無断外泊など
していなかった。加えて高校三年生、大学受験の年だ。
高杉家の世間体を気にした父親が母親に電話させたのだろう。
下らない。返信の必要を感じず高杉は無視を決め込んだ。
勘当したいならば、勘当すればいい。
元よりあの家に居場所など無い。今更帰れなく無くなってもどうでもいい。

画面を閉じようとした。その時、着信履歴の中に万斉の名前を見つけて留まる。
よく見ると、自宅の番号に混じって万斉の番号が幾つもあった。
時に十数分置きに着信があったのを見て、高杉は眉を顰める。

万斉は元来自分と同じく孤狼のような存在だ。
今までにこんな頻繁に電話を掛けてきた事はない。
何か火急の知らせでもあったのだろうか。
かけ直した方がいいだろうか。だが、今更な気がする。
今掛けるのも学校に行ってから話を聞くのも変わらない気がする。
どうしようか迷って、やっぱり掛けてみようと思い、
電話番号を呼び出そうとした時に銀八が戻ってきた。

「飯の準備ができたぞ」
「あ、ああ……」
「ん?何?家から帰ってこねーから親御さんが電話でもしてきた?」
「それもあるけど。万斉から何回か連絡があって」
「ふ〜ん、万斉ねぇ。いいじゃねぇか、ほっとけよ。学校で会うだろ」

銀八はそう言うと高杉の手の中にあったケータイを奪った。
まあ、いいか。高杉はケータイを取り返すこともせずに
銀八の後ろについていった。
ダイニングに入ると、コーヒーのいい香りが鼻孔をくすぐった。

銀八と向かい合って食事を摂って高杉は彼を一緒に家を出た。
家を出る直前、奪われてきた事さえ忘れていたケータイを銀八に返される。
万斉に電話する気はもう失せていた。
受け取ったままケータイを鞄に放り込むと、銀八と離れて歩き出そうとする。

「待てよ、高杉。どうせなら一緒に学校行かねぇか?」
「それ、マズくねぇか?」
「メット被ってたら顔なんて見られないって。
 バイクの後ろのっけてやるから。歩きだと確実に遅刻だぞ。オマエ」
「別に遅刻ぐらいい平気だ」
「いいから、乗ってけ」

銀八が強引にヘルメットを渡してきた。
それを被って、高杉は銀八のバイクの後ろに座って、背中に腕を廻した。
白くて広い背中。こんなにじっと彼の背中を見詰めたのは初めてだ。
なのに、妙な既知感がある。
前を行く白くて大きな背中。そうだ、あの夢に出てきた男の背中だ。
白い装束。白刃を手に戦場を掛けて行く銀髪の男。
あの夢は一体何だろう。
自分に似た黒い陣羽織を纏った男と、
もう一人は銀八に似た白い装束の銀髪の男。
ただの夢。その言葉で片付けるには生々しい感覚の残る夢だった。

今まで見た夢を思い出してみた。
黒髪の男はいつしか片眼になり、艶やかな蝶柄の着物を纏っていた。
少し大人びた銀髪の男と、隻眼の男が何かを話している。
二人とも、悲しそうな色を帯びた瞳をしていた。
そうして、二人は刀を交える。仲間だった筈の二人が命を奪いあう。
結末は、わからない。いつだって夢は途中で終わってしまうのだ。
その結末について考えていると、急に胸が痛くなった。
引き裂かれる様な痛み。悲痛な声が耳の奥で蘇ってきそうな気がした。

悲しい。確かにそう感じた。
その感情を打ち消すように、高杉は銀八にぎゅっとしがみついた。

「どうした?」

風に乗って銀八が自分を心配する声が聞こえてきた。
『なんでもない』と、自分に言い聞かせるように呟いて高杉は広い背中に頬を寄せた。

職員室へ向かった銀八と別れて、高杉は教室へ向かった。
教室に入るなり、万斉が近付いてくる。
いつもと同じ無表情。瞳は濃いサングラスの黒に遮られて見えない。
だけど、何故だか彼が良くない感情を抱いているのが解った。

「晋助。おはよう」
「おう……」

挨拶を返すと、高杉は万斉の横を素通りしようとした。
だが、万斉は前に立ち塞がってそれを遮る。

「なんだ?」
「晋助、一つ尋ねてもよいか?」
「ああ」
「主は昨日、何処で何をしていた?」

万斉の言葉に晋助は密かに眼帯に隠れた左眉だけを顰めた。

「別に。塾に行ってた。その後は家にいた」

不信感を隠して、さらりと嘘を吐く。
不審な点はなかった筈だが、万斉は納得した顔をしなかった。
それでも「そうか」と頷くと、万斉は離れて行った。
銀八との事はバレていない筈だ。
だが、万斉は何か知っているんじゃないかと思えて仕方が無い。
まあもし知られた所で万斉がそれを誰かに言いふらす所は想像できない。
軽蔑される可能性はあるが、その時はその時だ。
できることなら万斉を失いたくないが、彼が離れて行くなら止めはしない。

「納得したならどいてくれねぇか?席に行けねぇだろ」
「ああ、すまぬ」

すんなりと万斉は道を空けてくれた。
彼が不機嫌などと思い過ごしだったのだろうか。
腑に落ちないが考えてもしょうがない事なので、考えるのをやめた。

ぼんやりと窓の外を眺める。
今日も来いよと銀八に誘われている。
ポケットの中で渡された合鍵を弄びながら高杉は息を吐いた。

相変わらず自分と銀八の関係を表すのに相応しい言葉がない。
恋人ではない。友達でもない。兄弟のような関係でもない。
銀八もそれをはっきりさせようとはしていない。
もしもはっきりさせようとしたら、彼は逃げて行くだろうか。
はっきりさせたい気がしたが、何となく怖くて口に出せなかった。
居場所が出来た。それだけでいいと思えた。

今日も万斉に誘われたが断って、高杉は学校が終わると銀八の家に直行した。



平穏無事な日々が過ぎる。
夜兎の襲来もなく、高杉との関係も上手くいっているようだった。

昼休み、珍しく辰馬に誘われて外へ食べに出た銀時は、
ファミレスのメニューを眺めていた。
辰馬はラザニアを、銀八はミニストロベリーパフェとハンバーグランチを頼んだ。

「すまん銀八、ちょっと便所に行ってくるぜよ」

辰馬はそう言って席を立った。
料理もまだきてなくて手持無沙汰だったので、ぼんやり店内を眺めていた。
その時、よく見知った紅色の髪の男を見つける。
裏地に虎の模様が入った長ランに三つ編み。夜兎高の神威だ。

目を逸らそうとした瞬間、向こうがこちらに気付いて近付いてくる。

「やあ。銀高の銀髪センセイ」
「よお不良少年。学校はどうした?サボリか」
「うん。つまらないからさ。フケてるんだ」

ニコニコと愛想よく笑いながら、辰馬がいないのをいい事に神威は
さっきまで辰馬が座っていた席に座る。

「オイオイ、オメーと仲良く飯食うつもりはないぜ」
「あはは、それは俺もだ。でもね、ちょっと話があってね」
「話?こんどウチの学校とそっちの学校で決闘しようとかじゃねーだろうな」
「それも面白そうだね。でも違う」

不気味なくらい無表情の笑みを浮かべる神威に、銀八は嫌な気がしていた。
ついこの間、神威は高杉を襲った。
部下と一緒に高杉を輪姦しようとしたことを思い出すと、今でも腸が煮える。

「なんだよ?」

ぶっきらぼうに銀八が尋ねると、神威は細めていた瞳をゆっくり開いた。
神楽と同じ、深い蒼色の瞳が姿を現す。
ただ、神楽と違ってその蒼には深海のような暗さが宿っていた。

「まどろっこしいのは好きじゃない。シンスケと別れてくれる?」
「はぁ?別に俺と高杉は先生と生徒で、付き合ってねぇよ」
「ふぅん。恋人同士ではないんだ。でも、突き合ってはいたよね」
「おい、その爽やかそうな顔でヘンタイ染みた下ネタ言うなよ」
「はぐらかそうとしてもムダさ。ね、シンスケとヤッてんでしょ?」
「ファミレスでの会話じゃねぇな。ま、いっか。だったらどうした?」
「シンスケは俺のにする。だから、もう手を出さないでくれない?」

感情を見せないヘラヘラした笑顔で神威が言った。
銀八は微妙に苛立ちを覚えて、机をトントンと指で叩く。

「高杉はテメーのモンじゃねぇよ。
 ガキはガキらしくアブノーマルに走ってねぇで可愛い女の子と青春しなさい」
「シンスケより綺麗な女も可愛い女もいないよ。俺はシンスケがいい」
「っ、恥かしい台詞どうどうと吐いてるんじゃねぇよ」
「俺は思った事を言っているだけだよ。それで、シンスケと別れてくれる?」
「断る。テメーにそんな事頼まれる覚えはねぇよ。
 言っとくけどな、俺は高杉を大事に思ってる。だからテメーに渡さねえ」

銀八の言葉に、神威がダンと思い切りテーブルを叩いた。
机上の水が入ったコップがぐらぐら揺れて、パシャリと水が零れる。
神威はゆっくりと銀八に近付くと、耳元に唇を寄せて囁いた。
「アンタがその手で殺したクセに」と。

その言葉に、銀八は珍しく顔を青褪めさせた。
「オマエ、なんでそれを知って―…」神威に疑問をぶつけようとした時、
タイミング悪く辰馬が帰って来る。

「ん?どうしたぁ?銀八ぃ。誰じゃ?」
「……悪ぃ、辰馬。ちょっとコイツと話してくるわ」

そう言うと、辰馬の返事も聞かずに銀八は鞄を持って店を出た。
その後ろを神威が付いて行く。

「何?話って。銀髪のセンセイ。いや、坂田銀時」
「……テメー、何を言ってやがる。俺は坂田銀八。銀時じゃない」
「いや、アンタは銀時だよ。シンスケを殺した坂田銀時」

ああ、こいつには記憶があるんだ。銀八はそう悟った。
前あった時には記憶などなかったようだが、今は前世の記憶があるようだ。

「驚いた顔をしているね。俺はね、最初は昔の記憶なんてなかったんだ。
 この前、シンスケに出逢った時、初めてあった気がしなかった。
 あの時から、妙な夢を見るようになったんだ。興味、ある?」
「ふん、是非とも聞かせてもらいたいね」
「俺とシンスケは、昔仲間として一緒に戦っていた。
 俺は闘う事が本能のただの人殺し。シンスケは世界を壊そうとした破綻者。
 それでも、俺は、シンスケと居られればなんでもよかった。
 だけど、アンタはそんなシンスケの魂を救うだとか言って、
 シンスケと戦って、俺からシンスケを奪った。ま、しょうがないよね。
 恨んではいないよ。シンスケは負けたんだから、殺されて然りかもしれない」
「……」
「でもね、俺はシンスケとまだまだ一緒に居たかった。
 たとえシンスケが戦えない身体になってもね、それでも一緒に居たいと思ってた。
 初めは戦えればそれでよかったのにね。変だよね。
 でも、シンスケは結局アンタの手で殺した。そんなアンタがまたシンスケと居る。
 変だと思わない?シンスケを殺した男がシンスケを大事なんてサ、変だよ」

神威の言葉に何も返せなかった。
そう、自分は確かに高杉を殺した。魂を救うと言って切ったつもりだったが、
それは神威から見れば晋助がただ殺されたのとなんら変わりない事だ。

神威がゆっくりと自分に近付いてくる。
そして、呪いに似た言葉を呟いた。

「ねえ、またシンスケを殺すのかい?」

そう尋ねると、神威はじっと蒼い瞳を向けてきた。
その瞳を怖いと思った。神威の言葉が真であるかの様に聞こえた。

「だからさ、殺す前にシンスケから離れてよ。俺の用件はそれだけ。じゃね」

自分の伝えたい事だけ告げて、神威は無責任に帰っていった。
こっちは奴の言葉で頭ん中がグチャグチャ出と言うのに、完全に放置だ。
そのままファミレスの前の道に佇んでいると、辰馬が店から出てきた。

「銀八。どうした?頼んだ飯、さっき運ばれたぜよ」
「……あ、ああ」
「顔色が真っ青じゃ。何ぞあったんか?」

普段能天気な癖に、こんな時ばっかり鋭い。
だから、この男は昔から苦手なんだ。
今、自分の心を読み取られるのは全裸を晒すよりも惨めで恥かしい事だった。
食事を摂る気分でもなくなっていた。
さっきまで空いていた腹は、鉛がずっしり詰め込まれた様に重い。

「すまねぇ、辰馬。急用を思い出した。食っといてくれ」
「えぇ?わし一人で食べきれん」
「適当に誰か呼べよ。本当に悪ぃな」

踵を返して、そそくさと銀八は走り去ろうとした。
だが、「銀八」と辰馬に呼び止められる。

「何だ?」
「……銀八、あんまり一人で抱え込むなよ。わしに相談しとうせ」
「……ありがとな」
「おう。まあ、頑張れよ」

手を振る辰馬に背を向けると、銀八は学校へと走っていった。










--あとがき----------