第十三話 ―破綻―


昼休みの始まりをチャイムが告げる。
休み時間にまた子から貰ったチョコレートを手に高杉は職員室へ向かった。

甘いものが好きな銀八にチョコを上げようと思っていたが、
生憎、職員室に銀八の姿は無い。
キョロキョロと彼の姿を探していると、職員室にプリントを置きに
来ていた桂が自分に気付いて近付いてきた。

「高杉、お前が職員室に来るなど珍しいな。どうした?」
「別に……。ちょっと銀八に用があって」
「おお、そうか。残念だが、銀八先生は坂本先生と出掛けたらしい。
 一緒に近くのファミレスに昼を食べにいったそうだ」
「へえ、坂本と……」

辰馬と銀八は何かと仲がいい。
だが、仕事中に連れだってファミレスに行くほどだとは思わなかった。
もしかして、深い仲だったりするのだろうか―…。
一瞬だけど、嫉妬しかけた自分に溜息を吐く。
銀八と辰馬、二人がイチャ付いている姿なんて想像できない。
二人の場合、タチは辰馬でネコが銀八だろうが、そんな気味の悪い想像
しただけでも悪寒が走る。二人で食事に行っただけで下らない邪推をしたものだ。
銀八とこの職員室で一番いい感じなのは、月詠だ。
彼女と銀八が二人で出掛けたと言われたら、もっと動揺しただろう。

辰馬と銀八が食事に行った事で戸惑うなんて、
どれだけ銀八を気にしているんだ。
自分だけが銀八に振り回されているみたいで悔しい。

今は身体だけでなく、心も少しは繋がっている。
それなのに、どうしてこうも漠然とした不安が付き纏うのか。
弱い気持ちが心を覗かせた。それを振り払って、高杉は職員室を出る。

「晋助」

職員室を出たすぐの所に、万斉がいた。
彼は何故だかここ数日浮かない表情をしている。
今も、やはり薄暗く、不穏な気配を纏っていた。

「万斉。どうした?さっさと昼飯食えよ」
「いや、主と一緒に食べようと思ってな。晋助こそ、早く飯にせぬか?」
「……ああ」

万斉と連れだって、高杉は屋上へと向かった。

「なあ、晋助。さっき何故職員室にいた?」
「別に」
「坂田銀八に用事でもあったのか?」
「別に」

昼食のサンドイッチを食べ終えると、高杉は立ち上がった。
ぼんやりと蒼い空を仰ぐ。万斉が無言でその隣に立った。
万斉が観察する様な瞳を自分に向けているのに気付き、
高杉は彼へ視線を流す。

「何だ?万斉」
「晋助、一週間前に拙者が映画に誘った日、
 本当に塾に行っていたのか?それは嘘ではあるまいな?」
「はあ?何言ってんだ、今更。嘘じゃねえよ」
「じゃあ何故、主は銀八のマンションに居た?
 一週間前だけでない。この所、ずっと主は彼の家に言っているだろう」

万斉の言葉に、高杉は血の気が引く思いがした。
バレていた。銀八と寝ている事までもバレているのだろうか?
不安が過ぎるが、何となく予感していた事だから
思っていた程焦りはなかった。息を一つ吸うと、スッと心が落ち着いた。

「ああ。そうだ。銀八の所に行ってた」
「何をしに?」
「別に。ちょっと教えて欲しい事があっただけだ」
「教えてほしい事か。ベッドの上ででござるか?」
「……なんだ、知っていたのか」

ふう、と高杉は息を吐いた。
バレていたなら、もうこれ以上隠す必要もない。

「まどろっこしい聞き方だな、万斉。はっきり聞いたらどうだ?
 お前が何を何処まで知っているか知らないが、俺は銀八と寝たよ」

開き直ったように高杉が言うと、万斉はギラリと瞳を光らせた。
鋭い射抜く様な視線で万斉が高杉を見る。

「晋助、あんな奴と付き合ってるのか?」
「別に。付き合ってねえよ。時々一緒にいるだけだ」
「止めておけ、あんな奴。いい加減で狡い、嫌な男だ」
「……万斉、お前に指図される覚えはねぇよ」

冷たくそう言うと、高杉は万斉から離れて屋上を出ようとした。
だが、万斉に手首を捕えられて壁に押し付けられる。

「……ッ!何す……」

文句を言おうとして高杉は言葉を飲み込んだ。
サングラスを外した万斉が、端正な瞳で自分を見下ろしていたからだ。
彼の闇色の瞳には、彼に相応しくない激情が滲んでいるようだった。

「晋助、もう一度言う。あの男と別れろ」
「嫌だ。何でお前にそんな事言われなきゃならねえんだ?」
「フッ、主は勘が鋭いが色恋沙汰には意外と疎いみたいだな」

高杉の両手首を捕えて、万斉は真剣な眼差しで言った。

「拙者は主を愛している。だから、あの様な男に渡したくない」

冗談だろ、と言いたかったが言えなかった。
万斉の目や声は真剣そのもので、戯言を言っている様には到底思えない。
戸惑って動けないでいると、万斉の顔が近付いてきた。
万斉の顔の輪郭がぼやけた瞬間、唇に何かが触れる。
それが万斉の唇だと数秒遅れで気付いた時には、
万斉の舌が器用に唇を割開いて、自分の口腔に滑り込んでいた。

「んぅ……っ、ふっ…ぅ」

銀八のキスとは全然違うが、巧みな舌遣いに足元がふらつく。
いつの間にか腰に回された万斉の腕が無かったらこけていただろう。
力が入らない腕で弱々しく抵抗してみるが、意味など無かった。
口の中を蠢く熱い舌に翻弄され、頭の中が白く霞んでいった。




真昼のギラギラした日差しが肌を灼く。
熱されたアスファルトから立ち昇る空気が熱い。
学校までの道のりを走る銀八の額からは汗が滴り落ちていた。

“ねえ、またシンスケを殺すのかい?”

神威が吐いた呪いの様な言葉が頭の奥で渦巻いている。
思い出したくない過去の光景が蘇る。
血に濡れた己の手。倒れてくる華奢な身体。
あんな思いは二度としたくない。

息を上げ、髪を振り乱して銀八は学校へ戻ってきた。
高杉の姿を探して、教室や廊下を走り回る。
生徒も教師も何事かと不可解なものを見る目で自分を見詰めていたが、
気にも留めずに銀八は高杉の姿を探していた。

そうだ、昼休み、高杉はよく屋上にいる。
そんな事さえ思い付かなかった自分に舌打ちすると、銀八は屋上へ向かった。
屋上に続く階段を駆け上ると、勢いよく扉を開く。

そこに広がる光景に、銀八は瞳を見開いた。

青空の下、万斉に腰を抱き寄せられて彼と唇を重ねる高杉。
過去の光景が鮮明に蘇る。
自分が高杉と袂を解った後、高杉の隣に居たのはいつでもあの男だった。
腐った国に引導をと刀を手に、殺戮を繰り返す獣の姿を思い出す。

唖然としている銀八の前で、万斉がゆっくりと唇を離した。
離れた二人の唇を銀糸が繋いでいた。
断ち切れぬ糸で二人が繋がれているようだという妄想に囚われる。

血が沸騰する。目の前が紅くなる。

「ぎんっ……」

驚いた顔の高杉が何か言おうとしていた。
だが、その声に耳も傾けずに、気付けば地面を蹴って飛び掛かっていた。
自分が教師で彼らが生徒などということは頭から抜け落ちていた。
勝手に裏切られた様な感情を抱き、
それが激しい怒りに変わり、過去を呼び起こさせる。

高杉を抱き寄せる万斉の顔に拳を叩き込み、
続けざまに万斉の腹にも拳を入れた。

「ぐぁっ」

呻き声を上げて、万斉が地面に崩れ落ちる。
その胸倉を掴み上げ、銀八はさらに殴りつけようと拳を振り上げた。

「銀八、やめろっ!」

さっきまで茫然としていた高杉が銀八を止めようと腕に絡みつく。
庇うような高杉の行動に更に怒りが増した。
無言のまま、高杉の細い首に手を伸ばす。
少しでも力をいれたら折れてしまいそうな首を両手で締めあげた。

「ぐ……ぅ……ぎ、ん」

ひゅっと喉を鳴らして、苦しそうな顔で高杉が見上げてきた。
潤んだ瞳が色っぽく、ますます首を強く締めてしまう。

「何で庇うんだよ、高杉。お前、その男が好きなのか?」

問い掛けると、高杉は戸惑った表情を浮かべた。
何かを喋ろうと懸命に口を開いても、彼の唇からは
ひゅぅひゅうと苦しそうな音が漏れるばかりだ。

“またシンスケを殺すのかい?”

神威の言葉がまた脳裏に蘇る。
ああ、このままでは本当に殺してしまいそうだ。
殺して、自分の元に縛りつけようとしそうだ。
眩暈がした。高杉を刀で貫いた時の感触が手に蘇る。
全てが真紅に染まっていく。
二度と、あんな思いなどしたくないと言うのに――

「う……」

抵抗して自分の手を引き剥がそうとしていた高杉の腕が
力なくだらりと垂れ下がった。唇の端からは涎が垂れている。
ハッとして、銀八は高杉から手を離した。

「げほっ、ゴホッゴホッ!」

地面に崩れ落ちた高杉は大量に酸素を吸い込み、苦しそうに咽ている。
今すぐ抱締めて、背中を擦ってあげたい衝動が込み上げる。
でも、できなかった。
そうしたらまた、自分が同じ過ちを繰り返す気がしてならなかった。
自分の裡に潜む狂気に似た独占欲を御せる気がしなかった。

冷たい赤色の瞳で高杉を見下ろすと、低く色のない声で告げる。
「お前みてーな尻軽、つきあいきれねーよ」と。

高杉の暗緑色の瞳が見開かれ、じっと見上げてくる。
縋るような瞳から逃れるように踵を返すと、銀八は屋上から去った。




「ぎ、んぱ……ち」

名前を呼んでみるが、立ち去った男は戻ってきてはくれなかった。
喉がひりひりと痛み、肺が苦しい。
だが、それ以上に胸がズキズキと酷く痛んで辛かった。

捨てられた。いや、付き合うと言う言葉を互いに口にしていない以上、
捨てられてすらいないのかもしれない。
気紛れか、虐げることへの罪悪感からの優しさか。
どちらにせよ、終わったのだ。
ポケットに入れっぱなしの銀八の部屋の鍵をぎゅっと握り締める。

走って行って縋りついたら、銀八は少しでも振り向いてくれるだろうか。
また優しく抱締めてくれるだろうか。

ふと過った女々しい考えに高杉は自嘲を浮かべる。
そんな真似、できない。
そうして失態を晒した揚句捨てられたら、惨め過ぎて死ねる。
膝を抱いて蹲り、高杉はクツクツと嗤い声を上げた。

「う……」

半分落ちかけていた万斉がゆっくり身体を起こす。
ぼんやりした瞳を万斉に向けると、自分の姿を捕えた万斉が眉根を寄せた。

「晋助……っ」

切なげな声で万斉が名前を呼ぶ。
首にくっきり付いた指の痕を見て、万斉が苦しそうな表情になる。
逞しい腕が伸びてきて、ぶ厚い胸板に抱き込まれた。
その体温に包まれた途端、泣きたくなった。










--あとがき----------

銀八は銀さんよりも嫉妬すると危なそうです。
銀さんもたいがい嫉妬深いですが、
銀八の嫉妬深さは狂気を孕んでいそうな気がします。
相手を殺してでも自分のモノにしようとしそうです。

昔の高杉ならそんな銀八さんにでも余裕で対抗できそうですが、
現代高杉はその狂気に驚いて何も出来ないかなと思います。