第二話 ―依り代―



桜がはらりはらりと散っている。
大きな木の下を、亜麻色の長い髪の男が歩いている。
その後ろを、子供達は「先生」と笑い声を上げながら走ってついていく。

暗緑色の瞳に黒髪の少年、銀色の髪に赤い瞳の少年が
喧嘩しながらも笑って走っていた。
皆着物姿で、今の時代じゃない、もっと過去の時代の夢。

夕陽が滲んで、世界が赤く染まる。
赤が消えてから現れたのは、殺伐とした世界。
武具を纏った男や化け物の死体が犇きあっている。
その中で剣を振うのは大きくなったさっきの銀髪の少年と黒髪の少年。
黒髪の少年は、自分と瓜二つだった。
そして、銀髪の少年の顔も、誰かによく似ていた。
銀髪の少年が振り返り、黒髪の少年に笑いながら手を差し出す。
その手を握ろうと、黒髪の少年は腕を伸ばした。
だが、手が繋がる前に世界は真白い光に灼かれた。


+++++++++++++++++++++++++++++++

ベッドの上で高杉はハッと目を覚まして起き上がった。
全身に汗をかいていて、気持ちが悪い。
髪を掻き上げると、手首についた擦れた痣が見えた。
さっき、銀八に縛り付けられた時に出来たものだ。
保健室で受けた屈辱を思い出し、高杉は髪を掻きむしった。
どうやって帰って来たか、帰って来た後自分がどうしていたか
定かではないが、身体からは石鹸の香りがしていて、
服が着替えてあったので風呂には入ったようだ。

「クソッ、あのエロ教師……っ、許さねえ」

高杉は自分自身を強く抱締めた。
みっともなく身体が震える。
悔しくて、惨めで、怖くて、それでも泣けなかった。
学校でも家でも泣けない。何処にも救いはない。一人きりだ。

「う……ぐっ、ぁっ」

歯を食いしばり、呻き声を上げる。
嵐のような感情が渦巻く中、脳裏ではさっきの夢が繰り返し流れていた。
和装の子供に、髪の長い先生。
一瞬、胸がズキリと痛んだ。切なさが込み上げてくる。

「あ、松陽、せんせ…い」

零れ落ちた名前に、高杉はハッとする。
そうだ、松陽先生に会いに行こう。
ベッドサイドに目をやると、時間は夜七時。
大丈夫、まだそろばん塾は開いている。
ケータイと財布だけを掴み取ると、高杉は部屋を飛び出した。
玄関で靴を穿いていると、ダイニングから父親が顔を覗かせる。

「晋助、夕飯時に何処へ行く?」
「何処だって構わねぇだろ」
「また夜遊びじゃないだろうな!
 貴様は高杉家の後取りなのだぞ、生活態度に気を付けんか」
「うるせーよ」

ぼそりと呟くと、背後で父親が怒り狂った空気を纏った。

「晋助、貴様!なんだ、その口の聞き方はっ!
 許さんぞ、出掛けると言うのならば飯抜きだ、帰っても今日は家に入れん!」
「勝手にすればいいさ」

怒鳴り散らす父の声から逃げるように高杉は自宅を後にした。
まだ身体がだるくて足腰も痛かったが、走ってそろばん塾へと向かう。
門の前に来ると、律儀に玄関のチャイムを鳴らす。

「おや、晋助。こんばんは」

柔和な笑みを浮かべて松陽がドアを開けた。
笑顔を見た瞬間、ホッとして足から力が抜けるような感覚がした。
足を踏ん張って平静を装い、頭を下げる。

「こんばんは、松陽先生。突然の訪問、申し訳ございません」
「いえいえ、塾の無い日に会いに来てくれるなんて嬉しいですよ。どうぞ」
「あ、いえ。別にただ顔を見たくなってしまって、それだけなので……」
「おや、用事なんて無くっても上がって下さっていいんですよ」

促されるまま、高杉は松陽の家に上がった。
座敷に通されて、松陽が熱いお茶と茶菓子を出してくれる。

「晋助、夕飯は食べましたか?」
「あ、ええ。家で食べてから来ましたので……」

嘘だったが、胃がむかむかしてとても腹なんて減っていなかった。
松陽は微笑んだまま「そうですか」と頷いたが、
あの様子だと多分、自分が嘘を吐いたのはばれていそうだ。
それでも夕食を勧めてこないのは、自分の気持ちにさえも気付いているからだろう。

「晋助、辛い事があったらいつでも頼って下さいね」

笑顔で諭すように言われた台詞で、それが伺い知れた。
優しい手が伸びてきて、そっと頭を撫でてくれる。
気恥かしかったけれど、酷く安心した。
それだけで浄化された気がして、少し心が軽くなった。

時間をかけてお茶を飲み、他愛ない会話を交わす。
気分が良くなり、腹は空かなかったが胃のむかつきは治まった。
その時タイミング良く、松陽がおにぎりを握って出してくれた。
シャケと昆布のシンプルな具のおにぎり。
空腹感は無かったけど、折角だからと口に運んだ。
吐き気が酷くて食べられないかもしれないと思っていたが、
松陽が握ってくれた所為か、ちゃんと食べきることができた。

「松陽先生、すみません、すっかりご馳走になってしまいまして」
「いえ、晋助と一緒だと私も嬉しいですから。また来て下さいね」
「はい、ありがとうございます」

深々と頭を下げると、高杉はそろばん塾を後にした。
家の方に向かって歩いていたが、家には帰らなかった。
帰った所で、鍵を掛けられているのが解っていたからだ。
謝ってまで入れてもらう気もない。
適当に木の上で夜を明かそう。そう思っていた時、名前を呼ばれる。

「高杉」

頭上から振って来た声に顔を上げると、
ベランダに立つ長髪の男の姿が飛びこんで来た。

「ヅラ……」
「ヅラじゃない、桂だ」
「……何の用だ?」
「いや、お前、また親父殿と喧嘩したのだろう?
 こんな時間にフラフラして、今夜の寝床は在るのか?」
「余計な御世話だ」
「今日は冷える。それに雨が降りそうだ」

桂が来いと促すように手招きをした。
動かずに突っ立ってそれを見ていると、桂は溜息を吐いて
ベランダから姿を消した。
何処へ行ったのだろうかとぼんやり考えていると、玄関の扉が開いて
さっきまでベランダに居た桂が出てきた。

華奢だが意外と大きい桂の手が高杉の小さい手を掴む。
温かい手に自分の手を握り込まれて、高杉はキョトンとした。

「まったく、冷えているではないか。
 お前は身体が弱いのだから気をつけねば風邪をひく」
「身体が弱ぇって、ガキの頃の話だろう」
「今でも時々風邪をひくだろう。いいから、さっさと上がれ」

お節介な幼なじみに引っ張られて、無理やり家へと上げられる。
自分をベッドに座らせると、桂は緑茶を淹れて差し出してきた。

「飲め、高杉。暖まるぞ」
「……ああ」

湯呑を受け取り、両手で包み込むようにして持つ。
温かさが掌から全身へじんわりと広がる。
湯呑を持つ手が震えて、水面に波紋が広がる。
桂に見られている前で震える自分が惨めで、消えてしまいたかった。

「高杉。お前、顔色が悪い」
「気の所為だろ?」
「気の所為などでは無い、大丈夫か?」

精一杯、無機質な強がった声を出したが、
さすがの鈍感な桂でも、今の自分の異常さに気付かない程鈍くは無かった。
それに目ざとい桂は、自分の手首にある傷に気が付いてしまった。

「お前、その手首どうした……?」

こちらを指差し、桂が眉を顰める。
「なんでもない」そう言ったが、桂は納得しなかった。

「誰に、された?」

何を、と聞いてこなかったのは珍しく空気を読んだからだろう。
ほっとした。自分の口から自分の身に起きたおぞましい事を語るのは絶対に嫌だった。
桂の質問には答えなかった。
焦れたように桂がまた「誰がやった?」と言い方を変えて尋ねても、
決して口を開きはしなかった。
もし、自分が正直に「銀八にされた」と言えば、桂は怒って銀八に抗議するだろう。
そうなったら、今度は桂を巻き込むかもしれない。
桂はイカレた中身と憮然とした表情はともかく、
黙って大人しい顔をしていれば綺麗な顔立ちの部類だ。
自分になど平然と手を出す銀八なら、桂はもっと危ないだろう。
鬱陶しいが、この幼なじみを巻き込みたくない。そう強く思った。

黙っていると、桂にいきなり抱き寄せられた。
不意にぎゅっと全身を包み込まれ、高杉は瞳を瞬かせる。

「か、つら……?」
「言いたくないと言うのならば、何も言わなくていい。
 だが、高杉。辛い時は俺を頼ってはくれんか?
 大した事はできんが、こうして抱締めるくらいならしてやれる」

筋肉のつきが薄く華奢だが自分より幅広く、男らしい骨格の桂に
抱締められていると、ちょっとだけホッとした。
縋る様に桂の背中に腕を廻して、胸に顔を埋める。
桂の腕が、より一層つよく自分を抱締めてきて息が詰まりそうになった。
それでも不快な感じはせず、どこか心地いい息苦しさだった。

「くっ……ぅ」

涙が流れる事はなかったけれど、嗚咽に似た声が高杉の唇から洩れた。
それに呼応するように、桂の腕の力がまた強くなる。

「高杉、何があっても、お前は俺の友だ。忘れるな」
「あ、あ……」

囁かれる言葉に力強さを感じた。温もりに瞼が重くなる。
高杉は桂に抱締められたまま、ベッドの中で眠りに落ちた。












--あとがき----------

桂高、意外と萌えるCPだと思いませんか。
桂は高杉に対して何かと気に掛けて、
面倒見いいですよね。
しかし、高杉はいつも銀さんの方ばかり見ている気が。
桂は高杉のお母さんが好きで、そこから人妻好きが始まった。
なんて妄想をして楽しんでます(笑)

ちなみに高杉のお父さんはめちゃくちゃ怖いし、息子には愛情がない。
お母さんは美人なだけで、何も出来ない箱入りお嬢さんなイメージ。