第九話 ―傷跡の疼痛―


銀八が帰ってしまい、松陽と高杉は二人でお茶を飲んでいた。
せっかく松陽と居るのに、帰っていった銀八のことが気になって、
高杉は松陽との話に集中できずにいた。

「晋助、どうしましたか?」

柔らかな声に尋ねられて、高杉はぴくりと肩を震わせた。
馬鹿馬鹿しい。銀八なんてどうでもいい。
高杉は「なんでもありません」と笑った。
松陽とお茶を飲みながら、他愛ない会話を交わす。
それだけで、心が満たされて穏やかな気持ちになった。
やっぱり、自分は松陽が好きだ。
高杉がそう思った時、心を読んだように松陽が問い掛けてきた。

「晋助は私を好きですか?」

見詰めてくる灰色の瞳はいつも以上に強い光を宿していた。
見透かすような視線に高杉は一瞬だけうろたえたが、
松陽の瞳を見詰め返して答えた。

「はい。俺は先生が好きです」

包み隠さない、確かさを持った言葉。
松陽は深く微笑む。意味深な表情に高杉はドキリとした。

「それは、恋愛の意味ですか?」

およそ松陽がしそうにない問い掛けに高杉の顔に困惑が滲む。
じっと見詰めてくる灰色の瞳に気圧されて高杉は何も言えなかった。
え、とか、あ、など意味を成さない言葉を発してうろたえる高杉に、
向かい合って座る松陽が身を乗り出して顔を近付けてくる。
頬に意外と大きな手が触れて、高杉はびくりと肩を竦ませた。
薄い色素の長い髪がサラリと肩から零れて、高杉の方へ流れる。
ふわりとお香のような匂いが漂った。

「晋助」

低くて優しい声が名前を呼ぶ。自分の名を呼んだ松陽の唇がゆっくりと近付く。
静かな吐息が触れる程、松陽の顔が近付いていた。
身体を固くして、高杉は唇が近付いてくるのを驚愕した目で見ていた。
もうすぐ唇が触れる。
反射的にぎゅっと目を瞑って、高杉は逃げるように僅かに顔を逸らした。
その途端に、クスリと松陽の唇から笑い声が漏れた。
声に弾かれたように高杉は瞳を開け、松陽を見る。

「晋助は私を慕ってくれていますが、恋愛対象として見てはいません」
「あ……、でも、俺は―…」
「晋助、今一度考えて御覧。君の気持ちに恐れず向かい合いなさい。
触れられてもいいと思えるような相手がいるんじゃないですか?」

松陽の言葉に、高杉は息を飲んだ。
じっと見つめてくる灰色の瞳からさり気なく視線を外すと、
「そんな相手、いません」と小さく答えた。

「そうですか。いつかそんな相手が出来たらこっそり教えて下さいね」

にこにこ笑う松陽に曖昧に頷くと、高杉は彼の家を後にした。
足早に歩きながら、高杉は街の雑踏に紛れた。
人で賑わう中をズカズカと歩く。

触れられても嫌じゃなければ好き?
だったら、自分は銀八の事が好きなのだろうか―…
あんなに散々な目に遭わされたと言うのに?
確かにこの前、不良共に触られたときは嫌悪感がしたし、
その後で銀八が優しく触れてきた時は逆に嫌じゃなかった。
もしかして、自分は本当に銀八に惚れてしまったのだろうか。

本当にそうならば、最悪だ。高杉は重々しく溜め息を吐いた。

同性で鬼畜でしかも担任教師を好きになるとか、
どう考えたって茨道に突っ込んでいくようなものだ。
面倒くさいにもほどがある。

銀八が好きだなんて、ナシだ。そんなはずない。
頭に浮かんだ懸念を追い払い、高杉は用事もないままブラブラと
街中を彷徨うように歩き回っていた。

「おい、銀高の高杉だろ。ツラ貸せや」

いきなり名前を呼ばれて、高杉は俯き加減だった顔を上げる。
目の前には体格のいい不良が三人、立ちはだかるようにして佇んでいた。
同じ学校の生徒ではない。どこの学校かもわからない男達だ。
面倒くさくて無視していると、胸倉を掴まれた。

「オラ、無視してんじゃねーぞ、コラッ!」

相手は顔を近付けて凄んできた。
うっとうしい。クサクサした気分だった高杉は一言も発さないまま、
掴みかかってきた相手の顎を蹴り上げてノックダウンした。
それに怒った残りの二人が飛び掛かってくるのも、
ポケットに手を突っ込んだまま蹴りだけで鮮やかに片づける。

「ヒュー、すごいね。お兄さん」

口笛と爽やかな声が頭上から降り注いできた。
高杉が顔を上げると、薄紅色の長い髪を三つ編みにした学ランの男が
高い塀の上からこちらを見下ろしていた。
男は2メートルはある塀からひらりと飛び降りると、高杉の目の前に立った。

「アンタが噂の高杉シンスケか。へえ……」

物珍しげに男が高杉をジロジロと眺める。
裏地に虎の模様が入った長ラン。改造されているが見覚えのある制服だ。
確か、夜兎高の制服だったような気がする。
彼が不良と言うのは長ランという明らかに校則違反な服装で明らかだった。
それだけじゃない。男は危険な雰囲気を纏っていた。
ずいぶんとにこやかな表情をしているが、
青い瞳は、血に飢えた獣のような獰猛さを孕んでいる。
その辺の安い不良じゃない。相当な強さを秘めているのだろう。

だが別段、高杉は喧嘩に興味があるわけではない。
喧嘩をする回数は多いのだが、自分から喧嘩を吹っかけることはないも同然だ。
別に、強さにも戦うことにも興味なんてない。
喧嘩をする理由は相手が挑んでくるからと、退屈だからだ。
それ以外に理由なんてない。
だから、目の前の男が喧嘩好きだろうと強かろうとどうでもよかった。

「見分は済んだか?なら、帰らせてもらうぜ」

つれなく言うと、高杉は男の隣をすり抜けて去ろうとした。
だが、手首を掴まれて阻まれる。
深い海のように青い瞳が、じっと自分だけを映していた。

「ねえ、アンタさ、俺とどっかで会ったことない?」

不思議そうに男は首を傾げた。
高杉は怪訝に男を見つめ返す。どこかで見た事のある顔だった。
だが、何処で見たかまったく思い出せないし、
夜兎高の悪名は耳にしていたが、夜兎高の生徒と接点など一度もない。

男と同じように既知感を覚えた事を隠して、高杉は「知らねえ」と答えた。
男の手は相変わらず高杉の手首を捕えている。

「ヘンだな。どっかで見たことがある気がするんだけど。思い出せないや。
 ま、いっか。俺は夜兎高の神威っていうんだ。ねえ、ヒマなんだ。俺と遊ばない?」
「断る」

神威の手を振り解くと、高杉はスタスタと歩き出した。
神威が追いかけてきそうな雰囲気を感じ取って、
人混みに紛れて姿を消した。




月曜日、朝から天気が悪く空は重い鉛色をしていた。
高杉は重い足取りで廊下を歩いた。
別に雨降りは嫌いじゃない。
だが、曇天の日は、眼帯の下の左目がズキズキと鈍く痛んだ。
湿気のせいなのか、単に気分の問題かはわからないが、
とうの昔に失った筈の左目の古傷がジクジクと痛んでいる。

朝っぱらから嫌な気分で歩いていると、銀八の話し声が聞こえてきた。
声は職員室から聞こえてくる。
何となく気になって、高杉は足を止めた。
中を覗き込むと、銀八と金髪の綺麗な女が向かい合って喋っていた。
彼女はたしか、保健体育担当の月詠だ。

「いやーそんなんじゃないですって……」
「そうか?わっちにはぬしが高杉といい雰囲気に見えるが。
 わっちは最近この学校に来たばかりで知らんが、高杉は随分と扱いづらい
 生徒だと聞いておるが、ぬしだけには少し従順なように見える。
 他の教師達も、最初は問題児だった高杉も近頃まじめに授業に出ていて、
 銀八先生の指導のおかげかもしれないと言っておったぞ。よかったな」
「いえいえー、俺もね、今でも手を焼いてるんですって。
 高杉に好き勝手さしてるってんで、初めのウチはすげぇ文句言われてたんだよ。
 ほんと、苦労したわ。アイツ、聞かん坊だし手懐けるの難しいんですよ」

そこまで会話を聞いて、高杉は職員室から離れた。
銀八は自分の所為で評価が下がると嫌だから従順にさせようとしている。
自分のことが好きだからじゃない。土曜日に松陽先生の家で会った時に、
「盗撮して陥れようとしたから、可虐した」と銀八が答えたのは
偽りではなくて、本当にその通りだったんだ。
銀八は手を焼かされたから、腹いせと抑止の為に自分を虐待したのだ。
そんな事、状況から見ても解っていた筈だ。

ああ、なんだ。やっぱりそういう理由か―…
妙に納得したのと同時に、落胆に似た感情が胸で渦巻いた。

銀八が自分に手を出したのは、興味があるからじゃない。
ただ単に、厄介事に巻き込まれたり、
自分の評価が落ちるのが嫌なだけだったのだ。
解っていたことだ。それなのに、酷く傷付けられた気分になった。

嫌われていたって上等だと、寧ろ嫌って欲しい筈だ。なのに、胸が痛い。
それなのに、どうしようもなく胸が痛かった。
どうして自分はショックを受けているんだろう。
やっぱり、銀八の事が―…

高杉は胸の辺りをギュッと握りしめた。
教室に行く気分などしなかった。
だが、ここでサボったら負けたような気がして結局は教室に向かった。

席に着くと、どっと疲れが押し寄せてきて高杉は
机に突っ伏して目を閉じた。
教室の賑わいがやけに遠くに聞こえた。
自分だけ遠くにいるような、そんな気分だった。
また万斉と土方が「体調が悪いのか?」と代わる代わる心配してきたが、
悪いと思いつつ、何も答えたくなくてスルーした。


ぼんやりとしたまま時間が過ぎていく。
退屈すぎて欠伸が出てきそうだ。
高杉は黒板から目を逸らして、窓の外を見遣った。

天気は相変わらず悪かったが、雨が降る気配はない。
雨を警戒してか、偶然か、どのクラスもグラウンドで体育を行っておらず、
薄暗い外には人っ子一人見当たらない。

そんな中、三つの影がグラウンドに揺らめいた。
巨漢の辮髪の男に、長身の蓬髪の男、
そして、三つ編みを靡かせた華奢な男が校舎へと近付いてくる。

「やっほー。遊びに来たよ」

こちらに向かって親しげに手を振ってきたのは神威だった。
眉を顰めて高杉が闖入者である神威たちを見詰める中、
三人はこちらに向かって走り出すと、一斉にジャンプした。
二階の窓を蹴破って、神威が教室に侵入してくる。

「バカ兄貴……!」

分厚い眼鏡をかけたお団子頭の女子、神楽が珍しく鋭い顔で神威を睨む。
高杉はぼんやりと神威と神楽を見比べた。
薄紅の髪に、くりっとした青い瞳、白い肌。なるほど、よく似ている。
この前、街で神威と出会った時に見覚えがあると思ったのは、
神楽と似ていたからか。
そう納得したが、高杉は釈然としないものを感じていた。

「ああ、バカ妹か。そういやオマエもここの生徒だったな」
「神威、何の用アルか?」
「オマエに用はない。俺が用があるのはシンスケだよ」
「おい、ぬしら。夜兎高の生徒じゃろ?」

へらへら笑う神威に、保健体育の授業をしていた月詠がチョークを置き、
ずいと神威に近付いた。

「早く自分の学校に帰らんか。授業中だぞ」
「煩いよ、女。下がってないと殺しちゃうぞ」
「ふざけた事を……、帰れ!」
「嫌だね。俺はシンスケに用があるって言ってるだろ?」
「用事があるなら放課後にしろ。授業の邪魔だ」

神威の腕を掴んで外に引き摺りだそうとした月詠に阿伏兎が蹴りブチ込んだ。
月詠は軽くふっとんで、黒板に叩きつけられる。
俄かに教室がざわめいた。土方と近藤が立ち上がって、
阿伏兎に飛び掛かっていくが、辮髪の男、云業に襟を掴まれて床に叩きつけられる。
強敵の来襲に、生徒数人が教室から逃げ出して行く。
そんな中、高杉はぼんやりと神威を見ていた。
神威は高杉だけを見てゆっくりと近付いていく。
その背後から神楽が神威に猛攻を仕掛けた。

「無視すんじゃないネ、クソ兄貴がぁっ!ツッキーになにするアルかっ!」
「煩いよ、黙っていろよクズが」

怪力の神楽のパンチを軽々受け止めると、神威は彼女の腹に拳を叩き込んだ。

「神楽ちゃんっ!」

吹っ飛ばされた神楽を新八が受け止める。
新八に受け止められた神楽は苦しそうに咽ていたが、
また拳を固めて神楽に殴りかかった。
それに対して、神威も容赦なく蹴りや拳を繰り出す。
神楽は防戦一方を強いられていた。
神威のパンチの反動で地面にこけた神楽に、神威は留めの突きを降ろそうとする。
新八が神楽を守るように神威の前に立ちはだかった。
構わず、神威は新八を排除しようと拳を振り降ろした。

「そんくらいにしとけよ」

さっきまで黙っていた高杉は席を立つと、神威の腕を掴んだ。
新八に当たる寸の所で神威の拳は止まっていた。
神威は高杉の方を振り返り、にこりと笑う。

「やあ、シンスケ。遊びに来たよ」
「……随分と派手な訪問だな」
「そう?ね、これ以上ここで暴れられたくないならついて来てよ」
「嫌だ、と言ったら?」
「うーん、その時は、是が非でも来たくなるように仕向けるかな?」

獣のように瞳をぎらつかせて、青い瞳が高杉を見詰める。
神威の手が高杉の細い手首を掴んだ。それを見た万斉が立ち上がる。

「晋助に触るな。その汚い手を離せ」
「誰、オマエ。俺が用があるのはシンスケだよ」
「晋助はぬしとは行かぬよ。さっさと帰るがいい」
「嫌だ。俺はシンスケと遊びたい。ね、シンスケ。コイツはアンタの犬?」
「万斉は犬じゃねえよ」
「ふーん。番犬に見えるけどね。ま、いいや。阿伏兎、コイツを排除して」
「はいよ、団長……じゃ、ねえな。番長」

阿伏兎が首をコキコキと鳴らしながらこちらに近付いてきた。
殺人鬼の様に冷たい目。明らかに高校生の年齢でない容姿。
阿伏兎に危険な匂いを感じて、高杉は眉を顰めた。
万斉が簡単に負けるとも、阿伏兎に負けるとも思えないが、
無傷と言う訳にはいかないだろう。
万斉はもうじき大きなライブがあると言っていた。手に怪我でもしては大変だ。
それに、万斉を巻き込むのも嫌だった。
一人で神威と戦って、あとはどうなってもいいと思った。
ボコボコにされたってどうだっていい。投げやりな気分だ。
そんな気分に万斉を巻き込みたくない。

「引け、万斉。俺ぁ、ちょうど退屈していたんだ。行くぜ」
「晋助!?」
「悪いが、俺のことは放っておいてくれ、万斉」
「……」

強い口調で命じられて、万斉は口を噤んだ。
サングラス越しに恨めしそうな視線を向けてくる万斉から顔を背けると、
高杉は神威の背中に続いて教室を出ようとした。
その時、地面に倒れていた土方が神威の足首を掴む。

「まて、よ。連れて行くな」
「また邪魔する気かい?シンスケが来るって言っているんだ」
「それでも、許さねえ。高杉、行くなよ」
「土方……。万斉にも言ったが、放っておいてくれよ」
「断る」

土方は神威の足首から手を離すと、高杉の腕を掴んだ。

「そいつら夜兎高の連中だろ?一人で行ったら危険だ」
「俺がどうなろうと、どうだっていいだろ」
「よくねぇっ!俺はお前が……っ!」

土方は途中で言葉を飲み込むと、高杉の事を抱き寄せた。
突然の事に高杉は驚いて土方を見上げる。
自分を見詰める熱っぽい藍色の瞳に、高杉は息を飲んだ。

「……なんかムカツク」

言葉と裏腹に愉快そうな声で神威はそう言うと、高杉を抱締める土方の顔面に
パンチを叩き込んだ。衝撃で土方は吹っ飛んで机にぶつかった。
気絶した土方に、神威の部下である云業が追い打ちを掛けようとする。

「土方っ!やめろ、神威。大人しくついてくって言ってんだろ」

キッと高杉が神威を睨み付けると、神威はお茶目に舌を出して見せた。

「ごめーん。なんかムカついたからサ。じゃ、行こうか」
「……ああ」

神威と共に高杉はざわつく教室を後にした。











--あとがき----------

松陽先生はぜったいに純情系ではないと思います(笑)
可愛らしい系の顔をした肉食系でたおやかな攻め。
高杉的には守ってあげたい、先生に対しては攻めな気分よりですが、
実は高×松ではなく松×高という構図が好きです。
先生は高杉を可愛くて美味しそうな生徒だと思ってます(爆)
思わず食べちゃいたい時も有りますが、そこは先生ですので理性は飛んだりしません。
でも、高杉がOKならいつでも食べる準備はできてます。
神威登場です。神威は過去と同じく現代でも高杉に一目惚れしそうですよね。
きっとスーパー好みのタイプなんだと思います。