+++++ 第二話 芽生え +++++ 


暗殺者から武家のお坊ちゃんの子守へ―…。
これは栄転か転落か悩ましい所だ。

里では誰の子かや年齢問わず幼い者の面倒を年長が見る習わしがあったので、
多少は育児に携わった事もある。
だが、それは機械的に飯を与えオムツを変えるだけのものであって
そこには情も教育も介在しない。
ただ、赤ん坊を成長させるための作業に過ぎなかった。

(まさか、俺が子守をするとは―…)

溜め息を吐きたいくらい嫌だが雇い主の命令なら背く理由もない。
城主の子だから蔑ろにする訳にもいかなかった。




「さすけーっ!!」

元気な屈託のない声が自分の名を呼ぶ。
それに軽い眩暈と吐き気を覚えながら無感情に佐助は木の上から返事をする。

「お呼びでしょうか、若様」
「どこだ?すがたを見せてくれ」
「……はい」

しょうがなく木から下り、佐助は弁丸の前に姿を現した。
自分が姿を見せると弁丸はとても嬉しそうに微笑んだ。

「さすけ、さんぽに行こう」

遠慮がちに自分の着物の裾を握って、キラキラした瞳で見上げて来る小さな主。
調子が狂うのを感じながら、無碍にすることの出来ない自分に戸惑った。

「では参りましょうか若様」
「うむ!」

小さい手ぎゅっと自分の手を握った。柔らかく暖かな手はまるで日溜まりだ。
武家の子が忍なんかと手を繋ぐなんていけない。
振り解かないと。そう思ったが何故か手が離せなかった。

(幼子は山道では転びやすいから。安全の為にだ自分にそう言い訳する
自身が何だか滑稽だった。
上田城のすぐ近くの山を二人はのんびりと歩いていた。


「さすけ、うさぎだ!」

白いふわふわの兎を指差し、弁丸は嬉しそうに笑った。
かと思えば今度は 綺麗な花を指差して感嘆を漏らす。
なんにでも興味を示す純粋な弁丸が自分と違う生き物のような気がした。

(まあ、忍びと城主のお坊ちゃんじゃ同じ種族じゃないからな―…)

忍なんて所詮、犬畜生の獣だ。
そんな事は心得ているし、それに対して怒りも悲しみも無い。

いちいち弁丸の言葉一つ一つに丁寧に
「可愛いですね」とか「綺麗ですね」と応える自分を
馬鹿馬鹿しく思いながらもこれは仕事だからと言い聞かせ、卒なく弁丸の相手をした。

弁丸は聞き訳はいいが、どうにも元気がありすぎる。
すばしっこい身のこなしで急に辺り構わず走り回ったり、
跳ねたりするものだから振り回されてしまう。
そのパワフルさに早くも先が思いやられた。

「さすけ、おにごっこをしよう」
「え?ああ、鬼ごっこですね。わかりました」
「どちらがおにをする?」
「俺が鬼の役をしましょう」

正直、弁丸が鬼になったら自分を捕まえるのは一生無理だ。
だからといって手を抜いてすぐ捕まったら
弁丸は間違いなくつまらないと思うだろう。
だったら鬼を自分がして抜いて追いかけた方が
彼に楽しんでもらえると判断しての言葉だった。
鬼ごっこはやはり、追われる方がスリルがあって愉しいものだ。

「ではさすけ、二十かぞえてくれ」
「はい。では、一、二、……」

数え始めると弁丸はものすごい速さで逃げ出した。
三歳ながらも見事な俊足だ。
(まあ、でも俺に掛かれば直ぐに捕まえられるけどね―…)
自信はあった。だが、思わぬ事が起きてしまう。

走って言った筈の弁丸の足音が途絶えた。
怪しい気配は何もないから大丈夫だとは思うが不測の事態に
もしものケースを考え、焦りが滲む。

聞いていた足音を頼りに佐助は走った。
そして、とんでもない事態を目にして泡を食う事となる。

「若様っ!!」

弁丸はかなり高い木の枝の上で、困った顔をしていた。
もし落ちたりしたら怪我をさせてしまうと、
流石に慌てて佐助は駆け寄ってジャンプで一気に
弁丸の座り込んでいる枝の隣の枝に飛び乗って手を差し出した。

「さ、さすけ……!」
「大丈夫ですか?若様!」
「う、うむ。でも、登ったはいいがおりられぬのだ」
「見たらわかりますよ。俺が抱いて降ろします」
「かたじけない、さすけ」

弁丸が怖々と木にしがみついているので、
差し出した手を引っ込めて佐助は揺らさないよう静かに
弁丸のいる枝へと移った。
佐助がすぐ傍に寄ると躊躇なく手を放して弁丸が腕の中に飛び込んで来た。
小さな身体を抱きとめると、佐助は地面に飛び降りた。

「ありがとう、さすけ」

腕の中から自分を見上げてパッと笑みを浮かべて令を述べて来た
弁丸に佐助はかなり面食らった。
忍如きに礼を言うなんて、本当に変わり者の主だ。
惜しみない笑みを浮かべる弁丸に急に気恥ずかしくなって、
そんな自分が怖くて慌てて佐助は目を反らした。

「それより若様、どうしてあんな高い木に登ったんですか?」
「この小鳥が巣からおちていて、もどしてやろうと思ったのだ」

そう言って袴のポケットから小さな小鳥を弁丸が取出した。
再度木を見上げると、さっきの位置よりも更に高い位置に巣がある。
小鳥もよく落ちて無事だったものだ。きっと運よく茂みに落ちたのだろう。
危険を顧みず、たかだか鳥一匹の為にあんな高い木に
登るなんてなんて馬鹿な主だろうか。
ふう、と溜息を吐くと佐助は弁丸の小さな手から小鳥を掬い上げた。

「さすけ?」
「俺が、戻してきますよ。木登りは得意なんです」
「まことか?」
「ええ」

少し笑むと、佐助はあっと言う間に木に登って小鳥を巣に返し、
再び弁丸の元へと降り立った。
まさに瞬きの間に小鳥を返してきて戻った佐助に弁丸は感激する。

「さすがは弁の忍だ!すごいぞっ、さすけ!」
「お誉めに預かり光栄です。それより、そろそろ帰りましょうか?
 日も暮れてきました。夜の山は冷えますから」
「うむ」

ぎゅっと弁丸が自分から手を握って来た。
優しくその手を握り返すと弁丸はお日様の様に笑う。
手から伝わる温度を心地よく感じた。

少しづつ芽生え始めた名も知らない感情。
それに佐助が気付くのはもう少し先の事だ。









--あとがき----------