+++++ 第三話  恐れる闇 +++++ 


日に日に変えられていく自分が怖かった。
ただ、命令だから守って、命令だから面倒を見て、
命令だから愛想を振りまいて、命令だから御機嫌を取って、
命令だから、命令だから―…。

その筈だったのに、そうでないといけないのに―…

いつの間にか、自分がそうしたいから。弁丸様が喜ぶから。
そうなっている自分に気付いた。
情を持つ忍などいない。忍なんて金で雇われて金で縁の切れる関係だ。
このままじゃいけない。
そう思っていた時分に、丁度久しぶりの暗殺が舞い込んだ。


同じ里出身の男で昌幸の真田の忍隊の一員、
海野六郎と共に佐助は弁丸が寝付いた真夜中、上田城を出た。

初見の海野は自分より九つ年上の男で、締まりのないにやけた顔に
やや剛毛そうな短毛はくせ毛の緩い天然ウェーブだ。
髪の色は鼠と緑がかった薄い茶色、利休色だった。
長身で体躯のいい海野六郎は体術はもちろんのこと、薬や毒に長けた忍びだと聞く。
口元に浮かぶ笑みは人が好いとも意地悪そうだともとれた。
淡紺色の忍装束に、象牙色のスカーフをした井手達の海野に対し、
佐助は薄墨色の黒一色の装束で口元を黒い布で覆った恰好をしていた。
佐助の隣りを駈けながら、視線を合わせること無く海野が話しかけてきた。


「一ヵ月ぶりの仕事だが大丈夫か?佐助」
「誰に聞いてんの?」
「可愛くないな。さすが誉れ高き白雲斎様のお弟子様ってとこ?」
「ふん。何とでも言えば……」
「弁丸様との生活はどうなんだ?」

不意に投げ掛けられた質問に、一瞬佐助は言い淀む。
だが、すぐに「別にどうも」と、さっきと変わらない素っ気ない声で返って来た。
その僅かな淀みに気付いた海野は鷹揚とも小難しいとも取れない
面立ちを浮かべていた。
佐助は少しでも感情を揺るがした自身に内心舌打ちをする。


上田城より一回りほど小さい屋敷に着くと、
佐助や海野達はそれぞれ決めた持ち場へと散開した。

愛用の大手裏剣・闇鴉を構えると、佐助は眠りに包まれた夜闇の城へ降りたった。
曲者の影に気付いた場内が騒然となる。
だが、慌てることなく城の用人達を佐助は次から次へと手に掛けた。

久しぶりの本格的な暗殺。
断末魔・血飛沫・肉を絶つ感触・絶望の暗闇―…
その全てが懐かしく、心地良かった。

命のまま機械的に相手を殺していく。
感情は昂ぶるが心が鎮まる。この二反が心地良かった。
気付けば辺りは一面血の海だ。無数の屍が足元に折り重なっている。
ふと、佐助の口許には笑みが浮かんでいた。

(流石は闇の異能を持つ化け物というだけはある―…)

躊躇いも無く鮮やかな動きで人を殺める。
敵方や雇い主だけでなく、時に同業の忍をも怖れを為すと言うのは本当らしい。

(この俺を怯ませるなんてな。
 まだほんの十歳のガキの癖に生意気な事で―…)

こんな危険人物を愛息子の傍仕えにする主・昌幸の酔狂に今更ながら溜め息が出る。
最近は以前より人間らしさが出たと昌幸は言っていたが、
この状況を見ていると本当なのかと疑ってしまう。
まあ、忍としては情も人間らしさも無い方が正解なのだから、
喜びこそすれ、嘆くべきではないのだが、
佐助の徹底した冷酷さを見ると恐ろしささえ感じて、
主の息子・弁丸の傍に置いても大丈夫かと心配になってしまう。

(ま、昌幸様は馬鹿なようでしっかりした切れ者だし大丈夫か)

佐助に気付かれないよう今来た風を装い、
海野は地獄と化した部屋へと何食わぬ顔で入っていった。

「終わったか、佐助。こっちは今片付いたぞ」

海野が近付くと、佐助は薄ら笑いを浮かべたまま振り返った。

「終わったよ。少々やり過ぎた位だ。
 自分の分はとっくに終わって呑気に見物してたから知ってるでしょ」

佐助の感情のない笑みに背筋が冷えた。
よもやあの状況下でも冷静に周囲を観察する事を怠らずに、
気配を殺して潜んだ自分を見つけていたとは、本当に恐れ入る。

(気付かれてたか―…。ああ、ホントにヤなガキ……)

年上の面目も丸潰れというものだ。有能と名高い真田忍隊の一員が呆れる。
溜息をつきながら海野は佐助に更に歩み寄った。
もはや原型も留めぬ肉片が其処ら中に散らばっている。
殺された相手への同情が禁じえない。

「弁丸様が見たら、きっと泣くな―…」

何気なく呟かれた海野のその言葉に佐助はハッとした。
ふと自分の手を見ると、血で深紅に染まっていた。
赤い赤い手。死人の穢れた血に染まった汚れた手―…。

(この手じゃ、あの幼子に触れられない―…)

そう思った瞬間、ガクガクと手が震えた。
さっきまでは甘ったるく感じていた血の匂いが鉄の錆びた臭いに変わる。
途端、クラリと軽いめまいがした。

こんな事じゃいけない。
一つ息をすると冷たい夜気が身体に侵入し、多少は気分が落ち着いた。
だが、胸のざわめきが消えない。
それを隠す様に感情を捨て去り、異更に冷たい表情を佐助は浮かべた。

「終ったんならさっさと帰るぜ」

つれない口調で吐き捨てると、海野に背を向けて佐助は走り出した。
その後ろ姿に海野はふと昌幸の考えが解った気がした。


里の中でも最も優秀な佐助は、心を闇に渡した化け物。
あれは鴉の化身だとか、禍々しき猩々だと口々に噂が飛び交っていた。
その闇の者は、あの幼い炎に魅入られたようだ。

闇に灯りがともれば見えて来るモノもあるだろう。
さっき不意に見せた動揺がいい証拠だ。

(あ〜あ、あの捻くれ者が、ねえ―…)

密かに笑みを浮かべると、海野は佐助の後を追って上田城へと走った。





上田城に帰ると佐助は冷たい井戸水を身体に何度も浴びた。
何度水で身体を清めても血と死臭がとれない。

「なんでだ―…なんでなんだよ―…」

声がくぐもる。自分が弱くなった気がして余計に情けなくなった。
皮膚が痛くなるくらい、何度も身体を擦った。
冷たさに身体が痺れるまで、佐助は水浴びを続けた。

「弁丸、様―…」

不意に呼んだ名に心が安堵した。
もう、血の臭いも死臭も感じない。だから、大丈夫だ―…。

(大丈夫?何が―…?)

臭いが取れても、血の朱が消えても何百人、何千人と殺した事実は消えない。
重い足を引き摺ってフラフラ彷徨う様に佐助は弁丸の寝室へ向かった。
完全に無意識だった。
寝室の襖の前に立ち、取っ手に手を掛けた瞬間、佐助は我に帰る。

(こんな時間に、何をしようってんだ―…)

伸ばした手を降ろし、踵を返した。
去ろうとした瞬間、暖かな声に自分の名を呼ばれた。

「さ、すけ?佐助っ!」
「あ―…」
「やっぱり佐助だ!!」

嬉しそうな声を上げ、弁丸が布団を跳ねのけて襖を開けた。
自分に向かって駈けよってくる弁丸を避ける間もなく、
弁丸は佐助の懐に飛び込んで来た。

「べ…んまる、さま―…」

抱き付いて来た弁丸をギュッと抱きしめると、確かな鼓動が伝わって来た。
虚ろな瞳で佐助は弁丸を見詰めた。
佐助の薄い緑がかった瞳を見詰めると、弁丸がニコリと笑んだ。

「起きたら、佐助がいなかったからさびしかったぞ」

寝る前に水を飲み過ぎて目が覚めた。
そしたら佐助の気配がなかったからとても寂しかったのだと言って、
弁丸は細い腕を佐助の胴体に回した。
弁丸の為に無意識の内に少し腰を屈めた佐助の胸に鼻先を寄せ、
くんくんと匂いを嗅ぐとその胸にポスリと顔を埋めた。

「佐助のにおいはおちつくな。安心するから、こよいは弁丸とねてくれ」

その言葉に全て見抜かれた気がした。
弁丸はぼんやりしている様でいてとても聡い子だ。
いつもより冷たい体温に水を浴びた事に気付いただろう。
仕事、それも汚れ仕事の痕だと解ったのだ。
体温と、そして自分の僅かな表情の変化から―…

(ああ、見抜かれてしまったんだな―…)

寂しかったのは弁丸自身だけじゃない。自分もそうなのだ。
安心するからいっしょに居て欲しいんじゃなくて、自分を安心させたくて
一緒に寝たいなどと言い出したんだ。

(甘えた振りして、俺を甘やかしているのか―…)

なんて愛しいんだろう―…
幼い身体を躊躇いなく佐助はぎゅっと抱締めた。

「はい、今宵は傍に居させて下さい」
「うむっ!」

嬉しそうに笑う弁丸を掻き抱くと、佐助は漸くほっと笑みを浮かべた。
暖かい体温に誘われ、その晩佐助は初めて
夜の監視を怠って、弁丸と共に夢の中へと落ちて行った。







--あとがき----------

またまた十勇士の登場です(笑)
今回は薬物使いの海野六郎さん。年齢は佐助+9歳なので19歳です。
海六は幸村の父上・昌幸に仕える真田忍隊の一員です。
のちに幸村が気に入って、幸村仕えとなり、十勇士の一員になります。
私のイメージは前田慶次をもっと薄くした感じの顔で、
髪は天パのショートです。槍かおっきな薙刀使いで体術もいけます★
身長は186cm位で身体は隠れマッチョです。