身体が燃えるように熱い。
灼け付くような痛みが全身を襲うが痛みなど気にならなかった。

ただ一つ、不甲斐無い己への怒りだけが身体を支配する。
決して、楽観出来る様な傷で無いのは重々承知していた。
このままでは命を落とす可能性すらある傷だ。
戦いの最中に土砂崩れに巻き込まれた事は
ある意味幸福だったのかもしれない。
このまま明智と蘭丸に見つからなければ生き延びる確率もある。
だが、心がそれを良しとしなかった。

この深手では、甲斐の屋敷に辿り着くまでに命を落とすかもしれない。
それよりは、近くにいて自分を探す敵と相見え、
戦って少しでも仇を返して悔い無く死ぬ事を選びたかった。


「ぐ……ぁっ……」

目の前が白く霞んでいる。きっと血を流し過ぎたのだろう。
引き摺るようにやっとの事で動かす足が鉛のようだ。
気を抜けば今すぐにでも倒れそうだった。

(お館様……、一矢報いる事すら出来ぬ某をお許し下さい―…)


村を襲われ、不覚を取られて深手を負い倒れた信玄の姿が脳裏に浮かんだ。
明智光秀と森蘭丸。
卑怯かつ残忍な手段を用いて甲斐を討とうとしたあの二人だけは許せない。
何としてでも、この手で倒さねば気が済まない。
そう強く願うが、身体は限界だった。

土砂降りの雨が最後の体力を奪い去る。
敵を討つどころか、甲斐に帰る事も出来なさそうだった。

(佐助、すまぬ。お前の預かり知らぬ所では
 決して死なぬと決めていたのに……。帰ると約束したのに―…)

いつも影として自分を支えてくれた忍の姿が脳裏に浮かぶ。
急襲を受け、倒れたお館様を佐助に託した時の事を思い出した。




「俺様にアンタを置いて逃げ帰れってのか!?」

珍しく激情を示し、怒りを露わにして佐助が怒鳴った。
瞳には深い悲しみを揺らめかせていたのが、とても愛しかった。

「俺を置いてではない。俺が勝手に残るのだ。
 間もなくここまで明智と蘭丸の軍勢が追い付いて来よう。
 殿軍として俺はそれを喰いとめる」
「なら、俺様も旦那と一緒に戦うぜ」
「ならぬ佐助。お前まで残ったら誰が傷付いたお館様を屋敷まで運ぶのだ?
 それに、もしお前にまでもしもの事があれば俺は―…」

これ以上大切な物を失いたくは無かった。
いつも自分は守られ、見ている事しかできなかったように思う。
父・昌幸を失った時もそうだ。自分は酷く非力だった。
今でもそれは変わらない。まだまだ力の及ばぬ事ばかりだ。
でも、もうこれ以上誰も失いたくは無い―…

佐助は自分と共に行くと酷く渋った。
だが、それを制して笑って佐助に告げた。

「信頼出来るお前に頼みたい。お前なら、敵の目を掻い潜り
 必ずやお館様を無事に安全な場所まで届けられよう。命令だ、任せたぞ佐助」
「こんな時ばっかり命令して。ズルイよ旦那。
 命令だなんて言われちまったら、背く事が出来ないじゃんか」

乱れた髪をくしゃりと掻き揚げ、苦痛の混じった笑い声を佐助が上げた。
捨てられた子犬の様な瞳に胸が痛んだが、佐助を失う事に比べたら
天秤に掛けるまでも無くその瞳で見詰められても耐える事が出来た。

「あんたも必ず生きて戻れ。約束だぜ」

そう言うと佐助は強く俺を抱き締めた。
珍しく震える背を抱き返すと佐助に頬を包まれそのまま唇を落とされる。
啄ばむように繰り返される口付け。
佐助が自ら触れて来るなど珍しい事で、嬉しかった。
もしかすると、これが今生の別れとなるかもしれない。
恐らく、佐助はそう感じ取っていたのだろう―…
それは、今まさに真になろうとしていた。



交わした誓いも守れない。
本当に不甲斐の無い事だ。嗚呼、こんな形では終われない。
魂だけがそうそう叫びをあげ、動き出そうとするが最早限界だった。

「お館様、佐助―…」

大切な人の名を呼んだのを最後に、意識が遠くへと離れて行った。




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第一話 堕天使


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「酷ぇ有様だな、こりゃ……」

政宗は珍しく顔を顰め、辺りを見回した。
一面焼け野原は免れたものの、半分程焼き尽くされた穏やかな小さな集落。

其処にある死体の山が思ったよりずっと少ないのは、
流石は戦神覇王の武田信玄と言ったところだろうか。
戦では無く堤防の建設に少数軍でやって来ていたというのに、
織田軍の吸収に対して被害をこの程度に抑えるとは本当に感服の限りだ。

「虎のオッサンの姿がねぇって事は、上手く逃げたようだな」
「斥候によりますと、深手を負った事は間違いありません」
「だな。真田幸村の姿もねえ……って事は、一緒に甲斐へ帰ったのか?」
「いえ、恐らく甲斐の虎を逃す時間稼ぎの為に残った筈でしょう」
「だとしたら、死んでりゃ此処で倒れてる筈だよな」
「そうとは限りませんぞ、政宗様。真田の事、村を戦場にせぬよう、
 一旦皆で甲斐に引き返したのち、その道中で残って
 敵を迎え撃ったのかもしれません。何にせよ、甲斐を早く離れましょう
 まだ織田軍がうろついているやもしれません。今戦うのは避けた方がよいかと」
「ああ……。そうだな」

深く息を吐くと、政宗はゆっくりと馬を走らせた。


織田を倒すべく雑賀に赴いている最中、甲斐急襲の知らせを受けた。

ライバルである真田幸村の安否が気になり、
小十郎に無理を言って雑賀との商談を早く済ませて甲斐に立ち寄った。
だが、甲斐の虎が深手を負ったという事以上の結局大した情報は得られず、
一番気懸りだった男の所在は掴めなかった。


落胆の色を滲ませつつ政宗は小十郎の言う事に従い奥州へ引き返した。
その帰路、甲斐の山中で嫌な気配を感じ取った二人は馬を止め、
息をひそめて茂みに隠れて周囲を窺った。

(あれは、明智光秀と蘭丸か―…!)

自分達が通っているすぐ下の道に、白い長髪の男が怪しく目を光らせながら
何かを嗅ぎまわるように彷徨う姿があった。
その後ろからは不貞腐れた表情の森蘭丸が付いて来ている。

「まだこの辺にいる筈ですがね」
「赤いの、土砂と一緒に何処行っちまったんだよ。
 蘭丸の獲物だってのにさ。チェッ、信長様に首を持っていってやろうと思ったのに」
「蘭丸にはあの鬼は少々荷が勝ち過ぎますよ」
「うるせぇぞ光秀!蘭丸はお前と違って優秀だからな!」
「五月蠅い餓鬼だ……。ふう、気分が悪くなってきましたねぇ……」
「こう雨も酷いと見つからないな」
「そう、ですねぇ。まあ、もう死んでいるかもしれませんが……
 あれはしぶとそうですから。もう少し探して、甚振ってあげないと……」

不気味な嗤い声を上げ、ゆらゆら揺れながら明智は森を歩き回った。
蘭丸はうんざりしたような表情でそれを見ていた。
暫く茂みや木の上を見回ると、明智と蘭丸とその手下の兵たちはその場から姿を消す。
その姿が完全に見えなくなると小十郎は一息吐いた。


「見つからずに済みましたね」
「ああ。だが、一体こんな所で何を探してやがったんだ?」
「さあ、もしや―…」

嫌な予感が小十郎の脳裏をよぎった。
だが、その事はあえて口にせず急いで帰るように政宗をせっつく。
もし予感が当たっていれば、少々厄介なことになりそうだったからだ。
それに、何より織田軍と戦うには余りにも不利な状況だった。

「いつ明智に遭遇するやもしれませぬ。
 相手は多勢。此処はいち早く甲斐を去りましょう」
「ん?ああ……」


一瞬何かを逡巡した小十郎を目の端に捕えたが、何も言わずに政宗はまた馬を走らせた。
順調に帰路を歩んでいたが、何かを視止めた瞬間、
政宗はコースをそれてぬかるんだが毛を馬で駆け下りた。

「何と言う無茶を!政宗様!」

慌てて小十郎はその後を追った。
幸いにも雨の音が馬の蹄の音を消してくれている。
明智に見つかる心配は無さそうだが万が一もある。
慎重な小十郎は政宗の迂闊な行動を咎めようと彼に歩み寄った。

だが、政宗が見つけた物を見た瞬間絶句する。
嫌な予感が当たってしまったようだった。


「真田、幸村―…」

激しい雨に打たれ、崖の下の河川に横たわる
華奢な男は、政宗が探していた目的の者その人だった。

「真田幸村!!」

政宗は血相を変えて彼に駆け寄った。

「おいっ、真田っ!しっかりしな!」

河原に力無く打ち上げられた身体を抱き起こすと、政宗は軽く頬を叩いた。
だが身じろぎ一つせず、瞳は固く閉ざされたままだ。
雨と川の水に冷やされた身体からは体温が失せて酷く冷たかった。
見た目からしか言えないが、本来恐らくはもっと高い体温を
持っているだろう幸村の体温とは思えない、氷の様な温度。
ゾッと背筋を冷たさが駆け抜け、政宗は青褪めた。

腕、肩、脇腹、太腿合わせて5箇所も矢に貫かれ、
袈裟がけに真新しい裂傷が横断して血が流れ出していた。
赤い装束は泥塗れになっている。
多分今降りて来た崖の辺りから土砂崩れと共に落ちたのだろう。

「恐らく明智と蘭丸にやられたのでしょうな……
 やはり真田は虎を守る為、一人で殿軍を務めたのでしょう」

苦々しい口調で呟くように小十郎が言った。
虎は守られたかもしれないが、本人は相当の重傷だ。
このまま此処へ放置すればいずれ明智軍に見つかり倒れたまま
その首を取られるだろう。
紅蓮の鬼と呼ばれた者の末路にしてはあっけないものだ。
だが、忠義の限りを尽くす真田らしいと言われればそんな風な気もした。
大切な主を守れ、本望なのかもしれない。
ある意味似た立場にいる小十郎はふとそう思った。

(本当に惜しい男だ。強さ、志、信念。何を取っても申し分はねえ)

流石は自分の主たる男が認めるだけの事はあると思った。
真田とは牽制の為に一度刃を交えたが、
自分に本気で戦いたいと思わせるような戦ぶりだった。
政宗の命令さえなければ、本気でやり合いたいと思った位だ。
まだ若く、十分伸び代があるだけにより惜しく感じたが、
敵軍である以上どうしようもない。
ただ、彼がこのまま明智軍に見つからず、かつこの傷の中生き延びて
甲斐に帰り回復する事を祈る位しか出来ない。

「行きましょう、政宗様。 明智達が探していたのは恐らく真田でしょう。
 此処に長居するのは危険です。一刻も早く奥州へ」

幸村を抱き起こす政宗にそう声を掛け、馬の方に踵を返そうとした瞬間、
小十郎は目を疑う様な政宗の行動に瞳を見開いた。

政宗は幸村を横抱きで慎重に抱き上げた。
彼の意図が分からず唖然とする小十郎の目前で幸村を抱き、
自分の馬に向かって歩き出す。

「政宗様!?真田をどうするおつもりで?」
「奥州に連れて帰るんだよ」
「なっ!?気は確かですかっ!同盟も組まぬ敵国の、それも虎の若子と
 呼ばれる武将を自分の国に連れて帰るなど、正気の沙汰とは思えませぬ!」
「Ah?織田との戦を前に一応停戦状態だろうが」
「そうですが、正式な条約もございませんぞ」

怒ったような瞳を向け、声を荒げる小十郎に政宗は少し眉を顰めた。
小十郎の言いたい事は重々承知だ。
自分がしようとしている事の浅はかさも異常さも解っている。
だが、ここで幸村を死なせたくない。
このまま放っておいたら一生後悔すると心が叫んでいた。

(ライバルだからだ、それ以上でも以下でもねえ―…!)

自分にそう言い訳すると、小十郎を無視して幸村を抱いたまま馬へと跨った。
筋肉質な身体はよくよく見ると非常に華奢で、全く重いと思わなかった。
むしろ、その軽さに驚いたぐらいだ。
この細腕であれほどの威力を出すのだから、本当に大した男だ。

「死ぬなよ、真田幸村―…」

話し掛けるようにそう呟くと、政宗は馬を走らせる。
小十郎も慌てて馬に乗ると政宗を追い越し、前に回り込んで道を絶つ。
立ち塞がる様に行く手を阻む小十郎に、政宗は舌打ちを漏らす。
彼が言いたい事もその意図も解っていた。
だから、彼を無視してさっさと奥州まで走ってしまいたかったが、
狭い道の為追い抜く事は叶わず、政宗はしょうが無く立ち止った。

「何のつもりだ?」
「真田を連れて帰らせる訳には参りません」
「Why?何故だ、小十郎」
「真田は敵ですぞ。貴方様こそどういうおつもりですか!」
「そうカリカリすんな。折角巡り逢った宿縁だ。そう簡単に断ちたく
 ねえってだけだ。お前だってコイツを死なせるのはもったいねえだろ?」
「確かにそうは思いますが、危険を冒してまで連れてく必要は無い。
 真田を連れ帰るのは危険です。
 運よく連れ帰れたとしても、織田に手負いの真田を匿っている事が
 知れたら確実に攻め込まれますぞ。織田だけじゃない。
 彼の首を狙う武者は多い。それに部下にも動揺が走ります!」
「大丈夫だ。他国にはバレない様にするさ。
 見つかりたくねぇっていうならさっさと道を開けた方が賢明だぜ。
 オレはコイツを置いてく気はねえ。お前と闘ってでもな。
 こうしている間にも明智がこの場所を嗅ぎつけるかもしれねぇな」
「……」

我儘は今に始まった事で無く、こうなった政宗を動かすのは
かなり骨の折れる上に時間も浪費する。
盛大に溜息を洩らすと、小十郎は黙って道を開けた。

「OK!流石は小十郎だ。話が早ぇ」
「まったく、貴方というお人は。
 こんな我儘はこれきりにして下さいよ。小十郎の身にもなって頂きたい」
「OK.OK!急ぐぜ小十郎」
「はっ!」

傷ついた幸村を見た時、はっきりこの胸に燻ぶる思いに気付いた。
認めてはいけない感情。
希望のない明日を待ったってどうにもならないのに。
不条理なものだ。だが、感情ばっかりは御しきれない。
固く瞳を閉ざす幸村に視線を落とし、政宗は自嘲気味に笑った。

聡い小十郎も気付いているかもしれないが、彼は何も言わなかった。
言い争うには危険だし、ともかく帰ってからにしようという
算段なのだろう。
手負いの獣一匹、敵国に連れ去られて抵抗しても待つのは無駄死のみだ。
仮に暴れても始末出来ると小十郎は踏んだのだ。
それに恐らくだが、小十郎も幸村を死なせたくないという気持ちが
少なからずあったのだろう。幸村は人を惹き付ける光を持っている。

(とはいえ、帰ったら説教されるな―…)

そう思うとうんざりしたが、
幸村を助けたい気持ちの方が圧倒的に勝っていた。
腕の中にいる存在に柄にもなく胸が高鳴るのを感じた。

雨がより一層激しさを増す。
波乱を示す様な雨に少々気分が落ちるのを感じながら、
これ以上幸村が濡れないように腕で雨をガードしながら馬を駈った。









--あとがき----------

設定を少々。佐助と幸村は付き合ってません。
キスはした事有りますが、親愛の情としてのキスだけです。
でも、佐助は幸村が好きです。気持ちはひたすら隠してます。
幸村は気付いていません(笑)
タイトルは、戦に負けて倒れていた幸村と、
天使へ堕ちるという意味で、伊逹が幸村にフォーリンラブという
隠語になってます☆タイトルばっか凝ってます。