+++++第三話 焦燥+++++

食事を持ってくると言って政宗が退室し、取り残された幸村は瞳を閉じた。
倒れて敵の将に助けられるなどと、なんと未熟な事だろうか。
お館様が知ったらきっと大目玉を喰らうだろう。

それにしても、政宗は自分を利用するつもりで無く
何となく気まぐれで助けてくれたと言っていたが、本当にそうだろうか。
前田慶次ならともかく、政宗はそれほど甘い男ではなかった筈だ。
自分を連れて来た事によって生まれるのは弊害のみ。
織田軍に知れれば今の所目を付けられていない奥州も攻められるだろうし、
織田軍だけでなくても自分の首を狙う者は沢山いる。
そういった輩に知れれば、自分の城が襲われるかもしれない。
百害あって一利なしだ。
なのに、政宗はただ好敵手だからというだけで
よく知りもしない自分を助けてくれたと言うのだろうか。

その可能性は十二分にあり得るかもしれない。
政宗は戦が好きだし、それに懐の大きな人物である感じがある。
自分が政宗の立場ならば、戦う楽しみが減るし、何かしら縁の有る相手だから
みすみす好敵手を死なせる真似はしないから、まだ彼の気持ちは理解できる。

だが、伊達軍の軍師で竜の右目・片倉小十郎はどうだうか。
彼はそれほど甘い人物ではないように思う。
少なくとも自分の影である佐助は安々と敵を受け入れたりしないだろう。
まあ、自分が駄々を捏ねてどうしても連れて帰ると言ったら、
自分に甘い佐助の事だから「しょうがないな、旦那は」と言って許してくれる
だろうけど、やはり良い顔はしないし一度は止められるだろう。
政宗を叱咤する所を数度見ているところから、片倉は佐助より厳しい性格のようだ。
敵に対しても冷静で情に動く事もない様に思う。
その彼が、政宗が自分を連れて帰ることを甘受したなんて驚きだ。

敵を討つ事は愚か、自分で帰る事が出来なかった情けなさに悔しくなる。
政宗が助けてくれなければ、いずれは明智か蘭丸に見つかり殺されていただろう。
そういえば、佐助は手負いのお館様を連れて無事に帰れたのだろうか。
わからない。自分が置かれた状況も解らず不安ではあるが、
それ以上に大切な人達の安否が気に掛かった。

(俺だけこんな所で加護を受けてのうのうとしている訳にはいかない―…)

「くっ―…」

起き上がると全身に痛みが走った。
痛みを堪えて立ち上がると、幸村は静かに部屋を出た。
自分の屋敷と違い伊逹の米沢城には忍がおらず、抜け出すのはそれほど難しくない。
守衛に付いている顔なじみの良直の目を盗んで、木に昇って塀を飛び越えると
簡単に城の外に出る事が出来た。

「佐助、お館様……。無事でいてくれ―…!」

奥州から甲斐など忍でもない自分が徒歩で行くには遠すぎる距離だった。
だが、この時の幸村にはただ帰ることしか頭に無く、
馬を探す事さえも忘れてただ夢中で見知らぬ土地を駈けた。
体力がまだ著しく低下しており、足が縺れて幸村は地面に転げた。
碌に受け身も取れず、足首を捻ってしまった。
捻挫の痛みと全身の痛みを堪えて立ち上がろうとするが
再び無様に地面に転がった。

「うぅっ、かえら、ねば―…」

這ってでも帰るんだ。
帰郷への信念だけが激しく燃え上がるが、身体は言う事を聞かない。
悔しさに涙が零れ落ちそうになるのをそれを堪えるのが精一杯だった。

「何やってんだ、真田幸村!」

後を追って来た政宗は地面に倒れている幸村を見つけるなり
慌てて駆け寄ってきた。

「う、まさむね、どの―…」
「バカがっ、何で城を飛び出したりした!?危ねーだろっ!」
「も、しわけ、ございませぬ」
「……ったく」

政宗は幸村を抱き上げた。
自分よりも政宗の腕は随分と逞しくて太かった。
意外にも分厚い胸板に抱き寄せられて、幸村は不覚にもドキリとした。

「あ、の、政宗殿!お、お離しくだされっ」
「No!怪我だらけの身体なんだから安静にしてな。連れて帰ってやる」
「しかし、某は重うござるっ!」
「大きな声を出すなよ。怪我に響くだろ」
「うぅ、それは……」
「幸村、アンタ全然重くないぜ?むしろ軽くて驚いたくらいだ」
「か、軽いなどと……なんだか屈辱でござる……」
「Ah?別に相撲取りって訳じゃねぇし体重で勝負する訳じゃねえだろ」
「そういう問題ではございませぬ―…」
「いいから暴れんな。落っことされたくねえだろ。大人しくしてな!」

落とされてもよかったけれど、政宗の瞳に見詰められると
威圧感に気圧されて何も言えずに幸村は黙った。

(ああ、温かい―…頼りがいのあるお方だ―…)

敵だと解りながら、甘えてしまった。
一度身体を預けるともう逃げ出す気も失せてしまい、意識がまどろんだ。

「寝ちまったか。ったく、焦らせやがって」

愛おしげに華奢な身体を政宗は抱き寄せる。
そのまま抱いて政宗は城へと戻っていった。

城に帰っていくと幸村を大事そうに抱いた政宗に部下たちはギョッとした顔をしたが、
それを無視して悠々と彼は幸村を部屋に連れていった。
布団に寝かして暫くすると幸村は目を覚ました。

「結局、貴殿に迷惑を掛けただけでござったな……」
「まあ、気にすんな。別に迷惑とか思ってねえし。
 でも、何でオレの城から逃げ出そうとした?理由ぐらい聞かせな」
「それは……」
「オレが信用できないか?」
「そのような事はございませぬ!ただ、不安なのです」
「不安?」
「はい。佐助やお館様が無事か。武田の皆は無事なのか―…」
「Ah、それで抜け出たってわけか。今ウチの斥候が情報収集してっから待ってな」
「……かたじけない」
「ま、アンタは早く傷を治すことだけを考えな。腹減っただろ?飯にしようぜ」
「はい」

政宗は膳を持ってこさせると幸村の前に置いた。
膳の上に乗った土鍋の蓋を取ると白い湯気がふわりと立ち昇り、出汁と味噌の香りが漂う。

「仙台味噌を使ったみそ煮込みうどんだ。
 小十郎の作った葱や大根がたっぷり入ってて美味いぜ。残すなよ」
「ありがとうございます。頂きます」
「おう」

平打ちの麺を使った味噌煮込みうどんはとても美味しい味だった。
小十郎が作ったという野菜もジューシーで甘味が強く、とても良い味だ。
きっと佐助が食べたら、良い素材の野菜だと喜ぶだろう。

(佐助、無事だといいのだが―…)

ふと脳裏に過ぎる不安を掻き消すことが出来ず、胸が痛む。
途端、胸が痞えた気がした。
だが、せっかく出されたものを残しては悪いと幸村はうどんを全て平らげる。
政宗がそんな彼を心配そうに見詰めていたが、
今の幸村には政宗の視線に気付く余裕などありはしなかった。

「ご馳走様でした。とても美味しゅうございましたとお伝えください」
「OK。小十郎の奴、喜ぶと思うぜ」

空になった膳を廊下へ出すと、政宗は再び幸村の枕元に座った。

「Hey、少し話をしてもいいか?真田幸村」
「はい」
「アンタさ、好きな奴とか居んのか?」
「え?」

やや真剣な面持ちで話がしたいなどというから、戦や時世の話かと思って
いた幸村は、唐突な質問に驚きを隠せなかった。
大きな目をきょとんとさせて見詰め返して来た幸村に、政宗はドキリとする。
無意識の上目遣いに心を掻き乱され、思わず手が伸びそうになるのを
堪えながら平静を装って政宗は続けた。

「だから、好きな奴だ。アンタが大事だって思う奴のことだ」
「ああ、それなれば、お館様や佐助、真田隊や武田の者達はみな好きにござる」
「Ah〜、いや、そうじゃなくってよ……」
「そうじゃない?そう申しますと?」
「質問を変えるぜ。アンタはモテそうだし付き合っている奴はいるのか?」
「モテる?とは何かの戦術で?」
「……いや」

(――マジかよ。こいつ、ピュアなのか?)

武田信玄の寵愛を受ける若き虎。
てっきりあの虎のおっさんのお手付きかと思っていたがそうではないのだろうか?
まさかと思いつつ、政宗は直接的な質問を投げかける。

「真田、アンタ、キスってした事あるか?」
「きす?きすって何でござるか?」
「あ〜、キスっつーのは、あれだ、接吻だ」
「ななな、せ、せ、接吻!?は、破廉恥であるぞっ!!!!」

顔を真っ赤にして狼狽して叫ぶ幸村に、政宗は額に手を当てて空を仰いだ。
これは手古摺りそうだ。
キスと口にしただけで破廉恥だと叫ぶような奴を相手に
いったいどう事に運べと言うのだろうか。
とんだ国宝級の純粋さは好感度を感じるが、同時に手を焼きそうだとも思った。

「女と接吻もしたことねぇのか?」
「女子など、まだ、某には早うございます!」
「おいおい、元服済ましてんだから早いってこたぁねえだろ。
 本当に接吻したこともねぇのかよ?」
「したことはありませ……」

否定しようと思っていたが、ふと頭にさっき別れる間際に不意に
佐助が唇を重ねてきた事を思い出した。
小鳥同士の様な唇をなんども浅く重ね合わすだけの接吻だったし、
男同士だし、ただの親愛を示す行動かもしれないが、
あれも接吻したことの内に入るのだろうか。

言葉を途中で呑み込んだ幸村に、政宗は少し瞳を鋭くした。

「したこと、あんのか?誰とだ?」
「いえ、その、佐助が別れる前に、突然―…。あれは、接吻といえるのか……」

言い淀み、幸村はそっと自分の唇に触れた。
まるであの忍に焦がれている様に思えて、その仕草に政宗は酷く苛立った気がした。
突然立ち上がると、政宗は幸村に背を向けて部屋を出た。

「もういい。悪かったな。ゆっくり寝な」

そう告げると襖を閉めて足早に幸村の部屋を去った。



なんとなく面白くなかった。
幸村が他の、しかも女でなく男とキスした経験があると言う事に胸がモヤモヤした。

(Ha!たかがキスくれーで焦るなんて、ほんと、らしくねぇな)

部屋に戻ってキセルに火を点けると紫煙を燻らせた。
立ち昇って消える煙を見詰め、政宗は一人深く溜め息を漏らした。











--あとがき----------

煙草は1596〜1615年の間に日本に持ち込まれたらしいです。
一応、伊逹が生きていた間には入って来てるので、
煙草を吸ってても可笑しくないと思って最後のシーンを書きました(笑)
ただ、キセルは恐らく伊逹が生きている間にはなかったと思います(苦笑)
しかし、ダテサナは中々進展しませんね。
伊逹は佐助と違ってヘタレではないですが、
好きな子には案外紳士だといいなと思ってるので進展しません(爆)
でも、次回は伊達は狼になりますので!