+++++第四話 炎に触れる+++++


信玄への報告内容は芳しいものではなかった。
相変わらず、若き虎・真田幸村の行方は知れず、あの豪雨の所為か目撃の証言すらない。
織田軍も深手を負ったであろう幸村を探し回っているため、
武将は勿論のこと、忍隊も動き回るのに制限を要される状況だ。
唯一救いなのは、真田幸村の骸が見つかっていない事だ。

「旦那―…、何処行っちまったんだよ」

必ず生きて戻ると約束したのに、幸村はまだ戻らない。
嘘を吐くのが嫌いで、律儀な彼はどんなに小さな約束だろうと破る事はしなかった。
その幸村が、今、初めて約束を違えようとしている。

(よりによって、一番守って欲しい約束を破るなんて酷いぜ―…)

ふと嫌な予感がして、今まで自重して来た壁を破って唇に唇を重ねた。
思った以上に柔らかな唇。
重ねた瞬間、互いの命すら危ない状況だと言うのに甘い幸福感に満たされた。
本当に、生きている幸せを感じた。
あの接吻が最期だなんて嫌だ。もっと、触れたい。
いや、触れたり出来なくていい。もっと、ずっとずっと傍に居たい。

失くした者の大きさに佐助は初めて恐怖に似た感情を抱いた。
自分の命が危機に晒されようと、どんなに残酷で恐ろしい敵に遭遇しようとも
感じなかった感情だ。

(旦那、旦那―…。アンタが居ない世界はまるで暗闇の底だよ―…)

幸村が出掛ける前に来ていた着物をギュッと握り締め、顔を埋めた。
仄かに香る残り香が胸に詰まり、余計に苦しくなった気がした。

時間を見つけては探しに行くが一向に幸村の消息は掴めない。
焦りと不安だけが佐助の胸に塵と積る。
憎らしいくらいに晴れた空を仰ぎ、佐助は息苦しさに瞳を閉じた。






斥候が戻り、伊達勢にとっては微妙な情報だが幸村にとっては朗報がもたらされた。
幸村が明智と蘭丸を喰いとめたお陰か、武田軍には死傷者は殆どなく、
彼がもっとも心配する信玄と佐助も怪我無く無事だという事だ。

「アンタの心配する忍も、虎のおっさんも無事だって話だ」
「真にございますか!よかった……佐助、お館様―…」

瞳を潤ませ、心の底から喜びを示す幸村に政宗まで嬉しくなる。
同時に、部下でしかも忍の癖に其れほどまでに思われる猿飛佐助に対して嫉妬心が募った。
師と仰ぎ、父親の様に慕う信玄はともかく、
ただの一部下で武将でもない、しかも年頃の近い男を幸村が大事に思っているのは
面白くない事この上無い。
だが、流石に今この場で幸村の喜びに水を差すのは気が引けて
政宗は口を突いて出そうになった言葉と感情を呑み込んだ。
小さな嫉妬心が心の底に淀んで積もっていく。

(このオレが嫉妬か、チッ、らしくねぇな―…)

溜め息を吐く政宗に気付くと、幸村はハッと慌てて姿勢を正して座りなおした。
表情を引き締めて深く頭を下げると幸村は政宗に礼を述べる。

「本当にありがとうございます政宗殿!
 怪我の手当てをして匿って頂くだけでは無く、情報まで頂き、
 恐縮の至りにござる。本当になんとお礼を申し上げたらよいのやら。
 それに、佐助やお館様の無事を知った嬉しさのあまり取り乱してしまい、
 大変お見苦しい所をお見せ申した。重ね重ねもうしわけ―…」
「あ〜、もういい。それ以上はやめな」

放っておいたら半刻は謝り倒してきそうなので政宗は途中で幸村の謝罪を遮った。
言葉を途中で止められた幸村はビクリと肩を震わせた。
何か失礼を言ったのかと慌ててまた喋り出そうとする幸村の
唇に人差し指を当て、政宗は柔らかい表情を浮かべる。

「shut up!礼も謝罪ももう十分だぜ。
 オレも長篠で撃たれた時にアンタらに世話になったしな。
 これで貸し借り無しだ。you see?」
「感謝致します。政宗殿」
「OK.もうこれ以上は気にすんなよ。
 怪我が治るまではきっちり面倒見てやるからな。
 武田軍は心配してるだろうが、オレ達伊達軍が下手に接触するのは
 アンタが此処に居ることを広めかねねぇから控えた方がいい。
 だから、アンタの事は知らせられねぇ。そこだけは理解しとけよ」
「はい。承知しておりまする。
 この幸村一人が居らぬことで揺るぐような武田ではござらぬ」
「そう、だといいがな……」

ふと、猿飛佐助の顔を政宗は思い出した。
飄々として、give&takeを装いながら本当の所は幸村を慕っている。
政宗にとって佐助はそう映った。
その気持ちが解る。幸村は光よりもずっと眩しい炎を持っている。
闇を抱える者はあの炎に焦がれる。そんな気がする。

政宗の含みのある言い方に幸村は小首を傾げた。その仕草がまた可愛らしい。

(shit!どれだけオレを熱くさせたら気が済むんだ、真田―…)

朴念仁そうな彼に自分の気持ちが伝わる筈も無く、
心に渦巻く欲望にも気付かず、幸村は相変わらず無意識に自分を誘惑する。
自分でも感心するくらい、政宗は欲望に耐えた。
小十郎もあの政宗さまがよく手を出さずに我慢しているものだと
関心するくらいだった。

日に日に積もる。
あの炎への情欲が、そして、佐助という忍への嫉妬心が。

日常会話を交わし、寝食を共にするうちに解ってきた。
幸村と佐助の間にある、ある種の絆が。
自分と小十郎の間に結ばれるそれに似た、堅い主従の絆。
ただ、己と小十郎の結ぶそれと異なるのは二人の間の絆は酷く危うい事だ。
脆い、という意味では無い。
むしろ別だ。互いを半身と思いあう節があり、
自分達よりも二人は対等な間柄にあるようだ。
その間には恋心が揺らめいている気がした。
どちらかが相手を好きと伝えれば、自分と小十郎なら「気持ち悪ぃ」で一蹴だが、
あの二人ならば、そこから恋愛に発展する可能性があるように思う。

今になって気付いたが、あの忍が必要以上に自分を嫌っていたのはきっと
嫉妬だったのだろう。大事な人を取られたくないという思いがあったに違いない。

(厄介だな―…)

自分の気持ちも、猿飛が幸村に抱える気持ちも厄介だ。
押し切れない情けない自分はらしくない。そう思ったら、心に火が点いた。




湯あみを終えた政宗は、ここ数日の習慣通り寝る前に幸村の部屋を訪れた。

拾って一週間も経たないが、幸村の怪我は順調に回復して、
もう動き回っても平気な位だ。
少しでも自分に出来る事が有ればと、掃除や家事を手伝いに回る幸村の
姿を見掛ける度に、そろそろ別れが近付いていると予感して
切なさに胸が小さく疼いていた。

ノックをすると、返事を待たずに政宗は彼の部屋に入った。
ぼんやりして気付かなかったのか、幸村は自分に背を向けたまま窓の外を眺めていた。
窓の外を見詰める瞳には郷愁が揺らいでいる。
自分と同じ奥州に居るけど、心は此処に無い。甲斐へと想いを馳せているのだろう。
それが、政宗には腹立たしかった。
黙って頼りなさげな背中を見詰めていると、
視線に気付いたのか幸村が「あっ」と小さく声を上げて振り返った。

「すみませぬ、政宗殿。ぼんやりしておりました」
「いや、かまわねぇ。邪魔するぜ」
「はい」

布団の上に姿勢を正して座る幸村と、向かい合う様にして政宗は胡坐を掻いた。

「奥州はどうだ?いい場所だろ」
「はい。城の者は皆生き生きしていて、気の良い方々ばかりです」
「まあな。荒くれが多いが粋な連中が多いんだ」
「敵というのに、某にも皆、親切にしてくれます」
「それはアンタの人徳ってヤツだ。気に入ってんだよ。みんなアンタの事を」
「人徳など、某はまだまだ未熟者です」
「んなこたぁねぇよ。アンタには人を惹きつけるモノがある。you see?」
「そうあれたら、とても光栄にございます」

幸村は照れたように瞳を伏せた。
その奥ゆかしさも何もかもが愛おしく思えた。
頭を抱き寄せて、くしゃくしゃと撫でまわしてやりたい衝動に駆られる。
手を伸ばし掛けたが、ぎゅっと握り拳をして政宗は衝動を堪えた。
二人の間になんとなく沈黙が流れる。
それは居心地悪いものではなかったが、政宗は妙に落ち着かない気分だった。
一方幸村は伏せていた瞳を上げ、何気なく窓の外へ視線を流した。
また、その瞳には切なげな淋しさが浮かんでいた。

「そんなに、甲斐に帰りたいか?」

無機質な声で呟いた政宗に幸村はハッとして政宗の方に向き直った。
青みがかった薄闇色の瞳をじっと見詰めたのち、
自分の気持ちを偽ること無く、幸村は有りのままの心を口にする。

「はい。やはり、某は一刻も早く帰ってお館様の役に立ちたいのです」
「ホントに忠犬なんだな。此処は、嫌いか?」
「いえ、滅相もございませぬ!奥州は良い国ですし、皆、親切です。
 でも、やはり某は甲斐が好きです。お館様や佐助のいる甲斐が好きなのです」

まるで、その言葉は佐助が好きだと言う告白の様に取れた。
そう思った瞬間、身体が動いていた。

政宗は細い手首を掴み、幸村を布団へと押し倒した。
突然のことに驚き、幸村は覗うような瞳を政宗に向けた。

「まさ、むねどの―…?」
「なあ、アンタ、この間自分に出来る事があったら言ってくれって言ってたよな?」
「あ、はい。某に出来る事があれば申し付けて下さい。
 お世話になっているお礼に、某に出来る事なら何でも致します故」

幸村のその言葉に、政宗はにやりと口の端を吊り上げた。

「じゃあ、伽をしてもらおうか……」
「え―…?」
「意味ぐらい、解るだろ?」
「いえ、その―…」

答えを聞く間もなく、政宗は自分の唇で幸村の唇を塞いだ。
緋色がかった薄茶の瞳が大きく見開かれた。
瞳を閉じること無くじっと焦点が合わない程の至近距離で自分を見詰める幸村を
政宗もまたじっと見詰め返した。蒼と紅が交錯する。
驚いて口を開こうとした隙を見計らって、政宗は舌を幸村の口腔に滑り込ませた。

「まさっ……んんっ!」

熱い小さな舌を絡め取り、吸い上げて愛撫する。
柔らかな唇を味わう様に食む。
幸村の唇は今までキスした誰よりも極上で、甘く蕩けそうだった。


一度火がついたら、もう燃え尽きるまで消えはしなかった。
政宗は慣れない幸村を顧みる事も無く、思うままに深い口付けを繰り返した。

(嗚呼、あとはもう、己の獣に従うのみだ―…)

御自重めされよ。
一瞬脳裏で響いた小十郎のいつもの小言は、直ぐに欲望に掻き消された。
触れた炎は熱く、もう、火遊びによる火傷では済みそうになかった。


青白く月明かりが降り注ぐ室内で、
怯えた羊と炎に囚われた狼の影が重なった―…。








--あとがき----------

破廉恥は次回までお預けになりました(苦笑)
幸村は伽の意味なんてきっと知らないと思います。
政宗は甲斐の虎か佐助のお手付きと思ってます。
佐助も政宗も共通して、独占欲が強くて嫉妬深いです。
互いの心に自分の闇を見てしまうので、二人は嫌いあってる気がします。