+++++第六話 遠ざかる歌+++++


待ち望んだ情報が漸く舞い込んで来た。
全国四方に散っていた部下の内、北上した部下が幸村らしき男を
目撃した情報を手にして戻ってきたのだ。
事細かにそれを聞くと、佐助は足早に信玄の部屋へと向かった。

「お館様、旦那の居場所が掴めました」
「真か佐助!幸村は何処じゃ?無事なのか!?」
「はっきりとは解りませんが恐らく無事だと思います」
「それはどういう事じゃ?」
「それが、旦那を奥州の独眼竜が連れて行かれた様でして……」
「何と、まさか、独眼竜が幸村を連れて行こうとは……ふむ」

顎の下に手を当て、信玄は眉間に少し皺を寄せた。
何かを考えている様な表情だ。

「なるほど、のう。だったら命の心配はあるまいな」
「そう、ですかね……」
「うむ。独眼竜は幸村を大層気に入っておった。
 つまらぬ殺し方をしてはあ奴の楽しみも減ると言うものじゃ。
 怪我をしている幸村を見て、恐らく死なすまいと連れ帰ったのじゃろう。
 好敵手を死なせては張り合いがないからのう」
「……好敵手か。本当に、それだけでしょうかね……」

信玄の言葉に、佐助はポツリと暗い声で呟いた。
眉をひそめ、信玄は怪訝な顔つきで佐助の方に目を遣る。

「と、申すと?他に何かあるのか?佐助よ」
「あ、いえ。何もありません。居場所が解った今、
 俺様が行って旦那を連れ帰ってきます。すぐに、出立するので!」
「待て、佐助。そう簡単に返してもらえると思うか?」
「……解りません。竜の右目もいる事ですし、交渉に使われるかもしれない」
「うむ。ワシが独眼竜の立場ならそうするな」
「ですね。でも、行かずにはどうしようもない。
 だからこそ、忍である俺様が行って様子を確かめて来ます」
「そうじゃな。任せたぞ佐助」
「はっ!」

返事をするや否や佐助は霧の様に消えた。
その表情には焦りと不安が入り混じっていた。
幸村にではなく、自分にまで感情を晒すなど普段の佐助らしくない。
幸村を案じるがあまりだろう。

(まったく、随分と仲の良い主従に育ったものじゃのう)

笑っている場合では無いと知りつつ、信玄は思わず笑みを漏らす。
佐助の心配は度を過ぎてはいるが、信玄も心配であることには変わりない。
命の保証は大丈夫だし、独眼竜がそれほどセコイ交渉に幸村を使うつもりだとは
思えない。だが、彼の幸村への執着は異常だ。
ただの好敵手……それでは言い切れないただならぬ物を感じる。
自分にとっての上杉謙信か、あるいはそれ以上だ。
焦がれる。そんな感じがした。
無理ない。あの炎は美しく目映い。焦がれずにはいられない。

(何にせよ、戻って来い幸村―…)

奥州に向かっていった佐助に願いを託し、信玄は静かに瞳を閉じた。




ひんやりとした空気が部屋を包んでいる。
だが、寒くはない。腕の中にいる熱の塊のような体温の所為だろう。

柔らかな髪に鼻先を埋めると、ふっと甘い香りが漂う。
穏やかな気持ちに包まれ、政宗は瞳を開けた。
まだ射し始めたばかりの窓から注ぐ朝陽が眩しい。
いつもは起こされるまで寝坊する事が多いが、今日はやけにすっきりと目覚められた。
何か、予感めいたものが過ぎった。
何の予感か?悪い物か良い物かすらわからない――…
衝動的に幸村をぎゅっと抱締める。
この温もりが、柔らかさが酷く愛おしかった。

「幸村……」

そっと名前を呼ぶ。それに呼応するかのように長い睫毛が震えた。

「う……」

身体を包む心地良い体温。
無意識にその温もりに頬を摺り寄せると、幸村はゆっくり瞳を開けた。

「ん……な、あっ!?」

自分が頬を寄せていたのが着物が肌蹴て素肌の政宗の胸板だったと知り、
幸村はボッと顔を赤面させて立ち上がろうとした。
だが、脚の付け根と腰の鈍い痛みにずるりと再びその胸の中に崩れ落ちる。

「く、あ……」
「無理すんなよ。身体、辛ぇだろうが」
「あ、ま、さむねどの……。それが、しは……」

昨日の情事を思い出し、頬を染めてどう接していいか戸惑い、
うろたえる幸村に政宗は優しく微笑みかけた。

「Good morning,幸村」

目映い朝陽に照らされる美しい微笑。
普段はギラギラした野性味ある政宗の穏やかな表情に幸村は思わずドキリとした。

(な、馬鹿な―……。今、俺は何を考えた―…?)

恥かしくて顔を反らした幸村の髪を、さらりと政宗が撫でる。
佐助とは違うが、同じ様に優しい手付きに幸村は身体の力を抜いた。

(何故、優しくされるのだろう?
 わからない。凌辱したかったのではなかったのだろうか―…)

手荒に扱われると思っていたが、昨晩の政宗も今の政宗も酷く優しい。
あの行為の意味はなんだったのかが解らない。
屈辱を与える為、情けなくも敵将に助けられた自分の事を
惨めに陥める為にあのように女子扱いを受けたのだと思っていたが、
政宗の態度を見ているとそれは違う気がする。
――いや、理由はどうだっていい。
自分がみっともない姿を見せたことに変わりはない。
女子の様に高い悲鳴に似た喘ぎを漏らし、意識を失った。
その上、つい今しがたはその相手の顔を見てときめいたりした。
こんな事、佐助や信玄に知られたら恥で死ねるだろう。

「あ、あの、離して下され、政宗殿」
「いいじゃねぇか。もう少しこうしていても」
「何故?某を抱締めても良い事など一つもございませぬぞ」
「Why?メリットなら幾つでも挙げられるぜ?
 暖かくて柔らかくて抱き心地がいい。不安ならもっと挙げてやるぜ?」
「な、は、破廉恥でござる……っ」
「この程度がか?アンタの基準が良く解らねぇ。ともかくもう少しこうしてな」

あれやこれやと理も何も無い言葉で返されて、結局押し通される。
強引な方だ―…
そう言い掛けた言葉を呑みこみ、心地良さに身を委ねるよう
幸村は大人しくその腕と胸の中に抱締められていた。
結局、小十郎が来るまで解放してもらえなかった。

「いい加減に起きなさい政宗様!」
「shit!ったく、うるせぇな、わーってるよ」
「まったく、何時までも寝てないでさっさと顔を洗って来なさい!」
「わーってるって言ってんだろ。ったく、小十郎、お前また皺が増えるぜ」
「失礼なことをおっしゃいますな!まったく、誰のせいだとお思いか」
「Sorry,悪かったよ。身支度して来るぜ」

幸村と小十郎に手を振ると、政宗は部屋を退室した。
小十郎と政宗の様子に幸村の唇から笑みが漏れる。

(まるで、親子か兄弟の様だ。俺と佐助もああなのだろうか―…)

佐助も自分が寝坊すると、小十郎の様に般若の顔ではないが、
ちょっと怒ったような顔をして、“しょうがないな”と言いながら
起こしに来てくれる。
窘める様な表情の中に、嬉々とした感情が覗くのがとても好きだ。
佐助が自分にかまけることを喜んでいるのを知る度、
佐助の感情を垣間見た気がしてとても幸せな気分になる。

クスクスと嬉しそうに笑う幸村に小十郎は首を捻る。

「なんだ真田、何が可笑しい?」
「あ、いえ。失礼致した……ただ、まるで己と佐助を見ているようだと」
「猿飛、か。あいつも苦労しているようだな」
「某は未熟者故、よく佐助の手を焼いてます」
「ふっ、てめーなんざウチの政宗様に比べれば可愛いもんだ」

溜め息を吐きながらの小十郎の台詞に、また幸村は声を上げて笑う。
政宗のしたことで酷く傷付いているのではないかと心配していたが、
幸村が無邪気に笑っていたので小十郎は少しホッとした。

「真田……、その、政宗様が悪かったな」
「……いえ。大丈夫でござる。気にする事はございませぬ」
「そうか。すまねぇな」
「いいえ」
「猿飛の事、甲斐の虎の事が気になるか?」
「ええ。でも、某が甲斐と接触するのは奥州に危険を及ぼします。
 怪我が回復して、自分の足で帰れるまでは辛抱せねば」

自分に言い聞かせる様だった。
複雑な視線を幸村に投げ掛けると、細い肩を優しく叩いて小十郎は部屋を出た。
一人になった幸村は口を開いた。
その声から、郷愁を漂わせる旋律が流れる。
澄んだ悲しげな音色が風に乗って運ばれる。
冷たい水で顔を洗いながら歌を耳にした政宗は、切なさに眉を顰めた。
そしてもう一人、その歌を聞いた男もまた、切なさに胸を痛めた。



真昼の日差しに紛れ、一つの影が舞い降りる。
気配と殺気を消し、だだっ広い屋敷の一角にそっと身を降ろした。

(旦那―…、すぐに助けてあげるからね)

ぎゅっと拳を握り、滲みそうになる感情を殺して佐助は敷内を探る。
屋根を這い、幸村の姿を探した。
朝餉を終えた彼は、膳を下げる手伝いをしている。
時折笑みが零れる所を見ると、そう酷い目に遭っているわけではなさそうだった。
一先ずその事に安堵したのも束の間、
着物の間からふと覗いた白い肌に残された刻印に、一気に殺意が沸く。

(まさか、あの痕―…、くそっ、あの蛇野郎!!)

握った拳から血が流れる。
憎悪、嫉妬、そして何よりも悔しさが煮え湯となり身体中を苛む。
自分にもっと力があったなら、幸村はこんな所に囚われる事も
無かっただろう―…。
もっと、力が欲しい。せめて、大事な人だけでも守れるように。

荒れ狂う感情を鎮める様に音も無く息を吸い込んだ。
頭の中に先刻聞いた懐かしい旋律が蘇った。
流れるメロディに小波立っていた心が静まる。
大丈夫。上手くやれる。自分は主の認める日本一の忍なのだから。

拳を緩めると、屋根裏から幸村の後を静かに追った。
一人、それが無理ならせめて少数になるのを静かにジッと待ち続けた。


その気は、存外早くに訪れた。

片付けを終えた幸村は、奥の茶室に向かった。
其処に居たのは領主で有る政宗ただ一人。

「よう、よく来たな真田」
「はい」
「悪ぃな。怪我もあるし本当は寝てて貰った方がいいんだろうけど、
 どうしてもアンタと茶の湯がやりたかったんだ。
 ま、本当はオレとしちゃ酒が良かったんだが、流石に傷に触るだろ」
「酒盛りは、また別の気にお願い致しまする」
「だな。その機会が必ずしもあるとは限らねぇが楽しみにしてるぜ」

少し寂しげに微笑むと政宗は茶を入れる。
手ずから、幸村の為だけに―…
それは少なからず佐助を複雑な気分にした。
だが、今は感情に流されている場合じゃないと、心を闇に沈める。

丁寧に茶を立て、幸村にそっと器を差し出す。
幸村が茶を受け取ると、用意しておいた茶菓子の羊羹を切り分ける。
その手を突然止め、ナイフ形の楊枝を天井に向かって投げて声を上げた。

「出てきな忍!居るんだろう?」

ギラリとした瞳を向け、天井に語りかける政宗と同じ様に、
幸村も天井に視線を投げた。
間もなく、音も無く天井の板が外されて一人の忍が和室に降り立った。
その姿を映した幸村の瞳が大きく揺れた。
それを瞳の端に映していた政宗が少し表情を曇らせる。

「人ん家の、それも天井から入って来るなんざ行儀が悪いぜ?」
「これは失礼。じゃあ、正面から行ったらよかったかもね。
 にしても、なんで俺様が居るってわかったの?
 殺気も気配も完全に頃してた筈だけどね。自信無くしちゃうね」
「Ha!落胆する事はねぇぜ?匂いと音は勿論、
 気配や殺気すらも微塵も無かったと言っていいくらいだ。
 だが、一瞬だけしたのさ。アンタが隠す感情がうっすらとだがな」
「ふぅん、感情、ね」

萌黄色の瞳と青灰色の瞳が交錯する。
殺気めいた物騒な気配が漂い、幸村はおろおろとした。
だが、言葉を挟む事が出来ずに二人の顔を不安げに交互に見詰める。
そんな幸村の肩を抱き寄せ、政宗は不敵な笑みを浮かべた。

「アンタの要件は解ってるぜ、忍。真田幸村だろ?」
「へぇ。解ってるなら話は早いね。で、どうする?俺様とここでやり合う?」
「それも、いいかもな」
「ふぅん。ね、何でアンタは真田の旦那を連れ帰ったんだ?
 利用するためか?だったら容赦しないよ。俺様が旦那を連れ帰る!」
「答えはNo!だ。オレが真田を拾ったのは気紛れだ。
 そしてアンタと今此処で剣を交える気はねぇよ。忍と戦ったって時間の無駄だ」
「あっそう」
「ちゃんと返してやるよ。ハナからそのつもりだ」
「そう……意外と紳士なんだね。ま、目的は果たしたって奴かい?」

意味ありげに、幸村の首筋辺りに佐助は視線を流した。
幸村にはその意味が解らなかったが、政宗は口の端を吊り上げて笑う。

「そんな所だ。ただで返してやるんだ。有りがたいと思いな」
「ま、そういう事にしておくよ。でも、次こんな真似をしたら只じゃおかないぜ」
「そればっかは忍風情のテメェが口出す事じゃねぇな」
「……そうかもね」

そっと幸村から手を離す。
戸惑いがちな瞳で見上げてきた幸村にふわりと笑みを浮かべた。

「お別れだな、真田幸村」
「政宗、殿……」

隻眼に浮かべられた笑みには僅かに哀愁めいたものが漂った。
呼応する様に薄茶の瞳にも揺らぎが映った。

脳裏に幸村の綺麗な澄んだ声で紡がれた詩が蘇る。
初めて聞いた曲だったが、何処か懐かしい。そう感じさせるメロディ。
その歌詞に重ねた様にそっと政宗の手が伸びる。
柔らかな頬に触れると、佐助が割り込む間もなくそっと柔らかな頬にキスが贈られた。









--あとがき----------

ただただ破廉恥な話です(笑)
もっと鬼畜な政宗さまも書きたいけど、今回は甘めで。
幸村が処女だと知ったので、政宗は優しく出来ました。
これで佐助やお館様の手付きだったら間違いなく手荒になってます。