-修羅 前編-






かび臭さと饐えた臭いが充満した冷たい石の牢獄。
粗末な服を着せられた囚人が数人詰め込まれている牢の一角、
ただ一人洋服を纏い、そこそこ広い牢に一人で入れられた男が居た。

他の囚人は手枷をされている者や、拘束がない者が殆どだが、
その小柄な男の身体には、異常に厳重に麻縄が腕や体に絡みついている。
後ろ手に縛り上げられた男の服には夥しい血と、土がついていた。

柔らかくさらりとした黒い髪、左目には包帯が巻かれている。
隻眼の瞳は薄緑色で、鋭い眼光を放っていた。

男の名は高杉晋助。鬼兵隊の総督たる男だ。



高杉の前の牢屋にいる、いかつい男がうなだれた声を出す。

「高杉さん。すいません、俺たちの所為でこんな―…」
「気にすんな。俺が弱かったのさ」
「違います。高杉さんは殺されそうになった俺たちをあの男から庇って。
  あの男、いったい何者なのか……」
「奴はぁ、天の使いだ。あれは俺の得物だ。てめーらにゃ関係ねえ」

高杉に瞳に鋭い殺意が漲る。
悪辣とした表情に正面の男は味方にも関わらず震えた。


表向きには攘夷戦争だった。
だが、高杉にとってはもはや松陽の弔い合戦だった。

皆それぞれの私怨や理由を抱え、決死の覚悟で臨んだ戦だったが、
他の牢屋に捕えられた仲間を見ていると、高杉は僅かだが後悔した。
自分一人だけ散るならいいが、仲間に死なれるのはもう嫌だった。

同じ理由でずいぶん前に坂本辰馬が、
そして最近では銀時が自分と袂を別った。

去っていく銀時の顔が、今でもはっきりと脳裏に蘇る。

彼は牢に捕えられた自分を見たらなんと思うだろうか。
馬鹿だと謗るだろうか、知らないふりをするだろうか。
恐らくは甘ちゃんなヤツのことだから、助けに来るかもしれない。

「でも高杉さん、奴ら、なんでオレらを殺さず捕えたんでしょうね?」

ぼんやり考え事をしていた高杉に、仲間の男が通路を隔てて問いかける。

高杉はその答えのおおよそ検討がついていた。

総督である自分は公開処刑で見せしめにされるのだろう。
他の奴らもそうかもしれない。だが、どうにも嫌な予感がした。
捕まったのは自分を含め、六名。
数人は仲間の居場所を吐かせるために拷問を受けるだろう。

だが、果たしてこんなにも人数が必要なのだろうか。
国とは面倒な組織で、表向きには相手が犯罪者という場合でも
止むおえない場合を除いては、なるべく生きて捕え、
それからしかるべき措置をとるものだ。

それもあくまで建前に過ぎない。
実際には直接戦に出ていない攘夷浪士さえも、
粛清の名のもと、有無を言わさず切り捨てられてきた。
その上、今回は間違いなく止むおえない場合にあたる。

なのに、なぜわざわざ危険を犯して名も知れない下級兵まで捕えたか。
殺してしまった方が安全だし、圧倒的に早い。


自分が拷問を受けるのは構わない。晒し首にされるのも然りだ。

だが、今目の前にいる仲間が目の前で拷問されたら耐えられるだろうか。
ただでさえ、すでに張りつめきった精神は切れそうだった。
復讐の二文字を胸に、なんとか思いとどまっている状態だ。


(いや、堪えるしかない。みんな、死は覚悟している。
 総督の俺が先に崩壊するなんざ、許されないんだ。毅然としろ)
 

揺らぎかけた精神を安定させるよう、深く息を吸う。

みんな、自分の強さを信じてついてきてくれた。
最後まで、失望させることがあってはいけないと、高杉は気を引き締める。


「俺達が捕えられたのは拷問して仲間の在処を吐かせるためだ。
 いいか、てめぇら。何があっても口を割るな。仲間を守って死ね」

高杉の答えは冷酷な言葉だった。
だが、仲間たちは心得たというように、みな笑って頷いた。





暫くすると、牢に足音を鳴らして人が近付いてきた。五人ほどいる。

その中の一人は幕府の長、馬鹿げた攘夷志士狩りの原因をつくった徳川定々だ。
直接手を下したにではないにせよ、師である松陽の命を奪った、憎き仇。
そしてその隣には、白髪の長身の男が立っていた。
山伏に似た装束を身に纏い、袈裟懸けをした男。天導衆が一人、朧。

高杉の瞳にぎらりと憎悪が光る。

「これが今回捕えた攘夷志士かね、朧」
「いかにもそうでございます」
「おや、一人離されている男がいるね。奴も志士だろう?」
「はい。彼は松陽が弟子にして鬼兵隊の総督、高杉晋助です」
「松陽。はて、誰だったかね?高杉、か。ほう。まだ若造じゃないか」

ジロジロと嘗め回すような視線に。高杉は吐き気を覚えた。
醜い狸のような男。見るに堪えなかった。
だが、視線を逸らすのは負けだと思い、静かに彼を睨み据える。

「ご命令通り彼らを捕えましたが、如何いたしましょうか?」
「朧、この虫けらどもには、仲間の在処を吐かせてくれ」
「ええ、では、誰からいたしましょうか」
「総督である高杉以外を、奴の前で拷問にかけるんだ。
 拷問の内容は私が指示書を作った。これを見てくれればいい。
 朧は手を出さんでも、私の部下にさせなさい。但し、見張りとしてついてくれ」

にたりと汚らわしい笑みを浮かべ、定々が笑う。
書を手渡された朧は淡々と内容を確認し、「御意のままに」と呟いた。


定々が去っていき、朧と、定々の部下だけが残った。

「おら、こいクズ共!こっちへ来い!」

怪我を負っている高杉の仲間たちは、兵士たちに追い立てられて
何処かへ連れて行かれた。
その姿が見えなくなってから、朧が高杉の牢屋を開ける。

「立て」

静かな口調で朧が命じた。だが、高杉は座り込んだまま彼を睨む。

「立てるだろう?松陽の弟子よ」
「てめぇなんざが、軽々しく先生の名前を口にするな」
「よもや、この状況でも鬼の顔をするか。さすがだな」

褒めているのか呆れているのかさえ分からない、平坦な声で朧が呟く。
朧は高杉の牢に入ると、高杉の腹に拳を叩きこんだ。

「ぐっ、はっ……」

短く呻き、高杉が床に転がる。
先ほど仲間を庇って受けた傷が開き、腹部に鮮血が滲んだ。
柔らかな前髪を乱暴に掴み、朧は高杉を引き摺って廊下を歩いた。


高杉が連れてこられたのは、地下深くの拷問部屋だった。
そこにすでに仲間の姿があった。

「さて、始めようか。総督殿」

待ち構えていた兵士が醜く唇の端を吊り上げる。
すでに後ろ手で拘束され、身体に縄を巻き付けられていたが、
朧に引っ立てられ、高杉はさらに無理やり支柱に括り付けられた。

「随分と厳重な警戒だな、朧さんよ。俺が怖いか?」

冷笑を浮かべて高杉が吐き捨てるように言った。
それに対しても朧は表情を崩すことなく、
「鬼は首だけでも動くというからな」と返した。

「鬼兵隊の頭よ、他の仲間の居場所を吐け。
 さもなくば、貴様の仲間が地獄を見る事になるぞ」
「誰が貴様ら何かに吐くかよ。殺せよ」
「吐かぬか。まあ、いい。仲間が苦しむだけだ」

朧が合図を送ると、兵士たちは一人の男に近付いた。
その手には肉切り包丁が握られている。

兵士は男に近付くと、腕の肉を包丁で削ぎ落した。
凄まじい悲鳴が辺りに響き、血の匂いが部屋を漂う。

叫び出したいのを堪え、高杉は冷静な顔でそれを見つめた。

太腿、脇腹、頬と、次から次へと肉が削ぎ落されていく。
肉を削がれた仲間の声は呻き声から泣き声が混じった絶叫に変わる。
仲間の居場所こそ吐かなかったが、
「助けてくれ」と情けなく懇願をし始めた。

流石に見るに堪えなくなり、高杉は口を開く。

「おい、もうやめろ!拷問なんざ俺にすればいいだろうが。
 顔でも、身体でも、好きな場所を切り刻めばいい」

怒りを押さえ、あくまで冷静な声で告げる高杉に、兵士の一人が寄って来た。

「確かに、刻むなら総督殿のように綺麗な男がいいな」
「だったら俺に乗り換えろよ。その刃でこの身を刻むがいいさ」
「ほう、強気だな」

舌舐めずりをしながら兵士が近付いてきた。

ごつごつした腕が、頬に触れ、首筋を撫でる。
吐き気がするほど気色悪かったが、堪えて高杉は不敵に笑んで見せた。

兵士どもの注意を全て自分に引き付ければ、
少なくとも仲間は苦しい思いをしなくて済むだろう。

「ほら、やれよ」
「せめて仲間だけは助けようと言う奴か?
 冷酷で薄情そうな顔をして、意外と仲間思いだな、高杉。
 だが、残念だな。定々様はお前以外の男に拷問するよう命じられた。
 お前は黙って、仲間が苦しむさまを見ているがいい。その美しい顔を歪めてな」

下品な顔で兵士が笑う。高杉はギリギリと歯を喰いしばった。

朧が感情の失せた目でこちらを見た。
ギロリと睨み返すと、瞳を反らさず高杉は無言で苦しむ仲間を見つめた。



高杉が見ている前で、部下だった男が次々物言わぬ肉塊へと変わっていく。

最初の一人は身体中の肉を削ぎ落され、壮絶な痛みの中失血死した。
つぎは、水をしこたま飲まされ、挙句に内蔵を破裂させて死んだ。
もう一人は煮えたぎる油に入れられ、全身の皮膚を爛れさせて焼死した。
もう一人、そして最後の一人と、全員が屍となった。


汚いやり口に吐き気がしたが、それでも高杉は堪えた。

仲間は自分との約束を守り、何も言わず、死んでいった。
自分も、胸に立てた楔を最後まで守り通そうと、そう決めていた。




牢屋に再び戻された高杉は、ぼんやりと天窓を見上げた。

混沌とした闇空には少しだけ欠けた月が浮かんでいた。

「松陽先生……」

自分以外の人がいなくなった牢屋で一人、大切な名前を呟く。
その声が虚しく、ちっぽけな部屋の中に響いた。










--あとがき----------

後編に続きます。
グロイ話でごめんなさい。
そしてかなり捏造話です。時間は松陽の首を取り返し、
銀さんと桂が離れて行った後です。
高杉が今の高杉になるまでの間の話し。