第一話 過去の楔





「政宗殿っ!」

昔とまったく同じ顔、同じ声、同じ呼び方で名前を呼ばれる。
その度に、抱締めたい衝動に駆られた。
甘く歯痒く、そして辛い感情を噛み殺して伸ばした手を握り締める。
抱締めようと伸ばした手の所在は見つからないまま、
もう何年も同じ時を過ごしてきた。

「Good morning,幸村!」

触れる代わりに手を振ると、走り寄ってきた幸村が自分の横に並んだ。
また巡り逢えた愛しい人。強く望んだ平和で穏やかな時代。
何もかもが揃っていたというのに、
前世の記憶が一歩を踏み出そうとする邪魔をしていた。
触れることは愚か、想いを告げることさえできないまま、
幼なじみの幸村は、前世で初めて出逢った時の年齢、十七歳になっていた。

(このオレが、想い一つ告げられねぇとはな……)

大胆不敵だったあの頃とくらべて、随分と小心者になったものだ。
長寿が約束されておらず、何時死んでも可笑しくない時代だったからこそ、
相手の気持ちを鑑みるなどという行為はかなぐりすてて、
傲慢ともとれるほど強引な事なんていくらでも出来た。



四百年経った現代、幸村と出逢ったのは幼稚園になってからだ。

その時はまだ自分には前世の記憶なんて無かったけれど、
初めて幸村と出逢ったその日に、衝動が込み上げてきたのは覚えている。
嬉しくて、悲しい――不思議な感覚だった。
その時から、時間を巻き戻すように徐々に戦国の記憶が甦って、
小学校に上がる頃には全てを思い出していた。

二度目に出会うのは幸村だけではない。
家臣だった小十郎は、自分が父親の会社を継いだ将来の話ではあるが、
やはり今も自分の部下だ。
前田慶次は同級生だし、長曾我部元親、毛利元就は一学年上で同じ高校だ。
そして、猿飛佐助――奴も、相変わらず幸村の傍にいる。
記憶があるのか無いのかは解らない。
だが、過去と変わらず、自分とは反りが合わずに邪魔ばかりされている。
偶然を装って、事あるごとに邪魔され続けている。
奴にも記憶がある気がしてならなかった。


他愛ない会話をしながら、幸村の横顔を盗み見た。
過去と変わらず強い光を宿した瞳を見詰めているだけで、
心臓が高鳴り、身体中の血が熱く巡る。
無防備な手に、さり気なく自分の手を伸ばした。
後もう少しで手が触れる。伸ばした指先が自分よりも小さな手に
僅かに触れた。そのまま手を握ろうとした瞬間
自分と幸村の間を影が過ぎる。

「遅くなってごめん、旦那」

伸ばした手を払いのけるように飛び込んで来たのは猿飛佐助だ。
珍しく姿が見えなかったからチャンスだと思っていたのに、
嫌なタイミングでやってきやがる。

不機嫌な瞳を向けると、奴は飄々とした笑顔を浮かべながらも、
鋭い眼光を宿した瞳を向けてきた。

“旦那に近付くな”

隠し立てすること無く、瞳には憎しみに似た感情が在り在りと揺れていた。
挨拶もせずに黙って睨み返すと、奴はフッと目を細めて言った。

「おはよう、伊逹。朝から盛ってるねぇ」
「……Ah?ずいぶんととがった挨拶じゃねぇか、猿」
「そう?俺様いたって通常運行だけど。
 それより旦那、今日の夕飯何がいい?部活はあるの?」

挨拶して来たわりには自分にはまったく興味は無いという風に、
自分から顔を背けて猿飛は幸村の方を向いて話し始めた。
こっちに向けていた顔とは正反対の優しい顔。
吐き気のする様な甘いその顔の向こうには、
甘えたような蕩ける笑顔を浮かべた、幸村の顔が見えた。

腹の底が煮え滾り、胃が締め付けられるように痛む。
見せ付ける様に猿飛は幸村の手を握った。
幸村に嫌がる素振りはなく、むしろ何処か嬉しそうにさえ見えた。

「Sorry,幸村。先に行くわ」

見ていられなくて、逃げる様に二人を追い抜いて背を向けた。
我ながら逃げているようで情けなかったけれど、
これ以上ここにいると可笑しくなりそうだった。
猿飛を殴り飛ばして、無理矢理攫いたくなる。
欲しい物は戦って奪い取ればいい。
戦国の野蛮なDNAがそう自分に囁きかけているようで怖かった。
ふとした瞬間に蘇る、血で染まった手。
戦っている時の何物にも代えがたい高揚。
好敵手を手にかけた時の激しい喪失感と、相反する独占感。
まざまざと蘇って来るそれらの感覚がたまらなく怖かった。

「政宗殿っ?どうなさった?お待ち下されっ!」
「ほっとこうよ、旦那。トイレでも行きたくなったんでしょ?」
「だ、だが佐助」
「いいから、一人にしてやりなよ」

案ずる幸村の声と妨げようとする猿飛の声が背後から聞こえてきた。
やがてその声が小さくなって行くまで
気分がざわめいて落ち着かなかった。
背中には声だけでなく、刺さるような視線を感じた。
殺気さえも混じった猿飛の視線に、気分が更にザラついた。

トイレに行きたくなったなどと、小学生みたいな理由を付けられたことが
かなり腹立たしかったけど、強ちそれは外れてないかもしれない。

あの興奮を、昂ぶりを思い出したのか、
いつのまにか制服の股間の辺りが酷く窮屈になっていた。

「Shit!何やってんだ、オレは―…」

学校の男子トイレの個室に入り猛る己に触れた。
自身に触れている間中、頭の中には乱れる幸村の姿が
エンドレスで浮かんでは消えを繰り返していた。
性の解放のはけ口にすることに罪悪感は感じなかった。
だが、ただ虚しさが募った。
出逢って何年も経つのに、いつまでも伝えられない気持ち。届かない想い。

「うっ―…くはっ……クソッ」

掌に吐き出された白い液体を眺めると、自然と溜め息が漏れた。
壁に沿ってずるずると身体を沈ませる。
汚れた手をティッシュで拭き取ると、額を抑えて呻き声を上げた。
そうしているうちに、ひたすら触れることに焦がれ、夢を見続けている自分が、
酷く滑稽で馬鹿らしく思えた。

生温いやり方はらしくない。
そう思ってはいたけれど、手に入らないと解った時に
自分がどんな事をしてでも幸村を手に入れようとするのではないかと思うと
怖くてしょうがなかった。


“政宗殿はお館様と同じ、熱き魂を持つ天下人に相応しき御人。
 されど、某が貴殿の下に付く事はあり得ませぬ。
 お館様の志を継ぎ、虎の魂を受け継いでいくのが某の役目。
 なれば、決着をつけねばなりますまい。
 貴殿と頂きにて雌雄を決するが某と貴殿の望みでございましょう”

そう言って穏やかに微笑んだ幸村の顔が脳裏を過った。
幸村の言葉を否定する材料など無くて、
自分とアイツは決着を付けるべく戦った。長時間に及ぶ壮絶な決闘だった。
その末にオレは勝ち、アイツは命を散らした。

また、それと同じことを繰り返しそうで無性に怖かった―…









--あとがき----------

学園バサラの第一話目です。
本当は突発話の予定で書く予定だったけれど、
もっといろんなことを書きたくなって長編になる予定です。
計画倒れして結局三話くらいで終わらない事を祈ってます(苦笑)
できれば慶次とか小十郎とか元親とかも出してみたいです。
主軸は佐→幸←政宗の予定ですが、どうなることやら……