第二話 シーソーゲーム





ピストルの乾いた破裂音。地面を蹴る音と風を切る音。
体育の授業は開放感があって幸村の大好きな時間だ。
何より、大好きな信玄が担当だというのが嬉しかった。

「幸村ぁっ、お主の番じゃぞ!存分に奮えよ!」
「はいっ!お館様っ!この幸村、
 疾風をも越えるつもりで全力で走る所存にございますっ!」
「その意気じゃ幸村ぁぁっ」
「お館さまぁぁっ!」
「ゆきぃむるぁっっ!」
「うぉやかたさばぁっ!」
「ハイハイも〜いいからさっさと始めてよ」
「おう、佐助!そなたも全力を出すのだぞ」
「わかってますって!手ぇ抜くと旦那が怒るからね」

すっとピストルが掲げられた。信玄が雄々しい声で「よーい」と言うのと共に、
地面に手を付いて幸村は前傾姿勢になった。
それを背後から見ていた政宗は密かににやけた表情を浮かべた。

「いいね。最高の眺めだよね。いや、絶景☆」

すぐ隣から浮わついた声が聞こえて、政宗はハッと隣を見た。
いつのまにか、だらしなく締まりのない笑みを浮かべた慶次がすぐ横に立っていた。

「Ah?何の事だよ」

自分が幸村の尻に見とれてたのがバレたのだろうかと、ドキリとした。
慶次の言う絶景が何を示すかは解っていたが、
相手の腹を探る為に敢えて、平静を装いつつ政宗は慶次に絶景が示すものを尋ねた。
慶次は相変わらずニヤけながら、政宗の問いに答える。

「幸ちゃんのクラウチングスタートだよ。いい眺めだねぇ!
 見ろよ、あの尻!ちっちゃくってプリッとしてて……まさしく桃尻だね」

同じ穴のムジナかよ。政宗は舌打ちをする。
自分が見るのはいいが、他の奴が、しかも男が幸村を凝視するのは許せない。
苛立ちが募るが、自分の幸村への気持ち悟らせまいと
感情を押し殺して呆れ声で慶次を非難する。

「あんまジロジロ人のケツ見てんじゃねーよ、前田」
「あれ、まーくんも見てたんじゃないの?」
「人聞き悪ぃな。ケツ見てたんじゃなくって、ライバルの走りを見ようと思ってただけだ。
 テメェと一緒にすんじゃねぇよ。つーかよ、
 前田、テメェ男に興味ねぇくせに何ジロジロ見てんだよ」
「ハハッ。男は嫌いなんだけどね、幸ちゃんは特別だよ。
 だって見てよあの可愛い形のお尻。触りたくなるよね〜」
「You are cryzy!触ったりしたらたぶん殺されるぜ」
「喧嘩してみるのもいいねぇ。――俺さ、好きなんだ。幸ちゃんのこと」
「つまんねぇjokeだぜ。無類の女好きがあの暑苦しい男が好き?
 Ha!せいぜい面白い玩具じゃねえのか。あんまからかってやんなよ、幸村のこと」
「違うよ。からかいなんかじゃない。俺さ、本気で惚れちゃったんだ」
「What?」

不審げな瞳を向けた政宗に、慶次は酷く真剣な顔をむけた。
刹那、ピストルの不快な音が鳴り、幸村と佐助が走り出す。
俊足の二人の対決に周囲がざわめくが、政宗にはその音が遠くに聞こえていた。
ほんの十数秒の事だが、回りの時が止まったような不快な時間だった。
慶次と見詰め合うその顔が不機嫌に歪んだ。




100mを走りきり、額に浮かんだ汗を拭いながら幸村は隣りのレーンの佐助を見た。
汗一つ流れてないが、流石に少し息が上がっていた。

「さすが佐助は速いな!全力でも勝てぬ」
「まぁね。俺様も本気だしちゃったからね。でも旦那また足速くなったんじゃない?
 俺様あとちょっとで追い付かれそうだった」
「まことかっ?」
「まことまこと」
「よし、もっと精進して次は抜くぞっ!」

気合いを入れる幸村に、佐助は優しく微笑みかけた。幸村もそれに笑顔を返す。

「旦那、汗かいてるよ。拭いたげるね」
「おう、すまぬな佐助っ!」

自分の首に掛かっているタオルで佐助は幸村の額や
首筋に流れる汗を拭ってやった。
他人の汗なんて普通は気持ち悪いものだが、佐助は少しも気にはならなかった。
幸村の汗を丁寧に拭いてやると、そのタオルでそのまま少し汗ばむ自分の顔を拭った。
鼻孔を掠める幸村の匂いに密かに佐助は目を細めた。



仲睦まじい二人の様子が視界の隅に入り、慶次を睨んでいた政宗は溜め息を吐いた。
慶次など相手にしている場合じゃない。もっと危険な奴がいる事を忘れていた。
昔もそうだ。いつも何かにつけて邪魔ばかりしてきた。
昔はそれでも忍と主人だからというハンデもあったからまだマシだった。
忍の懸想なんて赦されるはずもない。
佐助本人もそれは重々承知で、あんなに近くに居ながらも
常に自分の感情を押し殺し、一線を越えまいと必死だったようだ。
でも今は違う。身分なんてものはない。
佐助も自分も自由に幸村に想いが伝えられる。
そうなると、同じ家に住み、より長い時間を過ごせるあっちの方が有利な気がした。

政宗が険悪な瞳を向けると、それに気付いたのか佐助がゆっくり近寄ってきた。
萌黄色の瞳と藍色の瞳が交錯する。
口許に薄い笑みを浮かべて接近して来た佐助は、足を止めず政宗の隣を過ぎて行った。

「あんましウチの旦那をエロい目でジロジロ見ないでよね。このストーカー」

すれ違い様にぼそりと呟かれた台詞に、政宗は眉間に皺を寄せた。

(やっぱりアイツは好かねぇ…!)

向こうも同様だろうが、いくらなんでもストーカーは言い過ぎだ。
あからさまに向けられる敵意。
気が合わなくて仲が悪いなんて軽いレベルじゃなく、
憎しみすら感じるほどの瞳や言葉を時々向けられるのは何故だろう。
時折思う。やはり、猿飛び佐助にも戦国の記憶があるんじゃないだろうか。と。

気分がクサクサして、政宗は空を仰いだ。



体育の授業が終わり、男子生徒が一斉に更衣室に雪崩れ込んだ。
幸村は汗に塗れた体操着をおもむろに脱ぎ捨てた。
露わになった白い肌に密かに生唾を飲む音が聞こえたが、
自分への視線に鈍感な幸村は気付かず、呑気に汗を拭っている。

「旦那〜ちょっと無防備だよ……」
「ん?何がだ?佐助」
「う〜ん、ま、いいんだけどさ」
「だから一体何なんだ?何が気になるのだ佐助」

珍しく渋り顔で自分を見る佐助に、幸村は首を捻る。
やれやれとでも言いたそうな顔をすると、佐助が突然幸村にガバリと抱き付いた。

「うおっ!どうした佐助っ!?」
「ん〜、旦那が可愛いからつい、ね。無防備だと食べちゃうよ?」
「俺など食っても美味くないぞ」
「え〜。きっと美味しいよ。なんなら食べてみていい?」

そう言って唇を寄せようとした佐助を政宗はベリっと幸村から引き剥がした。
幸村に見せていたデレデレの表情が、俄かに鋭く冷たい瞳に変貌する。
口元は笑っているが、萌黄色の目は冷酷な殺人鬼のようだった。
負けじと彼を鋭い瞳で政宗は睨み付ける。

「Hey,猿飛!とっとと幸村から離れな、このド変態が」
「うるさいよ、独眼竜。ただのスキンシップに目くじら立てなさんな」
「何がただのスキンシップだ。そうは見えねぇぜ?」
「それはアンタの目が邪だからでしょうが。 
 自分の汚れを俺様に擦り付けて俺様まで変態扱いすんのはやめてよね。
 ね、旦那。別に嫌じゃないよね?」
「ん?おう、嫌じゃないぞ」

キョトンとした顔で答えた幸村に、佐助は口の端を更に吊り上げて
勝ち誇ったような瞳で政宗を見た。

「ほら、ね。俺様と旦那は仲良しだからね」
「Shit!」

短く舌打ちをすると、政宗は更衣室をさっさと出て行った。

「政宗殿?お待ち下されっ!」

怒ったような態度の政宗に幸村は困惑気味に声をかける。
普段なら自分の声を聞けば直ぐに足を止めて振り返ってくれる政宗だが、
全く足を止める気配も振り返る気配もなく去っていった。
広い彼の背中が拒絶を示しているように思えて、胸がズキリとした。

(たかが無視されただけで、どうしてこんなに辛いんだろう―…)

ぎゅっと幸村は胸の辺りのシャツを握り締めた。
切なげに眉根を寄せた幸村に、佐助は冷めた視線を送った。

「どうしたの?旦那」

普段通りの口調だが、佐助の声には感情が無いようだった。
付き合いの長い幸村は耳聡くそれに気付き、不安げな表情を浮かべる。
さっきまで気になっていた政宗の事は、その瞬間頭から消えていた。

「佐助……」
「政宗に無視されて悲しい?」
「いや、その―…」
「聞こえなかっただけじゃないかな。気にする事ないよ」
「そう……か。そう、だな。うむ!」
「そうそう!それよりさっさと着替えてお昼食べよ」
「おう!」

にっこりと笑う佐助につられて幸村も笑顔になった。
その様子を見ていた慶次は密かに苦笑いを浮かべる。
仲良く並んで出て行った二人を慶次は追いかける。

「待ってよ幸ちゃん、猿飛っ!俺も一緒にメシ食べていいっ?」

ドタドタと飼い主に置いて行かれた犬のように
慶次も走って二人の後に続いた。











--あとがき----------

学園バサラの第二話目です。
今回はいろんなサイドです。慶次も実は幸村に恋心があります。