第三話 残像






昼食を食べ終えた幸村は屋上でゴロンと仰向けに寝転がった。
一緒に弁当を食べていた佐助は食後のデザートを仕入れて来ると
ついさっき屋上を出て行った。
いくら疾風の彼とは言え、流石にまだ戻って来れないだろう。
一人で退屈な時間を過ごすには昼寝が一番だ。

眠気はなかったので、ぼんやりと幸村は空を仰いだ。
遥か高くの空は何処までも澄んで蒼く広がっている。
彼方の濃いブルーの部分を見ていると、何故だか政宗の顔が浮かんできた。

彼がカッターの変わりにインナーに好んで
青いシャツを着ている事が多いからだろうか。

(政宗殿には深い蒼がよく似合う−…)

赤が好きな自分とは正反対だ。――紅と蒼。
不意に胸がズキリと痛み、頭に可笑しな映像が浮かんできた。

蒼い衣装を纏い、弦月の前立てを掲げた兜を被る眼帯の男。
紅の装束を纏い、鉢巻きを棚引かせた若い武者。
互いの手には武器が握られ、刃を交えあっている。
殺し合いをしているのに、二人の口許には笑みが浮かんでいた。
その二人の顔が自分と政宗に似ているようだった。

(俺と政宗殿が殺し合うなんて、縁起でもない)

胸元のシャツを握りしめ、幸村は眉根を寄せる。
視界に入る蒼を消したくてぎゅっと瞳を閉じた。

「きむら、…真田幸村」

名前を呼ばれて、ハッと目を開けると、政宗の端正な顔が迫っていた。

「のわぁっ、政宗殿っ」

驚いて幸村は飛び起きた。
慌てて起きたせいで政宗の額と自分の額がぶつかり、
互いに呻き声を上げて再び蹲る。

「OUH! Shit!随分な石頭じゃねぇか、幸村」
「も、申し訳ござらぬぅっ、大丈夫でござるか政宗殿っ!」
「No Problem. アンタこそ平気か?」
「某、石頭です故、大丈夫です」
「OK、悪かったな」
「いえ、本当にこちらが悪うございます。それよりも、何用で?」
「いや、大した用はねぇ。
 無防備に仰向けで寝転がってたから声を掛けただけだ。それより
 お前こそどうかしたのか?心臓でも痛むか?」
「え?」
「シャツの左胸の所、皺苦茶じゃねぇか。握り締めた跡だろ?」

指差された先を除くと、先刻握り締めた辺りが
無残なまでに皺になっていた。
不味い、佐助に怒られると幸村は少し眉間に皺を寄せた。
すると苦しんでいると勘違いしたのか、政宗が心配そうな瞳で幸村の顔を覗き込んだ。
二人の間が至近距離に縮まり、幸村は思わず頬を染める。

「痛むのか?」
「あ、その、病気とかではありませぬ。ただ、白昼夢というか
 何やら変な場面を見たような気がして。そしたら何だか胸が苦しくて」
「変なシーン?何だ、それは」
「いえ、つまらぬことで言う様な事ではありませぬ」
「なら、いいが……」

妙な沈黙が二人の間に流れた。
互いに目を反らせずにじっと薄茶の瞳と藍色の瞳が見詰めあう。
きょとんとした顔をしている幸村に対して、
政宗は何処か思い詰めたような表情を浮かべていた。

そっと手を伸ばし、政宗が幸村の頬に触れる。
自分よりも一回り以上大きな手に頬を包み込まれた幸村は
ますます不思議そうな表情を浮かべた。

「幸村、アンタに言いたいことがあるんだ」
「某に言いたい事?なんでござるか?」
「オレはアンタを―…」

政宗が何かを言うより先に、屋上に向かってくる足音が響いた。
もうすぐ其処まで迫った足音。
さっきまでは微塵も誰かが近付いてくる気配はなく、急に現れた足音に
故意を感じた政宗は眉間に皺を寄せた。

「真田幸村、放課後、裏の杉の下に来てくれないか?」
「はあ、解り申した」
「いいか、アンタ一人で来てくれ。間違っても猿は連れてくるなよ」
「佐助がいると、何か不都合でも?」
「まあ、な。アンタとサシで話しがしたいんだ。Are you OK?」
「心得た。して、言いたい事とは何でござるか?」
「Ah, 放課後話す。じゃあな」

不思議がる幸村に背を向けて、政宗はドアに向かって歩き始める。
同時に待ち構えたように佐助が扉から入ってきた。

「よう、独眼竜。アンタも屋上でお昼?」
「No!ちょっと煙草を吸いに来ただけだ」
「ふーん、あんたの肺が真っ黒になろうがどうでもいいけど、
 旦那に毒吸わすの止めろよ。知ってると思うけど副流煙のが毒性が強いんだぜ」
「All,right!わかってる。だから吸ってねぇだろ」
「なら、いいけどね」
「口煩せぇ奴だな。まるでウチの小十郎だ」
「ちょっと、あんな堅物のモンペと一緒にしないでよ。
 俺様は別にもう旦那の保護者じゃないんだしさ。失礼だよ。
 それとも牽制のつもり?だったら無意味だよ」

佐助の言葉が引っ掛かって政宗は顔を顰めた。
“もう旦那の保護者じゃない”
まるで、以前は保護者の様な事をやっていたような物言いだ。
どういう意味だろうか。
四百年経った今、同い年に生まれた佐助だが、
相変わらず戦国時代と同じ様に大人びて保護者っぽいところがある。
高校生になった今ではそれほど幸村の世話を焼いているわけではないが、
幼い頃はそれこそ昔のように身の回りの世話をしていたのかもしれない。
だったら“もう保護者じゃない”という台詞も納得いくが、
どうもそうじゃない気がしていた。

(なんだか、気分が悪ぃな―…。あの、猿め……)

二人に背を向けると、振り返らずに政宗はさっさと階段を降りて行った。
そんな政宗を冷たい目で一瞥すると、
佐助はいつもの笑顔を浮かべて幸村の傍に走り寄る。

「ただいま〜旦那!プリン買ってきたよ。一緒に食べよ」
「おおっ!ありがとう佐助っ!」
「いいってことよ!俺様も食べたかったしね」

二人並んで腰を下ろすと、さっそく幸村はプリンに手を伸ばした。
一口頬張った途端に蕩ける様な笑顔を浮かべる幸村に、
佐助もつられて優しげに微笑む。
自分もプリンが食べたいなどと、単なる口実にすぎなかつた。
ただ、幸村のこの極上の笑みが見たかっただけだ。
甘味はそれほど好きじゃない。もっとも別段嫌いでもないが……
どんな菓子よりも幸村の笑顔こそが一番佐助にとっては甘い。
この笑顔を守るためなら、何だって出来る。
財布の中身が薄っぺらになることなんて大したことじゃなかった。

「美味しい?旦那」
「うむ、美味いぞ!だが、佐助の作った菓子にはまけるな」
「ホント?俺様大感激っ!今夜の夕飯にはデザートおまけしちゃうから」
「まことかっ?楽しみにしておるぞっ!!」
「も〜、期待しててよ」

興奮気味にはしゃぐ幸村に佐助は締まりのない顔を浮かべていた。
だが、俄にその表情は変わる。

「ところでさ、旦那、伊達と何話してたの?」

相変わらず口元は薄らと笑っていたが、瞳は冷たさが滲んでいた。
佐助は政宗のことが絡むと時々こういう態度を見せるので馴れてはいたが、
幸村は一瞬だけ不安になった。
少し眉根を寄せて「特別な事は何も。世間話だ」と幸村が答える。
すると佐助は食い下がるように、いや、どちらかというと
確認するようにさらに質問を投げかける。

「旦那、アイツに何か変な事言われなかった?」
「変な事?いや、特に…」
「ならいいけど。気を付けてね」
「政宗殿にか?何故だ?」
「ん〜深い意味はないけどね。まあ、なんつーかアイツ手が早いからさ」
「ハハッ、俺が喧嘩で負けるとでも?」
「喧嘩じゃないよ。あれだよ、破廉恥な事の方。
アイツってさ、寄って来た女にすぐに手ぇ出すからさ俺様心配で」
「それは俺は男だから何の問題もない」
「いや〜それは甘いよ旦那。昔っから同性愛なんてあるでしょ。
旦那は可愛いからさ、気を付けないと」
「可愛いなど侮辱かっ!俺は可愛くなどないわっ!」
「ハイハイ、旦那は男前だもんねぇ。性格と表情だけは」
「なんだ、性格と表情だけとは?」
「体格と顔は可愛いって事だよ。まあちゃんと俺様が守ってあげるけどさ」

不服そうな表情の幸村に、背後からぎゅっと佐助が抱き付いた。
柔らかな頬に佐助が頬を擦り寄せると、幸村は擽ったそうに笑い声を上げた。





「旦那、一緒に帰ろ」
「あ、ちょっとお館様に用事があるから、先に帰っていてくれ」
「そうなんだ。じゃあ先に帰ってるね」
「おう、すまぬな」

佐助に嘘を付くのは心苦しかったが、
政宗の言葉を守って放課後呼び出された事は伏せておいた。
先に帰って行った佐助を見送ると、幸村は校舎裏の杉に向かった。

爽やかな風が吹き抜ける校舎裏はひっそりしていて
まるで学校じゃないみたいに寂莫としていた。
夏の気配さえ遠退いて感じる涼しい杉の木の下、ぼんやりと待つこと10分、
政宗が姿を現した。

「政宗殿」
「待たせたな、幸村」

政宗は何処か思い詰めた表情を浮かべていた。
なにかただならぬ雰囲気を感じて、幸村は少し緊張した。
政宗からも緊迫感が漂っていた。

強い風が二人の間を吹き抜ける。
幸村の長いしっぽのような髪が宙を漂った。
その髪が再び華奢な背中に落ちる前に、政宗の胸の中に抱き寄せられた。

突然の事に声も出せず、幸村は目をパチクリさせた。
政宗の意図を探ろうと顔を伺おうとするが、頭に逞しい腕が廻されて
顔が胸に押し付けられていて上げられず、視界がシャツの蒼に埋め尽くされていた。

身長差は5cm位しかないのに、彼の胸板は広さは然程ないけど意外と分厚かった。
こうやって抱き締められて初めて気づいたが、
政宗は服の上からはわからないが結構、筋肉質だ。
自分より腕も二回りほど太く、体格差は思っていた以上に差があった。
間近で感じる息遣いと体温。そして自分とは全然違う雄っぽい匂い。
不意に鼓動が不規則に刻まれる。妙な高鳴りを感じた自分に幸村は戸惑った。

「幸村」

低い声が自分を呼び、漸く胸から引き離された。
あのままじゃ胸が張り裂けるんじゃないかと危惧していた幸村がほっとした
のもつかの間、顔を上げた瞬間にまた鼓動が高鳴った。

いつもの薄笑いを浮かべた不敵な笑みを浮かべる彼はいなくて、
真摯な藍色の瞳と目があった。いつもの彼とは違う生真面目な表情。
何をそんなに真剣な表情をしているのかまったくわからず、
戸惑いの色を滲ませた大きな瞳が政宗を映し出していた。

「まさむね、どの?」
「いいか、よく聞きな。一度しかいわねぇぜ」
「は、い……」
「真田幸村、アンタを愛している」
「え……?」
「Friendじゃねぇsteadyの意味だ」
「それって、つまり……」
「アンタをオレだけのものにしてぇ。恋人になって欲しい。
 アンタはどうだ?オレが嫌いか?」
「き、嫌いなどでは決して……しかし、その―…」

しゅんとして瞳を伏せた幸村の頬に、政宗は触れるだけのキスを落とす。
突然のことにさらに目を丸くして唖然としている幸村を抱き締めると、
耳元で政宗は吐息交じりに囁いた。

「急ぎはしねぇ。じっくり考えて答えを出しな。オレはいつまでも待ってる」

そう告げると幸村を解放し、政宗は「See you again!また明日な」と
背を向けて手を振り、風のように去ってしまった。

取り残された幸村は、ズルズルと杉の幹に沿って地面に座り込んだ。
胸が早鐘を打って息苦しかった。
この気持ちをなんというか分からない。痛み、苦しみ、昂揚。
様々な感情が綯い交ぜになって一体化したような可笑しな感情だった。

頬を爽やかな風が撫でていく。
だが、身体の底に沸き上がった燻る熱が全身を包んでいた。
どう片付けたらいいか分からない感情から逃れるように、
幸村戒めるように自分の膝を抱え込んで、硬く目を閉じた。










--あとがき----------

学園バサラの第三話目です。
政宗の台詞、英語から離れて久しいので綴りがあっているか心配……。
設定が出てないので解りづらいと思いますが、
佐助と幸村は一緒の家に同居してます(笑)
政宗は隠れマッチョですよね。よく見ると、
幸村より胴体回りや腕が何割か太くて逞しいです。
小十郎と同様甲冑来ていると真っ平らに見えてそうでもなさそうですけど、
設定資料とか幸村と並んでいる所とか見ると、
結構な体格差あるようですよ。けっこう外人規格です。