第四話 蒼の影







鍋からは白い湯気がふわりと立ち上っている。
フライパンではハンバーグが芳ばしい香を放ち、ジュウジュウといい音を立てている。
冷蔵庫にはミルクプリンが冷えていて、もうすぐ夕食が出来上がる。

なのに、まだ同居人の姿は見当たらない。

「遅いな、旦那。お館様とまた殴り愛でもしてんのかな?あ〜有り得るわ」

溜め息を吐き、ポツリと佐助は呟いた。
ハンバーグが焼き上がり、スープもちょうどいい火加減だ。
火を止め、スープを器に盛っていると、アパートの玄関が開く音がした。
いつもの元気な足音じゃなかったから気が付かなかったが、
どうやら幸村が帰ってきたらしい。軽やかな足取りで佐助は玄関に向かった。

「お帰り、旦那…って、どうしたの?」

俯き、疲れたような顔をして帰ってきた幸村に佐助は驚いた。
拳の当たり所が悪かったのかと思ったが、殴り愛をした割りに服の乱れも痣の一つもない。
殴り愛はしなかったのだろうか。――それにしては帰りが遅すぎる。

佐助は心配そうに幸村の顔を覗き込んだ。
瞳が交錯する直前で幸村がふいと視線を反らした。

「旦那?」
「なんでもない。遅くなってすまなかった」

足早に佐助の横を幸村はすり抜け、部屋に入っていった。
隣を過ぎた幸村から、何時もの爽やかでほんのり甘い香りに混じり、
何処か男を感じさせる性的な匂いが漂った。
匂いに心当たりがある佐助は、顔を歪ませる。
――何かあった。そう勘づかせるには充分すぎる状況だった。


いつもは楽しく明るい筈の夕食タイム。
なのに、今日の幸村はぼんやりとしていて喋らず、なんだか寒々しい雰囲気だった。
「美味しい」といういつもの賛辞はなく、
ぼんやりと箸を勧める幸村に不満はなかったが、
あまりにらしくない態度に佐助は不安だった。

一緒に帰ろうと言う誘いへの拒否、遅い返り、ぼんやりした表情、
そしていつもの香りに混じった憎々しい男の匂い。

深淵に潜む獣の咆哮が耳の奥に木霊する。
忘れてしまえと、何度も言い聞かせた筈の感情が闇から顔を覗かせる。
あの頃とは違う。違うとは頭ではわかっているのに、
記憶が刻まれたDNAが、そして心がそれを許さない。

ことりと箸を置くと、テーブルに肘をついて顎を掌に乗せ、
佐助はじっと幸村の瞳を見詰めた。
視線に気付いた幸村は箸を止め、ぼんやりとした瞳で佐助を見詰め返す。

「どうした、佐助?」
「ん〜ん、箸すすんでないなって思ってさ―…」
「う、それは、その―…」
「今日のハンバーグ、不味かった?」

佐助は寂しそうな笑顔を浮かべた。
その表情に幸村はハッとして、困ったような表情を浮かべる。

「違う、違うのだ、佐助!」
「いいよ、気を使わなくっても。俺様、もっと頑張るからさ」
「本当に違うっ!佐助の作る飯はいつも美味いっ!
 不味かったことなど一度もないぞっ、本当だ。
 今日のこのハンバーグだって俺好みの味で、明日も食べたいくらい美味いんだ」
「じゃあ、どうしたの?」
「う―…」
「真田の旦那が元気ないと、俺様まで元気じゃなくなっちゃう。
 なんかあったの?あったんなら言って。俺様、力になるからさ」
「佐助―…」

真摯めいた貌の下には醜い化け物の貌が隠れている。
鋭い幸村にもその隠れた貌が見抜けない事は解っていた。
心配しているというのは嘘じゃないからだ。
本当の事を混ぜるだけで、嘘は真実味を持ち見破られにくくなる。
そのことを熟知している佐助にとって、人を騙すのは朝飯前だ。

案の定、佐助が知りたかった情報を幸村は話し始めた。

「すまない、佐助。本当は放課後お館様に呼びだされてなどいなかったのだ」
「ふ〜ん、そうなんだ。じゃあ、誰と会ってたの?」

そうは尋ねたものの、本当はだいたい予測が付いていた。
あの匂い。あの嫌な匂いの持ち主が誰か確信があった。
問題はあの男が、自分の大切な人に何を言ったのかだ。
心が急いているが、幸村を焦らせないために
極めて穏やかに、優しく問いただすように佐助は尋ねた。

「実は、政宗殿に呼びだされて……」
「ふぅん、伊逹、政宗ねぇ」

解っていても、名前を聞いて温度が下がるのは禁じえなかった。
佐助の瞳に冷たい温度が揺らぎ、幸村は少しびくりと肩を震わせる。
が、「それで、どうしたの?」と佐助が優しげに尋ねてきたことにホッとし、
幸村は力を抜いて自分の身に起きたことを話し始める。

「す、好きだと。恋人になって欲しいと言われた―…」

瞳を伏せ、戸惑った声でポツリと幸村は言った。
佐助はその内容にホッともしたが、それ以上に苛立ちもした。
じっと舐め回すような纏わり付く政宗の視線。
幸村に向けられるその目が嫌で嫌でしょうがなかった。
視線に含まれる仄かな恋心も知っていたが、まさかこんなにも早く
彼が幸村にその気持ちを告げるとは思わなかった。

(よく愛してるなんて言えたもんだよ、あの蛇―…)

貌には出せない憎しみを心の奥で滾らせ、血を吐きたくなるような思いを殺す。
困っている幸村をこれ以上困らせたくないので、温厚に佐助は尋問を繰り返す。

「それで、真田の旦那はアイツのことどう思ってんの?」
「それが、解らぬから悩んでおる……。 
 政宗殿は大切な友人だ。その仲を壊したくない」
「好きってこと?」
「好き、は好きだ。でも、恋人とか愛だとか、そんなことは俺には解らぬ」
「トモダチってこと?」
「う、む。多分―…」
「そうだよね。トモダチでいたいけど告白されちゃって戸惑ってるんだよね」
「え?」
「そうでしょ?ギクシャクしたくないから、
 どう断れば一番いいのか、悩んでるんだよ旦那は」
「……そう、か、そうだな」
「だったら簡単だよ。はっきり“これからもイイ友達でいよう”って
 言えばいいんだよ。伊達は性格が伊達男だからさ、振られたからって
 距離取るようなセコイ真似はしないよ。これからずーっと友達でいられるさ」

温かな微笑みを浮かべながら、佐助が優しく肩を叩く。
幸村は安心した様な顔をして、箸を動かし始めた。
佐助の作ったハンバーグを頬張り、「美味いぞ佐助っ!」と笑う。




夕食を食べ終え、幸村は湯船に浸かった。
温かな水が全身を包み込んでくれるのが心地良かった。
お湯には珍しく入浴剤を入れた。
翌日、浴槽を洗うのが面倒くさいと言いながらも、
佐助は自分が言った我儘を聞いて入浴剤を入れる許可をくれた。

コバルトブルー。透明な蒼い蒼い色。

大きく息を吸うと、お湯の中にザバンと潜った。
揺れる視界。口と鼻から零れる透明な水泡を、
水面に差し込む電灯の黄色い光のカーテンをぼんやりと眺めていた。

(水底、太陽、俺を包む、蒼―…)

身体を包み込むお湯に、今日自分を抱締めた逞しい腕を、胸を思い出して
幸村は頬を真っ赤に染め上げた。
こうして蒼を眺めていると、何かを思い出しそうだった。
思い出せない、思い出したい。
なのにどうして、記憶は上手く像を結んではくれないのだろうか―…

思い出してはいけない何かが、ある。
滾る血、陣羽織の政宗、戦装束の自分。
交わる刃、交錯する蒼と紅。全身から迸る雷撃と紅蓮の炎。

「ぷはぁっ!」

息が切れて、幸村は勢いよく水面から顔を出した。
政宗の告白に戸惑っているのは、政宗と友達という間柄を壊したくないから。
佐助はそう言ったし、自分もあの時はそうだと納得した。
でも、本当にそうだろうか。
断り方まで佐助は丁寧にアドバイスしてくれたと言うのに、
はっきりと政宗の告白に否と結論を述べるのに戸惑っている。
もう少し、悩んで自分の気持ちの在り処を探したがっている。
そんな自分が不思議だった。

(どうしてだ?何故、俺は政宗殿に答えを言えない―…?)

たとえ振ったとしても、佐助の言う通り政宗は距離を置いたりはしないだろう。
そう確信しているのに、どうしても答えを出したいと思えなかった。

風呂の淵に腕を置き、その上に顔を乗せて幸村は瞳を閉じた。




障子から差し込む微かな月明かり。薄暗い闇の中で絡み合う肢体。
甘い喘ぎ声と、獣の様な呻き声がしじまに響いた。

「うぁっ、まさむ、ね、どの……っ」
「イイぜ、幸村ぁ、アンタのナカ、熱くて蕩けちまいそうだ」

細い腰を引き寄せ、独眼の男はしきりに己の腰を打ちつける。
肉体がぶつかり合う音と、グチュグチュという卑猥な水音。
頬を上気させ、後ろから穿たれている男は大きな瞳を潤ませる。
切なげな喘ぎ声が零れ、細い喉が仰け反り晒される。

「ああっ、あぅっ、お、かしくっなるぅっ、ひぃぁ」

堅い摩羅が胎内を擦り上げる度に、悦に滲んだ声が漏れる。
快楽に頭が真っ白になり、何も考えられなくなってただ、
男がもたらす快感に溺れていた。
長い髪を振り乱し、自らも浅ましく腰を揺らす姿は淫靡で、
独眼の男はそれに誘われるように、一層激しい抽送を繰り返した。

「ああぁぁっぁっ!!」
「くっ、……ゆきむらっ!」

熱い子種をドクドクと注がれた男は、自らも吐精して布団に倒れ込んだ。
行為を終えると、独眼の男は背後からぐったりしている男を抱き締めた。

「手荒な真似をして、すまねぇ幸村」
「いえ、某も戦の熱を持て余しておりました故。
 そなたの行為に抵抗をしなかった某も悪うございます。
 どうか、一夜の戯れと思ってお忘れ下さいますよう……」
「アンタにとっては、単なる処理と火遊びでも、オレにとっては……」
「政宗殿……、それ以上、今は申されるな―…」
「――Sorry,襲っちまったオレの言う事じゃねぇな」
「いえ、同盟中なれば貴殿の身分を鑑みれば、某に抵抗する道理もありませぬ」
「Shut up! アンタとオレは対等だ。身分なんざ関係ねぇ」
「しかし、ここは奥州でございます故―…」
「No!場所は関係ねぇ!アンタとは何時でも対等でありたい」
「……そうでございますな。某も好敵手とは同じ土俵に立っていたい」
「That's right! だから、今日の事でオレを赦せねぇなら、
 何でも償いの方法を言いな。命と国以外ならアンタの望む償いをしてやる」
「いいえ、償いなど必要ありませぬ。ただ、一夜限りとお忘れ下されば」
「OK,アンタがそう言うなら今宵の事は酒と戦の熱の所為だ。忘れるさ」
「ありがとうございます、政宗殿―…」
「だから、今夜だけはアンタを抱いて眠らせてくれ」

逞しい腕がぎゅっと華奢な身体を抱き寄せた。
世界が暗転し、真っ暗な闇が包んだ。

その次に瞳に映ったのは、血と怒号の飛び交う戦場。
さっき見た布団で縺れ合っていた二人が、刃を交えていた。

獣のように純粋で、理性などなく戦う二人。
互いの切っ先が身体を傷付け、大地を血で染めてもなお戦い続けている。
まるで恋人同士だった二人が繰り広げる死闘。
自分と政宗に瓜二つの二人の男が、殺し合っている。
獣じみた顔で、満ち足りたような、愉しげな顔で―…

嫌な光景だった。なのに「やめろ」と言えなかった。
自分が思ったことは一つ。
戦いたい。心を震わすような強い人と、何も考えずに戦いたい。
心の底を震わす熱。
恍惚とするとともに、一方でゾッとした。
大切な人と殺し合いたいなんて、何を考えているんだろうか―…

戦う二人の間に慌てて駆け寄っていた。
必死に二人の間に割り込んで声の限り叫ぶ。

「いやだ、だめだ、政宗殿と戦ってはならぬ!」

だが、叫びは轟音に呑まれて届かなかった―…。
伸ばした手は擦り抜けて、ただ、二人の結末をみているしか出来なかった。



「んな、旦那っ……!」

佐助の声がして、幸村はゆっくりと目を開けた。
その途端、至近距離で不安げに覗き込む佐助と視線がぶつかった。

「さ、すけ―…?」
「大丈夫?風呂入ったっきり一時間も出てこないから焦ったよ」
「すまぬ、寝てしまってたようだ」
「いいけど、ホントに大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。長湯してすまぬ佐助。もう、出るから」

立ち上がった幸村は逆上せてしまっていたのかふらりと大きく傾いた。
その身体を佐助が抱き止める。

「ちょっ、やっぱ逆上せてんじゃん!」
「うお、俺としたことが逆上せるとは、申し訳ございませぬ、お館様〜!」
「ハイハイ、お館様はいいから身体冷やそっか」

タオルを手早く腰に巻き付けると、佐助は幸村の事を抱き上げて風呂場を出た。
ひんやりとした佐助の身体が心地よくて、幸村は佐助に凭れた。
妙な夢の所為か胸が苦しくて、辛かった。
その辛さを拭う様に、甘える様に幸村が佐助に頬を摺り寄せると
佐助が優しく髪を梳いてくれた。

「ほら、冷たい水でも飲んで、扇風機に当たって」
「ありがとう、佐助。すまぬ」
「いいって。それより気分とか悪くない?顔色、よくないよ」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと変な夢を見ただけなんだ」
「変な、夢って?」
「いや、大した夢じゃないんだ―…」

夢は言うと正夢になる。
昔そんな事を聞いた気がして幸村は口を噤んで曖昧に笑った。
そんな幸村に、佐助は密かに眉根を寄せた。
その表情を隠すように、幸村の背後からワシワシと髪の毛の水分を拭ってやった。

クスクスと笑い声を上げる幸村が、とても愛おしかった。
抱き竦めたい衝動に駆られたけれど、逆上せた幸村を抱締めたら
余計に熱くなってしまうと自嘲した。

身体を拭いて髪の毛を梳いてくれる佐助の手が優しくて、
幸村は佐助に凭れたまま眠ってしまった。


佐助は幸村を抱き上げてクーラーをかけた寝室に運んだ。

「おやすみ、旦那。今度こそいい夢を―…」

すやすやと寝息を立てる幸村の頬にキスして、
佐助はそっと部屋を出た。









--あとがき----------

佐助は確信犯です(笑)
なんにも知らないフリをして、敢えて幸村の口から話しを聞きだします。
「水底、太陽、俺を包む、蒼―…」はBASARA3の幸村の台詞です☆
あの蒼はぜったい政宗のことですよね!
あの台詞は衝撃的でした。
太陽はたぶん、家康でなくてお館様っぽいです。
幸村が蒼の入浴剤を入れたのは、政宗の事を無意識で考えてたからです。